第2話:王都の薬匣
宮廷に着いた翌朝、私は新しい生活のリズムに少しずつ慣れつつあった。
薬匣は思ったより広く、棚には無数の瓶が並ぶ。瓶の中には乾燥した草、粉末、液体。色も匂いも、形もさまざまだ。
「瑠璃、今日はここを整理してくれ」
年長の薬師が指示を出す。下働きは、ほとんど雑用だ。掃除、整理、薬草の計量。患者の世話も、下位の仕事は手伝い程度しか任されない。
だが、私は匂いに敏感だ。瓶の並びや、棚の埃の匂いを嗅ぐだけで、誰がどの薬を触ったか、どの薬が古いか、だいたいわかる。
「……ん?」
棚の奥から、微かに甘い香りが漂う。誰も触っていないはずの瓶から。
嗅覚の記憶を手繰ると、昨日の夜、宮廷の側近の一人が通った通路の残り香と重なる。甘く、少し薬草の苦味を含んだ香り。普通の薬では出せない匂いだ。
その時、低い声が聞こえた。
「瑠璃……か?」
振り向くと、書庫の若い学者が立っていた。背筋を伸ばしたまま、私をじっと見つめる。
「……なぜここに?」
「匂いで気づいた。君が宮廷にいることは、すぐにわかった」
淡々と言う彼の目には、好奇心と警戒心が入り混じっていた。
書庫の若者――名は蒼。宮廷の古書や薬の記録を管理する役人だ。彼もまた、匂いを読むことができるらしい。私と同じく、人の痕跡や薬の履歴を嗅ぎ分ける。
「これ、君の仕事?」
彼は私の指先を見て微笑むように頷いた。
「はい。下働きですけど、匂いで薬の痕跡を読むのが私の仕事です」
「面白い。君の嗅覚、少し試させてもらえないか?」
私の手にある小瓶を彼に差し出す。蒼はゆっくりと鼻を近づけ、瓶の匂いを嗅ぐ。
「なるほど……ただの草ではないな。これは誰かが混ぜた痕跡だ」
「……そうです。昨夜、宮廷の側近の一人が触ったはずです」
蒼の眉が少し動く。
「なら、注意しておくべきだ。宮廷の薬は、時に命を左右する」
その時、遠くの通路から声が聞こえた。
「瑠璃、側近が……倒れた!」
私と蒼は顔を見合わせ、同時に駆け出す。
廊下を抜けると、若い側近が床に横たわっていた。顔色は悪く、微かに汗の匂いが混じる。
「大丈夫か……!」
医者が駆け寄る。私は匂いを嗅ぎ分け、側近の体を観察する。甘く苦い薬草の香り……。これは、ただの食中毒ではない。
胸がざわつく。私の力が、今、事件の匂いを捕えた――この宮廷で、初めて本格的に使われる時が来たのだ。
匂いは嘘をつかない。誰かが、何かを隠そうとしている――そしてその痕跡は、私の鼻に、はっきりと残されていた。




