26
砂が津波のように舞い上がり、中から大きな蠍の姿をした魔物が現れた。振り返ったときには尾の先端の尖った部分がフィーネ目掛けて襲いかかってきていた。
避けられない!
確か蠍は毒を持っていたはずだ。刺されたら一溜りもない。光の布を出して攻撃を回避しようと粒子を出すと、地面から今度は大量の水が吹き出して蠍をひっくり返した。
壁のように立ち上がった水が空中で静止したのち、針のように細長く形状を変化させ腹を見せて動けなくなっている蠍に突き刺さる。まるで針山みたいだ。全ての水滴が刺さると針状のものは形を保てなくなったのか地面へ落ちて砂が次々に吸収していった。その向こう側に水色の髪をした女性が結った髪をはためかせ立っていた。
彼女が水を操ったのだろう。水の竜の乙女にちがいない。皆が反応できずに唖然とする中、女性は素知らぬ顔で魔物に近づいて体をナイフで解体していく。その手捌きから普段からよく行っていることが伺える。
「あ、ありがとうございます!」
「…」
フィーネが小走りで彼女の邪魔にならない位置まで近づいて頭を下げるも返事はなかった。黙々と作業する彼女へ負けじと言葉をかける。
「砂漠は初めてで、あなたはいつもこんなのを倒しているんですか?」
「…金のためだ。お前はさっさと帰んな。子供が理由もなしにくる場所じゃない」
解体を終えて袋に詰め始めるとようやく話をしてくれた。言葉と声は冷たいものの、内容はこちらを心配していることが感じられた。
女性が立ち上がって踵を返したとき、きゅっと裾を掴んで問いかける。
「あなたが水の竜の乙女なんですよね?私たちも竜の乙女なんです。魔物の元凶を絶つために一緒に来てくれませんか?」
「俺には関係ないことだな」
女性はさっと袖を振って歩いていってしまった。背後ではフレイヤたちの当惑や怒りの声が聞こえる。ぼうっと女性が消えていった方を見ているとラクスが隣まで飛んで来た。
「ね、いったでしょ。来てくれないって」
「理由は知ってるの?」
「ううん、僕もあしらわれたから詳しく知らない」
「ならついていって確かめるしかないわね」
フレイヤが横から顔を出していった。
「イエリナのときみたいに、説得するしかないでしょ」
突然名前を出されてきょとんと首を傾げたあと、はっと顔を引き締めてがんばる!とイエリナが答えた。本当に理解しているかは不明だが。
テラーは疲れてファムの背中で寝てしまっていた。一向は女性が消えていった方角へ歩みを進める。先ほどまでの淡々とした歩みに比べて、対象を視認したあとの足取りは暑くても比較的軽やかだった。知りたいという思いは足の怠さを少し軽減してくれる。
やがて周りにぽつぽつと緑が見え始めた。砂漠でも生きることができる植物なのかもしれない。そのまま暫く歩いていくと町が見えてきた。土でできた平坦な建物が立ち並び、人々が物を売り買いしているところが観察できる。
さっそくさきほどの女性を探し始める。金のために魔物を倒していると言っていたため換金場所などに行ったか、もしくは家へ帰ったか。道行く人に尋ねても無視されるか軽くあしらわれるかのどちらかだった。
「…よそ者とかかわり合いになりたくないんだろう」
「よくも悪くも閉鎖的ってことね」
ひとまず休憩も兼ねて食事をとることにした。近場の食事処へ入るとガラの悪い男たちが下卑た表情でこちらを見てきて鳥肌が立つ。話しかけてこないのはファムのおかげかもしれない。一人男性がいるだけで厄介ごとを退けられるといっていたエレツのことが思いうかんだ。
席についてまず水を頼むと、それにも金がかかるらしい。砂漠ゆえか他の町との差を感じた。メニューの値段も他所で見た値段の倍ほど高くて目を見開いたが仕方あるまい、と己を納得させていくつか注文した。
テラーは席についてすぐ水を飲むと幾分顔色がよくなる。頻りにファムにお礼をいっていた。やがて料理が届いたため皆、食事を始めたがはっきりいってあまり美味しくなかった。砂漠の真ん中であり魔物も活発化しているせいか、物資も思うように届かないのかもしれない。食事が好きなイエリナは眉間に皺を寄せながら食べていた。食事を残さない精神は感嘆する。
バン!
勢いよく扉が蹴破られ、喧騒が静まり返り一斉にその場にいた全員が入り口を見た。そこには水色の髪の、フィーネたちが探していた女性が額に青筋をたててある者を睨んでいた。声をかけるのも躊躇われる殺気に当てられて、フォークを置くことも忘れてただじっと見つめていた。
女性はずかずか入ってきて脇目もふらず一直線にカウンターで酒を飲んでいた毛深い男性の前で止まった。
「…前に忠告したよな。俺の家族に手を出したら容赦しないって」
「アァ?金はやったんだから問題ねぇだろ」
顔の皺をより深くした女性が男の胸ぐらをむんずと掴んだ。
「もういい」
「ノルちゃん、物は壊さないでね」
カウンターの向こう側にいる店主が女性に釘を刺すと、彼女はわかってると視線だけを動かして言った。ノルと呼ばれた女性が指をぱちんと鳴らすと突然男の顔が水で包まれて、男は苦しそうに水をかきむしり始める。しかし水は彼を嘲笑うようにぐにょんぐにょんと指を避けるため、水の拘束がなくなることはない。
止めようと立ち上がろうとしたらフレイヤに腕を押さえられて防がれる。フィーネは小声で抗議した。
「ねぇ、あんなの見過ごしていいの!?」
「ここで私たちは完全にアウェーな存在なの。厄介ごとに巻き込まれるのは避けたいわ。それにラクスがまだ彼女を乙女と認めているんだもの。あたしたちがとやかくいう必要、ないわ」
キッとラクスを見るとのんきに食事を続けていた。興味なんて一ミリもありません、といいたげな表情。
「ごろつきを制裁することのなにが悪いのかな。彼女は忠告したといっているし、報復することはいけないことじゃないと思うよ~」
今日の天気の話をするみたいに、何てことはないというような口調だった。人が一人死ぬかもしれないというのに、考えの違いを受け止められずにいた。
ごぽごぽと息を止めることができなくなり、男の口から空気が出て水のなかに消えていった。やがて何も口から出さなくなって数秒してばしゃんと水が重力に従って落ちると共に男の体も力なく地面に崩れ落ちる。
ノルは男に一瞥もくれずに店を出ていった。周りの男性たちが倒れた男の身ぐるみを剥ぎ、素っ裸にして外へと連れ出した。彼らは死んだ男の者を奪っていたのだ。外から犬の鳴き声がした。もしかしたら犬は男の体を…と想像して胃液が逆流しそうになり慌てて口を手で覆う。
それ以上食事を続ける気力がわかなくて、フィーネはノルの後をつけることにした。




