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きゅん
小さな可愛らしい声が路地裏から聞こえてきて、フィーネは声のするほうに歩を進めた。路地裏には小さな犬のような、猫のような、手のひらサイズの初めてみる黒い動物が少年たちに囲まれていじめられていた。ぼろぼろで震えている動物があまりに可哀想だ。
「やめて!なにしてるの!?」
ずんずん少年たちの輪へ突き進み動物をさっと抱き上げる。少年たちは舌打ちをして睨みつけてくる。
「関係ないだろ、すっこんでろ」
「痛い目みたくなけりゃ置いてきな」
少年たちに凄まれても動物を手放さないフィーネに痺れを切らしたのか、一人の少年が拳を振りかざした。殴られる!と目をぎゅっと瞑り衝撃に備えたが一向に痛みはやってこなくて、恐る恐る目をあけるとイエリナが少年の首根っこをつかんで持ち上げていた。
「フィーネ、殴るのだめ!」
イエリナはぐるんっと少年を地面へ叩きつけるとフィーネの前で庇うように仁王立ちする。ふんっと息巻いている。イエリナは腕力脚力体力全て突出しており、そんじょそこらの男にだって負けないのだ。加減をしていなければ少年は血が出ていたかもしれない。
イエリナに恐れをなした少年たちは覚えてろ!や許さないからな!など捨て台詞をおいて逃げていった。
「ありがとう、イエリナ」
「フィーネの怒ってる声、聞こえたからきた!」
褒めて褒めてという幻聴が聞こえてきそうな様子のイエリナの頭をありがとう、と撫でる。動物とイエリナの視線が絡むと途端に彼女の眉間の皺が深くなり、唸り始めた。
「イエリナ?」
「なんか、そいつ、やだ」
やだとは具体的に何が?とは思うもののイエリナは直感で発言することが多いため説明を求めても難しいだろうな、と思った。
「やだっていわないで。こんなに小さいのに苛められてたんだよ?可哀想でしょ」
可哀想発言に首を傾げるイエリナ。自然で生きてきたイエリナにとって、可哀想という言葉は縁遠いものなのだろう。さっぱりわからないという顔だ。
フィーネはぷいっと踵を返しイエリナを置いて大通りへと歩いていった。
「…なんか変なの。小さい、でも強い感じ」
イエリナが溢した声はフィーネには聞き取れなかった。
早めに待ち合わせ場所の泊まる宿の近くまできて助けた動物と遊んでいた。あとからゆっくりやってきたイエリナは頬杖をついてその様子を観察している。普段なら一緒に混じるのに不思議なこともあるものだ。そんなに嫌なのか。
おいかけっこをしたり、ブラッシングをしたり、お腹が空いていたようなのでパンを買って与えたりしていると他の皆も続々とやってきた。
「何、その子」
「苛められてたから助けたの」
フレイヤは仕方ないとでもいうように顔を振り、旅には連れていけないから返してきなさいといった。確かにいつ魔物が襲ってくるかわからない旅路に小さな動物を連れていくことはできない。フレイヤの言葉も最もだった。
「明日、出発する前に放すからそれまで一緒にいてもいい?また苛められちゃうかもしれないし」
「…必ずよ」
フレイヤの許しがでてほっとする。もう少しだけ一緒にいられることができて嬉しかった。明日までにもっと元気になってもらわないと。
テラーが恐る恐る頭を撫でたり、アースとルブリムが頻りに匂いを嗅いで首を傾げたりしていると宿の夕飯の準備ができたようで慌てて部屋へと戻った。
食事のあと、順番に風呂に入る。フィーネは動物の体を一緒に洗った。タオルで拭いて乾かすとふかふかの毛へと様変わりした。
思わず顔と手を柔らかい体へ押し付ける。なんて極上のひとときなんだろう。フレイヤが半目で見てきたが気にしない。むしろこの素晴らしさを共有できないことが残念だ。
もちろん寝るときも同じ布団だ。動物はフィーネにすり寄ってきてとてもかわいい。
「明日にはお別れだね」
物悲しそうにきゅんきゅん鳴いていて心が痛む。それでも連れていくわけにはいかないため、ぎゅっと強く抱き締めて寝た。
朝起きると抱き締めて寝ていたはずの動物はとっくに起きて食事をとっていた。テラーが用意してくれたらしい。
「フィーネが一番最後ね」
「えっ!?イエリナは?」
「イエリナ、もう起きた!」
イエリナは腰に手をあててえっへんと胸をはり、得意気だ。ちぇっと思いつつ身支度をする。なんでも鉄臭くて目が覚めてしまったらしい。イエリナは嗅覚も優れているため、匂いにも敏感だ。鉄臭い?と思ったもののあまり気にせずふぅんと返事をして席についた。
皆で黙々と朝食をとっていると外から悲鳴が聞こえる。窓から身を乗り出して悲鳴がした方を見ると路地と建物が血に染まり、血の中心あたりに真っ赤に染まる物体があった。その近くに腰を抜かした女性がいる。先ほどの悲鳴は彼女のものだろう。
急いで部屋をでて女性に駆け寄る。女性に怪我はないようだ。ファムとフレイヤが真っ赤に染まる遺体を確認すると数人の少年の体だった。少年数人が皮を剥がれ、爪のようなもので肉を抉られて四肢は切断されている部分もあるぐらい残忍に殺されていたのだ。
先ほど食したものが出てきそうで慌てて口を塞ぐ。見ていて気分のよいものではない。そうこうしているうちに悲鳴を聞き付けた自衛団がやってきた。
「…恐らくこれは、魔物によるものだ」
ファムが遺体の傷を指差して自衛団に説明する。だが昨晩結晶が破られた形跡がないためいつ、どのような魔物が入ってきたかわからないとのことだった。侵入経路も被害の小ささもあまりに奇妙だ。ひとまず遺体の後処理は自衛団に任せることにした。
「でもどこに隠れているのかな、まだ町を出ていないよね」
「そうね、痕跡が見つかればいいのだけれど」
「イエリナ、匂いで辿ってみる!」
イエリナが手をあげて提案する。この周囲は血の匂いが充満していて魔物の匂いがわからないため、魔物の毛など何か匂いがわかるものを皆で探した。
フィーネが抱いていた動物が腕から抜け出してある場所へ駆けて、これだよ!というように顔を向けた。そこには数本の動物の毛が落ちていた。拾ってイエリナの鼻先に近づけてみるとこくりと頷いた。これが使えるらしい。
あとを辿ろうと足を踏み出した瞬間、バタバタと複数人の足音が路地に響いた。男性や女性の泣き叫ぶ声。少年たちの親のようだった。泣きわめいて真っ赤な遺体にすがり付こうとする親たちを自衛団が止めていた。
原形をとどめていない状態だったので、自分はあまり感情を揺さぶられていなかったが親からしてみたらショックだろう。もしかしたら魔物との戦いや犠牲を目の当たりにしていた日々で感覚が麻痺しているのかもしれない、とフィーネは思った。止められた親たちは近くにいたフィーネたちに標的を変えて喚きちらし始めた。
「なんで助けてくれなかったの!?あなたたち、竜の乙女なんでしょ!?助けられたはずじゃない!」
その言葉は前に自問自答したときと同じ内容だった。今同じことを自分に対して責めるかと問えば、答えは否である。
「あたしたちは神様でもないし、全てを助けられるわけではないわ」
フレイヤのいう通りである。今ならフィーネも自身にそう言い聞かせることができる。私たちは乙女として力が使えても元はただの人である。
フィーネはフレイヤの前で自分達を守る、ファムの脇から親たちを見つめて屹然とした態度でいった。
「亡くなってしまった人はもうどうすることもできないけど、これから亡くなる人を減らすことはできます。私たちが魔物を探して倒します」
だからどうかそのやるせない怒りの矛をおさめてほしい。
自分の子供ぐらいの大きさのフィーネに諭されたせいか、親たちは泣き崩れて嗚咽を漏らしそれ以上批難の声が刺さることもなかった。
フィーネたちはイエリナのあとに続いて歩いた。路地を何度も曲がったり、道なき道を進もうとするイエリナを見逃さないように遠回りしたりしていたが一向にみつからなかった。しかもその最中魔物に襲われたものもいない。ほとほと困ってしまった。
「…相手もこちらの行動に対して移動している」
「なら挟み撃ちするしかないわね」
「イエリナ、できる?」
うーんと悩むイエリナ。あまり頭を使うことは苦手なのだ。ファムが紙に簡易の地図を書く。そして自分たちがいる場所を示し、相手がどこにいるかイエリナに尋ねた。イエリナはそっと私たちから見て二つ目の十字路を右に進んで次の曲がり角を左に曲がったところを指で指す。
相手がいる場所は一本道のため、イエリナとフィーネ、テラーは先ほどと同様道なりに沿って接近し、ファムとフレイヤは反対側から道を塞いでもらうことにした。
心配そうに鳴く動物を大丈夫だよ、と撫でながら目的地へ駆ける。二つ目の十字路を右に進み次の曲がり角を左に曲がると、建物二階のベランダで優雅に毛繕いしている掌サイズのムササビみたいな飛膜を持つ魔物がいた。
イエリナが木を伸ばして接近しようとすると、気づいた魔物が空を飛び反対方向へ逃げた。その瞬間、待ち伏せしていたフレイヤが火の矢を放つも寸でのところで躱されてしまう。前にはフレイヤ、上にはイエリナとなると魔物は小さなフィーネがいる後ろから逃げようと方向を変える。
はっと気づいたときにはすぐ目の前まで魔物がきており、動物を抱えていたフィーネは両手が塞がっていて咄嗟に行動できなかった。爪でひっかかれる!と思った瞬間に抱えていた動物が腕から這い出てフィーネを爪から守った。
「…ああっ!!」
地面に叩き落とされた動物はきゃんっと鳴いてからぐったりと横たわっている。ひっかかれたところから血が滲み出ていた。しゃがんで動物に近づくと魔物はフィーネの上を通り抜けた。テラーが土の壁で道を塞ぎ行く手を阻む。フレイヤとファムがそれぞれ槍と剣で応戦するも小さくすばしっこいためなかなか当たらない。
フィーネはまず動物に手をかざして傷を癒すとゆっくりと立ち上がり振り返る。無表情な瞳で敵を捉えると、下げた手から光の布を産み出して魔物を追う。
動きは速いが眼で追えないほどではない。眼のみで敵の動きを把握して布を魔物の周囲に緩く配置させると一息に締め上げた。まるでボールのような状態だ。ぽんぽんと地面に落ちて布がはらりと開き、霧散すると中から魔物のもととなったムササビが現れた。
「…安らかに」
ムササビを布に包んで土に埋めよう。その前に動物を、と振り返るとそこには誰もいなくなっており血痕のみがあった。
「イエリナ、ここにいた子、どこいったかみてない?」
「イエリナ知らない」
首を横にぶんぶん振った。怪我は治したがすぐに動くのは難しいのではないか?
「いいじゃない。怪我も治した後だし、いないってことは元気ってことよ。それに連れてもいけないんだから、後腐れなくていいんじゃない?」
フレイヤの言葉に渋々首肯する。元気な様子を見てから出発したかったな、と思った。
自衛団に事の顛末を説明したあと、ムササビを土に埋めて町を出た。
フィーネたちが町を出発したあと、彼女たちを批難していた親たちが子供と同様に殺されたことを知る由もなかった。




