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第61話:センパイのお迎え(篠原瑠衣)

 大使館から出ていた黒塗りのハイヤーは、グランドハイアット東京の車寄せ手前で止まったままだった。


 ライトがわずかに滲む。

 車体の陰に反射した都市の光が、静かに車内を照らしている。


 私はタブレットに視線を落とした。

 映っているのは、地下ワインバーの監視映像。

 ――最後のやり取り。


「何か、封筒みたいなものを出しましたね」

 思わず小声で呟いた。


 隣では、亜紀さんも、玲奈さんも、麻里さんも、侑里香さんも、莉子さんも、そして保奈美さんもが、固唾をのんで画面を見つめていた。


 画面の中で、直也センパイが、わずかに表情を動かした。

 それは、この数時間で初めて見せた “感情” の揺らぎだった。


「ちょっと……」

 玲奈さんが息を呑む。

「何? 何が起きてるの?」

 麻里さんが続く。


 けれど、次の瞬間には、

 すべてが再び静まり返った。


 穏やかな口調で言葉が交わされ、

 センパイが――その封筒を受け取った。


 劉美琳はゆっくりと立ち上がり、

 深紅のスーツの裾を整え、

 軽く会釈してテーブルを離れた。


 カメラが切り替わる。

 地下通路を歩く彼女の姿。

 表情は読めない。

 ただ、足取りはまっすぐだった。


 私は一度深呼吸をして、タブレットを閉じた。

「……確認完了。

 これ以上の可視情報は不要ですね」


 そして、視線を上げて言った。

「――本官は、直ちに一ノ瀬COOをお迎えに伺います。

 その後、指揮車の角田と連絡を取り、

 場合によっては麻布署の本部に一ノ瀬COOにもお越しいただく事になると思います。

 必ずその後で、こちらにお連れしますので、ご安心ください。

 ……なお、本日こちらのフロアマネージャー等は、現役の捜査官が務めております。

 このまま静かに、この部屋でお待ちください」


「瑠衣さん……気をつけて」

 玲奈さんの声が震えていた。


 私は頷き、スーツの上着を整えてドアを開けた。


「本部より、対象女性にこれより任意聴取をかける」

「対象より外交官パスポート提示確認」


 分かりきっていた事だ。

 相手は相当の大物という事だろう。

少なくとも国家安全部のエージェントという事はなさそうだ。

 それに、これでセンパイを日本という国家が庇護している事を明示はできた。


「本部より、対象を通せ」


 夜風が頬を打つ。

 ヒールの音が坂道に響く。

 私は走った。


「本部より、対象はホテル車寄せ脇待機の大使館ハイヤーに乗車」

「至急、至急、ハイヤー内人数は合計2名と確認」


 ホテルのエントランスには、

 警察庁・警視庁の混成チームが稼働している。

 客を装う捜査員、フロントに立つ職員、

 全員、内通コードを持つ。


 目配せ一つ。

 すべてが連動する。


 ――治安維持に携わるプロの世界の静寂。


 私はホテルロビーを通り抜け、地下への階段を降りた。

 そこはもう、完全に “事件現場” そのものだった。


 通路の一部が封鎖され、

 警備線の向こう側では数名の捜査員がグラスやテーブルを確保している。

 鑑識が小型ライトを照らし、指紋採取を進めていた。


 その中心で、直也センパイが、静かにテーブルの前に立っていた。


 無感情。

 それでいて、どこか遠い。

 この人は、いつもこうだ。

 嵐の中でも微動だにしない。


 ――本当に、無事でよかった。


 胸の奥で、何かがほどける音がした。

 私はそれを表に出さないようにして、淡々と声をかけた。


「センパイ。お疲れさまです」


 その声に、センパイがようやくこちらを見た。

 ほんの少しだけ、目が和らいだ気がした。


 そのとき、背後から足音。

 角田さんが現れた。


「直也。最後に受け取った封筒等を確認させて欲しい」


 センパイは頷き、ジャケットの内ポケットから封筒を取り出した。

 角田さんが白手袋をはめた手でそれを受け取る。


「申し訳ないが、状況が状況なので、

 一旦、麻布署で確認だけさせて欲しい」


「分かった。

 ――が……」


 私が一歩前に出た。

「センパイ。大丈夫ですよ。

 皆さんは捜査員が店員になっているケンジ エステイト ワイナリーの個室で待機されています。

 義妹さんも含めて。

 ……だから、早く行ってあげる為にも、今一時、ご協力ください」


 センパイは短く頷いた。

 その表情に、わずかに安堵の色。


 私は10度の敬礼をして、短く言った。


「本官が責任をもって同行いたします」


 指揮無線が鳴る。

「至急、至急。対象ハイヤー、大使館に入った模様」

「了解。尾行班そのまま待機。監視を継続せよ」

「所轄署班は引き続き現状を維持。周辺状況を注視せよ」


 報告を聞きながら、私は一度だけ目を閉じた。

 これで、第一幕は終わりだ。


 ――センパイ。

 ここからが、本当の始まりです。


 私はその言葉を心の中で呟き、

 地下通路を、直也とともに歩き出した。


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