第70話:COOの依怙贔屓(神宮寺麻里)
午後の光が、ブラインドの隙間から斜めに差していた。
GAIALINQフロアの空気は、もうすっかりいつもどおり――そう思った矢先。
エレベーターが開いて、常務とIT統括取締役の本多さんが並んで降りてきた。
ふたりとも、珍しく真剣な顔をしていた。
「一ノ瀬くん、少し時間いいか?」
常務の声に、フロアが一瞬で静まる。
直也が席を立ち、応接スペースに向かった。
私たち五人――亜紀、玲奈、侑里香、瑠衣、そして私――も、無言のまま視線を追う。
またしても、“何かが動く” 気配だった。
打ち合わせは20分ほどで終わった。
直也が戻ってきたとき、私たちは自然と彼の周りに集まっていた。
「……五菱商事の住田会長に予定をいただけた」
直也の背後から、常務が一歩前に出た。
「来週月曜日の夕方、17時から1時間。
大手町経済連ビル、先方指定の会議室だ。
表向きは五井物産の社長の代理として、メッセージをお渡しする体裁にしているが、
一ノ瀬くんが直接お会いするという事だけは、すでに先方にも伝えてある」
「了解いたしました」
直也の返事は短かったが、明らかに重みがあった。
常務と本多さんが去ると、フロアの空気が一気にざわめきだした。
私たちは自然に直也の周りに集まった。
「まさか、五菱商事の会長と直接会談するの?」
玲奈が確認する。
「そうだ。
利権絡みの政界が、これ以上絡んで来た挙句、中国側からの意図したリーク等がメディアに流出した場合、日本の政財界そのものが大混乱に陥るリスクがある。
だから、そうなる前にケリをつける。
そうする事で、これ以上五菱商事自体も政治のおもちゃにされずに済む」
直也は静かに言った。
その落ち着いた声に、逆に私たちの方がざわついた。
「でも、そんなに……上手くいくのかな?」
亜紀が眉を寄せる。
「GAIALINQを覆ってくる火の粉は一気に払う。
当事者同士で一気に片付けた方がいい。
向こうも現実を理解すれば腹を括れるはずだ」
その言い方があまりにも淡々としていて、
私は思わず小さく息を呑んだ。
――こういうところが、ほんとに直也らしい。
「じゃあ、月曜日は……私が同行するってことでいいですよね〜♡」
瑠衣がいつもの調子で手を挙げた。
「またそれ?」
玲奈があきれ顔。
「一応あなた “警護兼秘書” ですから、まぁ筋は通ってるけどね」
「そうそう、警護ですよ警護♡ 別にセンパイと二人っきりが目的じゃ――」
「うそつけ」
私と亜紀、同時に突っ込んだ。
瑠衣が舌を出して笑う。
「まあ、同行はお願いする」
直也が頷いた。
「それと、もう一人――莉子を連れていく」
「え? なんで莉子?」
亜紀が目を丸くする。
「五菱グループにも、ぜひRICOを応援してもらいたいからだよ」
直也が、まるで当たり前のように答える。
「ええええぇ〜。ずるいなぁ〜」
玲奈がぼやき、私もつい口を尖らせた。
「完全に依怙贔屓じゃん」
「莉子だけおかしくない?」
侑里香まで加わって、女性陣から一斉にブーイング。
でも、直也はまったく動じなかった。
「GAIALINQにとって、ブランドアイコンはRICOなんだから。
RICOは、今勢いがあるアーティストとして認められてきている。
それを更に加速していく事が、結果的にこれからのGAIALINQの対外戦略にとっても大事になってくるんだ」
「……そう言われたら、反論できないよね」
亜紀がため息をつく。
瑠衣がすかさず笑いながら言った。
「さすがセンパイ、どこまでも策士〜♡」
「いや、もう恋愛沙汰でなくてビジネス戦略の話だから」
玲奈が冷静に突っ込む。
「どっちも似たようなもんですよ〜♡」
瑠衣の返しに、全員の肩が同時に脱力した。
「莉子と高田さん、呼んでくれる?」
直也からの依頼で、私はすぐに社内チャットで連絡を入れた。
ほどなくして、莉子とマネージャーの高田さんが直也の個室スペースにやってきた。
「急に呼び出しなんて、どうしたの?」
莉子はいつものように明るく微笑むけれど、その奥には少し緊張が見えた。
「来週月曜日の17時。
大手町の経済連ビルで、五菱商事の会長と会う予定になった。
莉子にも同行してもらいたい」
直也は淡々と伝えた。
「えっ、わたしが……一緒に行くの?」
驚きと、少しの戸惑いが混ざった声。
「うん。GAIALINQの顔として――という建て前を上手く使って。
RICOという存在を、正式に五菱グループにも認知してもらおうと思う。
RICOがアーティストとして更にスケールしていくためには、五井物産や栗田自動車と並んで、他の大企業グループにも支持してもらえるよう、きっかけをどんどん作るべきだ。
規模でいけば五菱グループは日本最大級だからね」
「そんな……でも、こんなに五井物産に大切にしてもらっているのに、いいのかな?」
莉子が心配そうに言った。
直也は首を振った。
「そんなの、気にしていたらダメだよ。
そもそも、ウチのRICOを活用するプロモーション戦略はオレ自身が決めているから、全然気にする必要なんかない。
他所にもっと輪を広げていくんだ。
いきなりどうこうでなくてもいい。
きっかけを作ることが大事だ」
その言葉に、高田さんも頷く。
「私も賛成です。
五菱グループと莉子ちゃんが顔を合わせるのは、悪い話じゃありません。
むしろアーティストRICOにとっては大きなプラスになると思います」
莉子は一瞬だけ視線を落とし、そして小さく笑った。
「……分かった。
そう言ってくれるなら、是非行かせて」
直也は頷いた。
「あと、その会合の際、
新しいアルバムCDと、サイン色紙を何枚か用意しておいてくれるか?
お土産っていうより、向こうの関係者への “橋渡し” だ。
ファンとしての顔を持つ人も、きっといるはずだから、効果がある」
「分かった。用意しておくね」
莉子がうなずく。
その表情は少し誇らしげで――。
彼女の中で、アーティストとしての自覚がまた一段深くなったように見えた。
横で見ていた亜紀が微笑んで見ている。
「いいなぁ莉子。
GAIALINQのCOOがここまで贔屓してくれるんだから、もう絶対頑張ってね!」
玲奈も笑って言う。
「これで五菱も、RICOのファンにしてしまえばいいのよ」
「今回については、まずは布石ってところだと思うけどね」
私がつぶやくと、直也が軽くこちらを見て頷いた。
――この笑顔を見るのは、なんだか久しぶりだ。




