第28話:難題の予兆(一ノ瀬直也)
窓の外の夜景が流れている。
街の光が、まるでフィルムの残光みたいに車窓を滑っていく。
――旅の終わり。
そんな穏やかな時間のはずだった。
ポケットの中で、スマートフォンが小さく震えた。
画面を見ると、加賀谷さんからのメールが届いていた。
件名は短く、本文も簡潔だった。
『月曜の夜、少し時間をもらえないかな?
五菱商事の洋上風力発電の件、聞いているだろうか。』
(……五菱商事、か)
缶のプルタブを開ける音が、車内のざわめきに混じって消える。
冷たい炭酸の泡が舌を弾いた。
再生可能エネルギーの中で、太陽光と並び注目されているのが風力発電。
だが、陸上型の風力は課題が多い。
――まず、騒音問題。
ブレードの回転音や低周波振動が、設置地域の住民との摩擦を生む。
――次に、景観破壊。
観光地や山岳地に立つ巨大なタービンは、地域住民の反発を受けやすい。
――そして、送電ロス。
発電地点と消費地の距離が遠いと、効率が落ちてしまう。
そうした問題を回避するために、ここ数年注目されているのが “洋上風力発電” だ。
陸地ではなく、海上にタービンを設置する。
風の安定性が高く、広大な設置スペースを確保できる。
何より、環境アピールには絶好の題材だ。
――その分、コストも桁違いに高い。
建設・保守・送電インフラすべてが海上前提。
採算性を維持するには、巨額の初期投資と長期契約が必要になる。
(恐らく、採算が合わなくなりつつあるんだろう)
加賀谷さんのメールの行間を読みながら、そうオレは直感した。
五菱商事が進めているのは、東北沖の複数箇所での大規模洋上風力クラスター計画。
そこに外資系ファンドも絡み、国の補助金も流れ込んでいる。
だが、資材高騰・海底ケーブルの輸送遅延・地元漁協との調整不備――
そのどれか一つでも破綻すれば、プロジェクトは一気に頓挫する。
(……そして、その穴を埋めるために “GAIALINQと統合” というカードを切ってくる可能性は高い)
GAIALINQには、すでに日米政府の巨額な公的支援が付いている。
再エネ×AIの象徴プロジェクトとして、国内外の注目を浴びている。
それだけに、政治的に“抱き合わせたい”連中は出てくる。
――設置予定箇所の自治体。
――その地域選出の国会議員。
――そして、その裏にいる業界団体。
(誰かが “救済” という名の支配を企んでいるな)
頭の中に仮説がいくつも浮かんで、そして同時に消えていった。
分析を続けようとしたが、途中でやめた。
この車内にいる仲間たちは、まだ旅の余韻の中にいる。
明るい笑い声。
空いた駅弁の箱。
ハイボールの缶が並んでいるテーブル。
――この時間だけは、守りたい。
そう思って、スマホをスリープにした。
メールの通知が消える。
缶を傾けて、静かに口に含む。
冷たい炭酸が喉を滑り、胸の奥で小さく泡が弾けた。
その瞬間、ふと隣からの視線を感じた。
「……直也さん?」
保奈美が、少し心配そうにこちらを覗き込んでいた。
彼女の瞳には、何かを察したような優しさが宿っている。
「大丈夫だよ」
そう言って微笑むと、彼女は安心したように頷いた。
「……よかった」
その一言が、やけに静かに響いた。
列車は滑らかに加速していく。
夜の闇に街の灯が流れ、星が滲む。
――たぶん、この平穏も、そう長くは続かない。
でも、守るべきものがあるからこそ、オレは戦えるのだ。
オレは缶をテーブルに置き、背もたれに体を預けた。
スマホを出し簡単に返信を済ます。
『加賀谷さん、月曜の夜ですね。……了解しました』
そのまま目を閉じる。
走る列車の音が、遠い波のように聞こえた。
※※※
新幹線が静かに減速し、アナウンスが流れた。
夜のホームの灯りが、窓の外をゆっくり流れていく。
「――次は、品川です。」
オレたちはそこで降りることにした。
他のメンバーとお別れして保奈美と莉子と三人、さすがに少し疲れた顔をしながら品川駅のホームに立つ。
まだ旅の余韻が残っている。
スーツケースのキャスターが床を転がる音が、やけに心地いい。
改札を抜け、タクシー乗り場へ向かう。
夜の風が少し涼しい。
列車の暖かさから抜け出すと、現実の空気が戻ってきた気がした。
タクシーの中で、莉子が静かに口を開いた。
「……直也くん、何かあったの?」
その声には、少しだけ迷いが混じっていた。
彼女も、何かを感じ取っていたのだろう。
オレは一瞬だけ考えて、穏やかに答えた。
「まだ何も分からないけれど、まぁ大丈夫だから。
明日は、莉子も完全にオフにして休め。
――また月曜日から頼むよ」
莉子は少しだけ目を細めて頷いた。
「うん……わかった」
タクシーを莉子の家の手前につけて支払いを済ます。
そのまま莉子とは手を振って別れた。
少し歩くとようやく自宅だ。
家の前に着いたとき、保奈美が大きく伸びをした。
「ふぅ……やっと帰ってきたね」
「そうだな。―― “家に帰るまでが旅行” だな」
そう言った瞬間、保奈美が吹き出した。
「もう、修学旅行を引率する先生みたい」
「まぁ、“直也先生” だったからね」
オレは苦笑して玄関の鍵を開けた。
夜の空気が少し冷たく、気が抜ける。
旅行の終わり。
けれど、来週からまた新しい戦いが始まるのだろう。
リビングの灯りをつけながら、オレは静かに思った。
(――みんなの笑顔を守るために、この次も負けられないな)
日曜日は、少しだけ休もう。
そして月曜日から、また現実が動き出す。




