表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/85

第57話:皆といっしょに祈る(一ノ瀬保奈美)

 ――チャットグループNHKが鳴ったのは、午後三時を少し過ぎた頃だった。

 スマホの画面に自分宛てのメッセージ。


〈保奈美ちゃん。直也くん無事に出発したよ〉

〈警察官が同行しているから…安心してね〉

〈六本木の予約したお店に私たちも今から向かうから〉


 その文字を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと痛んだ。

 手が震えて、スマホを落としそうになった。


 ――直也さんが、相手と会いに行くんだ。


 頭では分かっている。

 これは大切な仕事であり、警察が完全な警備体制で守ってくれている。

 でも、そんな理屈で心配がなくなるはずもない。


 私は一度深呼吸をして、自分に言い聞かせた。

 ――泣かない。

 私は直也さんが無事帰ってくると信じているのだから。


 部屋に戻り、鏡台の前に立った。

 鏡に映るのは、まだ学生らしさの残る自分。

 でも、今日は違う。

 ちゃんと “大人の自分” で迎えると決めていた。


 クローゼットの奥から、ハイブランドの春物のワンピースを出す。

 淡いベージュに、金糸のステッチが光る。

 肩に薄手のカーディガンを掛ける事にした。

 小箱からダイヤのイヤリングとペンダント、

 そしてブローチを選んで身につける。


 指には、小さなティファニーのリング。

 指先に触れた冷たさが自分の心を落ち着かせてくれる。


 鏡の中の自分に小さく微笑む。

 ――大丈夫。もう今日は泣かない。


 髪をとかして、メイクを整える。

 ハリウッドのエドワードさんに教えてもらったトリウミ式のメイク方法で。

 ファンデーションを薄くのばし、淡いピンクのリップを乗せた。

 ようやく、凛とした自分の顔になれた気がした。


 玄関を出ると、夕方の光が街を金色に染めていた。

 最寄り駅に急ぐ。

 六本木のケンジ エステイト ワイナリーまで急がなければ。


 電車の窓から見える春の空は、どもまでも澄んでいた。

 けれど私の胸の奥はざわめいていたままだ。

 警察が全力で守ってくれている。

 それでも、心配なものは心配だ。


 “守る” という言葉の重さを、私は知っている。

 それは、誰かのために自分の何かを差し出す覚悟。

 直也さんは、いつもそうやって生きてきた。


 そして――その姿を、私はずっと見てきた。


 だから今日だけは、弱い自分を見せたくなかった。

 待つことしかできなくても、

 その “待つ” という時間の中に、誇りを持ちたかった。


 車の中で、小さく呟いた。

「……直也さん、必ず帰ってきてね」


※※※


 店には、すでに亜紀さんたちが到着していた。

 NHKで到着を知らせるとすぐに亜紀さんが迎えに来てくれた。

 そして亜紀さんとお店の中に入る。


 ワインバーの支配人が、少し緊張した様子で言う。

「未成年のお客様は原則お断りですが、本日は保護者同伴、飲酒なしという条件で、特別に承っております」


「ありがとうございます。」

 亜紀さんが深々と頭を下げた。


 私は軽く会釈をして店内へ。

 上品な照明とグラスの光が、静かな緊張を生んでいた。


 席に着くと、玲奈さんがぼーっと中空を見つめていた。

 その横顔は、美しく、けれどどこか危うかった。

 ――玲奈さんも、もう限界なんだ。


 先日の夕食会で、私は玲奈さんが思いがけずに感情を顕にして驚いた。

 玲奈さんが泣きじゃくりながら言った言葉が今も残っている。


「いやだ……いやだよ。絶対、行かせない!」

「そんな危険なこと、直也にさせられないよ……!」

「そんなの、もう総合商社マンの仕事じゃないよ……!」

「そんな工作員みたいな人と関わったら……いつか直也が死んじゃうよ……!」


 だから決めていた。

 もし、直也さんが帰ってきた瞬間に、玲奈さんが抱きしめても、私は何も言わない。


 それは、愛とか嫉妬とか、そういう問題じゃない。

 “生きていてくれてよかった” という気持ちが、

 みんな同じだから。


 私は姿勢を正し、膝の上で指を組んだ。

 直也さんがどんな表情で戻ってきても、

 胸を張って迎える自分でいたい。


 “待つ” という行為を、誇りに変えるために。


 凛とした気持ちで息を吸う。

 その瞬間、心の中で一つの言葉が響いた。


 ――信じる、ということ。

 それは、誰かの無事を祈ることじゃない。

 その人が必ず戻ると、疑わずに思い続けること。


 今この部屋には、

 亜紀さんがいる。

 玲奈さんがいる。

 麻里さんがいる。

 侑里香さんがいる。

 莉子さんがいる。

 そして私がいる。

 みんな直也さんを待っているのだ。


 私はそっと目を閉じた。

 春の夕陽が、テーブルのグラスにきらめいていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ