第24話:未来への羅針盤(宮本玲奈)
チョークの音が、カツンと軽やかに響いた。
古い木の教室に、白い線が走る。
まるで時間が逆行したような光景だった。
でも、黒板に書かれていく内容は、まるで未来の講義。
直也――いや、いまこの瞬間だけは “直也先生” と呼ぶのがぴったりだと思った。
「さて――みなさん。
次の時代に向けて、人類が頑張って実現しようとしている “三つの素晴らしい技術” があります」
そう言って、先生は黒板に三つの円を描いた。
少し照れたような笑みを浮かべながら、チョークの粉を払う。
【核融合発電】
【量子コンピューター】
【AI⇒AGI(汎用人工知能)】
「まぁ、テストに出る訳じゃないので、気楽に聞いてください」
観光客の笑い声が起きた。
私たちもつられて笑ってしまう。
「この三つは、どれも “未来をより良くする夢の技術” です。
どれもまだ途中段階ですが、もしこれらが揃ったら。
――人類の歴史は、間違いなく次のステージに登ることができるようになります」
先生の声が、静かに教室の木の壁に響いた。
「けれども、これらを実現するのは、なかなか大変です。
核融合発電も量子コンピューターも、すぐには実用化できません。
――ただ、この中で一番早く実用化しそうなのはどれか。
みなさん、どれだと思いますか?」
観光客の中から、小さく声が上がった。
「……AIですか?」
「正解です!」
直也先生が嬉しそうに頷いた。
「そう。
AI、つまり “人工知能” ですね。
いまのAIは、すでに翻訳や画像生成、医療解析など、人間の脳の一部を真似する段階まで来ています。
そして、その延長にあるのが “AGI(汎用人工知能)” 。
これは、いろんな仕事や考え方を自分で学び、応用できる “人間のような知能” です」
保奈美ちゃんが小さく手を挙げる。
「えっと……そのAGIができたら、何が変わるんですか?」
「いい質問です」
先生はそう言って、黒板に矢印を二本引いた。
【AI】→【核融合発電】
【AI】→【量子コンピューター】
「AIの力を使うと、他の科学分野がもっと速く進むんです。
たとえば、核融合発電の中では、超高温プラズマの動きを制御するのがとても難しい。
でも、AIがリアルタイムでその動きを学習しながら制御を補助してくれれば、
より安全で効率の良い発電ができるようになります」
保奈美ちゃんが「へぇ〜!」と声を上げる。
他の観光客たちも、頷きながら聞いている。
「そして量子コンピューターも同じです。
さっき話した “揺らぎ” の世界――
AIがそのノイズを学習して補正することで、計算を安定させることができる。
つまり、AIは他の科学を “育てる基礎” にもなるんですね」
黒板の図が、少しずつつながっていく。
私の中でも、その線が一本ずつ意味を持ちはじめた。
「ただし――」
直也先生がチョークを止めて、少し表情を引き締めた。
「このAIには、ひとつ非常に大きな問題があります」
黒板の隅に、もう一つの単語が書かれる。
【電力】
「AIは、ものすごく電気を必要とするんです。
大きなAIモデルを一つ動かすだけで、小さな町が一日で使う電力量に匹敵するとも言われます。
だから、AIが増えれば増えるほど、そのための発電負荷は上がってしまうんです。
その結果―― “頭が良いけど、エコじゃない存在” になってしまうんですね」
麻里が思わず「たしかに、環境に優しくない天才みたいなものよね」と呟いた。
クスリと笑いが起きる。
「そうだね。
だから、これから大切になるのは “AIを動かすためのクリーンな電力” 。
そうすると、太陽光、風力、水力といったところが候補になります。
――ですが、これらはいずれも天候に左右されます。
晴れなければ――風がなければ――そして雨が少なければ、発電出来ない」
黒板の下に、もうひとつの円が描かれた。
【地熱発電】
「でも、地熱は違います。
地球の中心には、ずっと “熱” があります。
太陽が沈んでも、風が止んでも、雨が減っても、この惑星の内部は動き続けているんです。
まさに “地球が生きている証” のようなものですね」
その説明に、観光客のひとりが「なんかロマンがありますね」と笑った。
直也先生も笑顔を返す。
「ロマンがあるというのは、すごく大事ですよ。
科学というのは、本来は “希望の物語” なんです。
AIが進化しても、エネルギーがなければ動かない。
だから、AI時代の未来を支えるために――。
地熱という “確かな力” をもっと広げていくことが大切なんです」
チョークの音が再び響き、黒板に新しい言葉が浮かんだ。
【地熱 × AI = 持続する高度な知能のしくみ】
そこから核融合、量子コンピューターにも線が繋がっていく。
その構図を見た瞬間、私はなぜか少しだけ胸が熱くなった。
これはロジックなのに、人の体温が感じられる。
技術の話なのに、ちゃんと “人” の匂いがする。
(……やっぱり、直也は特別だ)
――そのときだった。
黒板の前で、チョークを置いた直也がふっと笑ったその瞬間。
教室の後ろの方から、甲高い声が響いた。
「……あっ! 一ノ瀬さん!? 一ノ瀬直也さんですよね!?!?」
一瞬、全員が振り返った。
声の主は、リュックを背負った青年。
手にはスマホを握っていて、
明らかに “気づいてしまった” 顔をしている。
「えっ? あの、GAIALINQの……?」
「本当だ! テレビで見たことある!」
「うわ、丸メガネしてたから全然気づかなかったけど……本物だ!」
あっという間に、ざわめきが広がった。
数十人ほどの観光客が、古い木の教室に押し寄せるように集まってくる。
(……うわ、マズい)
私は思わず小声でつぶやいた。
さっきまで静かな “臨時授業” だったのに、
気づけば完全に “ミニ講演会” どころか “囲み取材” モードになっている。
「サインいいですか!? 色紙ないんですけど、ノートでも!」
「写真、一枚だけお願いします!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて――」
亜紀さんが慌てて制止しようとするが、もう止まらない。
教室の外にも人が増え、明治村スタッフまで様子を見に来ていた。
そのとき、澄んだ声が響いた。
「はい、落ち着いてください。順番にお願いします」
鏡侑里香だった。
すっと前に出て、明治村の木の廊下に立った彼女は、
どこからどう見てもはいからさんの格好をした明治時代のマネージャー。
表情は柔らかく、声ははっきり通る。
「たしかに、こちらはGAIALINQの一ノ瀬直也COO御本人となります。
本来はプライベートタイムですが、ご本人のご了解もありますので、特別に応対させていただきますね。
安全のため、順番にお並びください。
写真はお一人一枚、サインはお一人ずつでお願いいたします!」
……お前は、顔バレした人気タレントのマネージャーかい!
私は心の中でツッコみながらも、あまりの完璧な采配に笑ってしまった。
「侑里香、すご……」
麻里が呆れ半分に呟く。
「まさかのマネージャーモード発動」
保奈美ちゃんはというと、目をまん丸にしていた。
「直也さん、すごい!
大人気だね!」
嬉しそうで、ちょっと誇らしげ。
さっきまで先生役だったお義兄さんが、今は大人気アーティストみたいに見えるのだろう。
一方、莉子はというと――。
明治風のはいからさんな格好のまま、そっと後ろに下がっていた。
(……うん、RICOバレだけは絶対に避けたい)
そう心の中でつぶやいているのが、表情だけで分かった。
「すみません、じゃあ順番にどうぞ」
侑里香の指示で、列が整然と動き始めた。
彼女の誘導は本当に見事だった。
柔らかく、でも一切ブレない。
企業イベントの現場に放り込んでも、即戦力レベル。
直也は照れくさそうに笑いながら、
一人ひとりに丁寧に応じていた。
「ありがとうございます。
……はい、こちらこそ。
ええ、頑張ってます。
応援してもらえると嬉しいです」
いつもの調子。
どんなときも穏やかで、礼儀正しく、
相手をちゃんと見て話す。
それだけで、場の温度がすっと整っていくのが分かる。
(ほんと、すごいな……)
私はその光景を見ながら、改めて思った。
直也は、どんな場所にいても “場” を作ってしまう。
話していた教室が、“授業” になり、
騒がしい人だかりが、“出会いの時間” に変わる。
――まるで、どんな世界も一瞬でチューニングしてしまう “調律者” みたいに。
「玲奈」
横から、亜紀さんが小声で囁いた。
「なんか……想定外に人が増えたね」
「ええ。もう完全にイベント状態ですね、これ」
「でも、悪くない光景だわ」
私は頷いた。
侑里香が穏やかに列を誘導し、
保奈美ちゃんが後ろでスマホを構えながら嬉しそうに撮影している。
そして莉子はバレないように物陰からそっと見つめている。
――明治村の教室の中で、令和のスターが囲まれていた。
黒板の上には、まだ残っている。
「地熱 × AI = 持続する高度な知能のしくみ」
それが、まるで今日の騒動のテーマみたいに見えた。
(……やれやれ。直也先生、大人気すぎるんだから)
私は肩をすくめて、静かに微笑んだ。
黒板のチョーク跡が、春の光に淡く溶けていく。
――あの瞬間、たしかに未来が、この教室にあった。




