第拾四之巻 君の名を呼ぶ声
更新しました。最後まで読んでくれたら幸いです。藤波真夏
翌朝。
陽は目を覚まし、焚き木を取りに向かった。村人全員が避難したため、村は人一人いない。
仕事を終えて屋敷へ戻ると、朝稽古をしている鎌清と顔を合わせた。
「おはようございます」
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「はい」
鎌清の手には木刀。朝日が昇って間もない時刻。普通はまだ人は眠っている。
「稽古ですか?」
「そうです。これでも剣術には自信がありましてね。弓に関しては主人の方が上手です。陽、暇なら練習相手になってくれませんか?」
突然の申し出に陽は大慌て。木刀さえ握ったことのない素人がやるのはどうか、と言う。しかし鎌清は何事も経験ですよ、と誘う。
「大丈夫です。初心者相手に本気は出しません」
鎌清は笑った。じゃ、じゃあと少し押され気味で陽は木刀を握った。二人で向かい合うと鎌清は緊張している陽に言う。
「陽。君から僕のほうへ打ち込んできてください」
「え?!」
「大丈夫です。攻撃は最大の防御と言うではありませんか」
陽は意を決して鎌清に突っ込む、鎌清は笑顔で陽の木刀をはじき返す。腰から落ちる陽を見て鎌清は言う。
「いい打ち込みです。陽には剣術の才能があるかもしれませんね」
「そうですか?」
「じゃあ今度は逆です。僕が打ち込みます。陽は避けるか抑えてください」
「え?! わかりました・・・」
朝から大きな声が聞こえて起きたのか、風神丸もイタチの姿でやってきた。大あくびをして目をこすり、こちらを見ている。
「陽め、朝っぱらからなにやっとるんや・・・」
風神丸だけではない。丹波も起きてきた。
「鎌清! 朝稽古か?」
丹波が呼ぶ。すると鎌清と陽は一礼をした。
「はい! 陽に相手になってもらっています!」
「なに? 陽は剣術なんてやったことないんじゃないのか? 怪我させたらどうしてくれる? 未来を担う若者だぞ?」
「そんな僕が本気で打ち込んだら大変です! 少しは加減を調整してます!」
丹波は大笑いした。そしてさあ早く稽古を続けてくれと付け足す。その様子に風神丸も笑っていた。お手並み拝見やな、と陽を見つめた。
鎌清と陽が向かい合う。
「陽。準備はいいですか?」
「は、はい!」
上ずった声で陽は返事をした。鎌清は少し加減をして打ち込んでくる。すると陽は木刀を縦にしてするりとかわした。これは初心者では到底真似ができないものだ。
「?!」
これには鎌清も見ていた丹波らも驚きを隠せない。避け方が見た者を魅了した。陽は振り返ると驚いた表情の鎌清がいた。一体なにが起きたのかわからない。
「どうしたんですか?」
鎌清はハッとなってよく避けられましたね、と絶賛した。陽は礼を言うと廊下に風神丸を発見する。
「風神丸!」
風神丸は呼ばれて定位置の肩へ乗る。そして他の畑の手伝いに行ってしまった。残された丹波と鎌清は目を合わせて言う。
「鎌清。見たか?」
「はい。しかとこの目で見ました。あの避け方といい木刀の使い方といい、初心者ではないようです」
「まるで踊り子のような、動き方そのものが美しい。まるで藤原千智のようだ」
丹波が放った言葉「藤原千智」。この名は武士の中で知らない者などいない。当然鎌清も知っている。
「あの若き軍神藤原千智と言われればそうか、となります」
「まさか・・・な」
その噂は畑仕事を手伝う陽がくしゃみをするほど。陽は鼻をすすりながら風邪でもひいたかな、と独り言をつぶやくのであった。
丹波と鎌清は陽のこともあり改めて藤原千智のことを話していた。それは武士の家に生まれたら必ず聞く若武者の物語だ---。
かつてこのヒノモトに藤原千智と呼ばれる若者がいた。彼は真面目で教養も秀でてミヤコの公家たちもひれ伏す完璧な若者だった。さらに武術にも秀でており彼の姿はまるで踊り子のように美しかったという。
ところがあの大君がアヤカシを退治した戦で討ち死にしてしまった。千智の死には大きな謎が残っており、討ち死にはあくまで伝承。本当のところは未だにわからない。それから彼は若き軍神として後世にまで伝えられるようになったという。
二人はしばらく千智の話題でもちきりになった。
「藤原千智のことって何に書かれているんですか?」
「ミヤコの朝廷内書庫だ。あそこは不出のものもあるらしく、そう簡単には見せてくれないぞ」
大君の家系図や出生の記録なぞが管理されている書庫。あの中には国宝級の書物が多数所蔵されている。しかし今となっては千智の死の真相は闇の中だ。
「きっと陽には武術の才能がある。鎌清、陽に剣術指導などしてはどうだ?」
「興味もないのにやらせていいのですか?」
「無自覚の才能だ。開花させてやろうじゃないか」
丹波の誘いに鎌清は頷いた。
その夜。陽は布団の中に収まり寝ようとしていた。風神丸もイタチの姿で丸まり眠りにつく。睡魔が襲い陽は大きなあくびをした。目を閉じて意識を手放そうとした次の瞬間、
陽。聞こえるか?
聞き覚えのある声で陽の睡魔は一気に吹き飛んだ。風神丸はぐっすり眠っている。どうやら自分だけに聞こえているという答えにたどり着いた。
「もしかして十六夜か?」
陽が独り言をつぶやいた。その言葉に返事を返すようにまた声がする。
陽。無事だったんだな。
少しぶっきらぼうだが陽を心配する声。これはまさしく十六夜の声に間違いなかった。自覚し始めた瞬間、陽の目から涙が溢れる。
「十六夜・・・! 君の声が聞けて嬉しい! お願いだ、俺に姿を見せてくれ・・・! お願いだ!」
できない。
「なんでだよ?!」
私の体はまだ封印の術に囚われてる。でもお前が毎日声をかけていたおかげで、少し術が弱まっている。おかげで声をこうして飛ばせる---。
陽は布団から飛び起きて屋敷を抜け出し、森の中へ入る。裸足で息を切らし十六夜の元へ向かう。目の前に十六夜の封印されたご神木が見えてきた。すると、目の前にささっと影が現れる。
「若造」
長を筆頭としたアヤカシの集団が立ちはだかった。陽は初めて森に入り禁忌を破り長から警告を受けていた。長に見られてしまったからにはもう命の保証はどこにもない。
「言ったはずじゃ。もう森には入るなと。また入ったらお前を殺すと」
長が手を挙げると弓矢を向けている。丸腰の陽にひどい仕打ちだ。
「でもアヤカシの罪を全部十六夜に押し付けて封印するのもどうかしてると思うけどな!」
陽は勢い良く走り出した。逃げると思ったのか、長はついに弓矢を放つように命じる。風を切り陽めがけて飛んでくる。武器も鎧もつけていない陽はただ必死に逃げた。
木陰に隠れ息を整える。アヤカシは暗闇でも目が利く。一方昼間の世界を主として生きる人間の陽は暗闇に目が慣れず苦戦していた。
「出てこい。禁忌を破った人間を地獄に突き落としてやる」
長が怒りに身を任せている。陽はまた動き出す。走り出して逃げる。また弓矢が放たれる。そしてついに---。
「っ?!」
陽の肩に弓矢が刺さった。ものすごい激痛が陽を襲う。今までの痛みとは比べものにならない痛みだ。これが戦場の武将の気持ちか、と悟る。刺さった傷からはじわじわと鮮血がにじむ。腕を伝ってポタポタと垂れる。
負傷した陽はご神木の裏に隠れた。肩を押さえて痛みに耐えている。動けなくなるのは時間の問題だった。長は地面に落ちた陽の血を見て笑う。
「取り逃がすな。人間は手傷を負っている。見つけ次第、殺せ---」
アヤカシたちは森の隅からすみまで探す。運良くアヤカシたちはいなくなり静寂に包まれた森に陽の荒々しい呼吸音だけが聞こえた。
「くっ・・・!!」
陽は自力で弓矢を抜いた。邪魔者は取れたものの出血は止まらない。
「十六夜・・・。そこにいるだろ? 俺は自分の運命がようやく見えてきた気がするんだ。俺はお前を助けたい---」
陽がご神木に背中を預けて寄りかかる。その反対には十六夜が封印されている。ご神木越しの会話---。今十六夜を見たら涙が出そうで怖い。
陽が動き出そうとすると足に蔦が引っかかる。外そうにも外せない。蔦は陽を縛り空中に浮かせる。陽の姿が月下にさらされた。
「ついにネズミを捕えた」
長がニヤリと笑う。もう陽には体力がほとんど残っていない。
俺、死ぬのか・・・。これほどのことをしたらそりゃあ狙われるわ・・・。十六夜、悪い・・・。俺、お前に・・・。
長の刀が陽の体を真っ二つにしようと刃をこちらへ向ける。
「さらばじゃ」
長の刀が投げられた。もう逃げられない。覚悟を決めろ。
絶望に包まれた陽が目を閉じた次の瞬間、
カチン!
刀が何かに弾かれる音がした。なんだ?! と慌て出す。するとお屋敷のほうから走る人影が二つ。長らの目の前には一人の若武者。
「地獄に落ちるのはお前だ」
刀を長に向けて構えているのは丹波の家臣鎌清だった。そして奥から急いで走る小百合の姿も見受けられた。
鎌清と小百合の夫婦が危険を察知し森まで乗り込んできたのだ。小百合は元アヤカシで森の構造は熟知している。小百合は銀色の髪を束ねて弓矢を向ける。髪色を見てアヤカシたちはすぐに気がつく。
「お前はアヤカシ木霊?! なぜ人間と一緒にいる?!」
「うるさい! 私が決めた道だ。そんなことより、少年を返してもらおうか?」
アヤカシと鎌清と小百合が戦いに入り乱れた。互いの力は互角。しかし小百合や鎌清のほうが一枚上手だ。アヤカシたちをどんどん気絶させていく。陽も蔦から解放されて十六夜のそばへ向かう。
夫婦が背中を合わせ互いに信頼し合い戦う姿はとても勇ましかった。陽は傷を抑えながら十六夜のそばへ向かう。陽は十六夜の頰を血で汚れてしまった手で覆った。
「十六夜・・・、俺の・・・声が、聞こえるか?」
聞こえる、お前の声が・・・。
十六夜は心の中で泣いた。自分を照らす太陽が目の前にいることに嬉しさを覚えて。
「目を覚ませ! 十六夜!」
陽が叫ぶ。すると肩から腕へ垂れている陽の血が十六夜を封印している枝に三滴落ちた。すると十六夜を包んでいた枝はみるみるうちに剥がれ、十六夜を神々しい青い光が包み込んだ。
十六夜が完全に封印から解放された証だった。
「封印を解いただと?!」
長が呆然としていると小百合が長を怯ませた。鎌清と小百合は急いで陽と十六夜の元へ向かい二人を保護した。
森の外へ急いで逃げると人間の世界を恐れてアヤカシたちは追ってこなかった。息を切らして言う。
「十六夜が人間の手に渡った・・・。このままでは」
追っ手がこないのを確認して息を整えていると陽はなぜ気づいたのかと聞いた。
「小百合のおかげです」
「?」
「小百合がお前のうめき声を聞いたんです。そしてそれを主君に伝え、小百合とともに参上したというわけですよ」
小百合は銀色の髪を陽に見せた。その色は到底人間では作り出せない。もしやと思い聞くと小百合は少し笑った。
「私は元々アヤカシだった。木霊といって遠くの音や声が聞こえるんだ」
小百合はアヤカシだったことを聞いて陽は驚いたのと同時に頭を下げて礼を言った。小百合は大丈夫だ、とたしなめる。
「歩けるか?」
「大丈夫です。先に帰っててください」
陽は鎌清と小百合にそう言った。鎌清と小百合はわかった、と屋敷へ帰った。陽の腕に抱かれた十六夜は陽に揺すられて目を覚ます。
「陽?」
「よかった・・・! 無事で!」
陽が十六夜を優しく胸に抱く。涙が溢れる。肩の痛みも忘れてただ十六夜がそばにいることを再確認するかのように愛おしそうに抱いた。
「・・・ほんと、変な人間」
十六夜は口ではそう言っているもとても感謝していた。肩の真っ赤な傷に目が止まり止血しなければと動き出す。着物を破り布を肩に巻きつけた。
「イテッ」
「なんでこんな危険な真似をした?! 下手をすれば死んでいたんだぞ?!」
陽はすまん、と謝る。また怒られて冷たい視線を向けられるのか、と思いきや、陽が十六夜の顔を見ると、
「---!」
十六夜の緑色の瞳が月の光に映え、涙を浮かべて笑った。
「お前が無事で・・・よかった」
十六夜が今まで誰にも見せたことがない万年の笑み。陽は嬉しさと愛しさでいっぱいになった。
月だけが優しく二人を見守っていた---。
最後まで読んでくださりありがとうございました。感想、評価等、よろしくお願いします。藤波真夏




