孤児院へいこう
「じゃあリニューアルってやつは半年後になるんだね」
屋敷に戻ってからベルガーナさんと執事のユークさんに、今日のホワイト商会での話し合いの結果報告をした。
私の計画が概ね認められたという事で、資金面の支援も確定した。
「この件は私からラヴィオラ様に報告しておくけれど、いいかい?」
「でしたら迷宮の書籍管理区画のスケルトンメイジ達に魔力補充の仕事を依頼したいので、その許可ももらってきて下さい」
使用済み生活魔法の書の再利用とリニューアルする店舗の設備に魔石を多く使うはずなので、その経費を浮かせる為にも彼等はどうしても必要なのだ。
魔道トイレ開発が成功した場合、当然店舗に設置するそれにも魔石は大量に必要になるしね。
「しかしトイレねえ。そんなものに力を入れて何になるのか知らないけれど、ホワイト会頭も押してるみたいだし、やってみなよ」
ベルガーナさんには魔道トイレの良さは伝わらなかった。
「それと、天性について書かれた本をお店で見かけたんですが、どうすれば自分の天性を知ることができるのでしょうか?」
「どうしたんだい、急に」
「私は転生者なので、自分がどんな力を持っていて何が出来るのかを全く知らないんですよ。だからそれを知っていれば、もっと何か出来るかもしれないなあと」
天性とはいわゆる技能とかスキルとかいう類いのもので、この世界にもそれは存在するらしい。この問いにはユークさんが答えてくれた。
「人は成人の儀の際に一度だけ、教会で自身の天性の確認をするのが通例になっていますな」
「じゃあ教会へ行けば分かるって事ですか?」
「はい、ですが我らアンデッドは教会の仇敵、それに教会の敷地内は治外法権でこの国の法律も及びませんから、行けば確実に血が流れる事になるでしょう」
「…」
「ユキ、教会ってのは正確には正教会ていうのが正しくて、人間至上主義の教義を掲げて布教を行っている集団だよ。関わらない方が良いよ」
「じゃあどうすればいいんでしょう」
「深淵の迷宮の眷属の一人、ナガレン様であれば天性を見る力をお持ちではないでしょうか」
「そうなんだ。じゃあベルガーナさん、その事もついでに伝えておいて下さい。今度お伺いしますって」
「ああ、分かったよ」
* *
翌朝、いつもの坂道を両手を広げて風をきりながら駆け下る。
「おはようございます」
王都本店へ元気よく出社、まあすぐに出かけるんだけどね。
トゥーバイさんは二色の紐束が大量に入った袋を背負って現れた私にピクリと眉を動かした。
「嬢ちゃん、それで何をするんだい?」
「するのはトゥーバイさん、あなたです」
「はあ?」
「ホワイト商会との話し合いの結果、このお店は一般客向けの店舗へと改装すると決まりました。それでここの専門書を今の四分の一程度に減らします。トゥーバイさんは棚に必須の本に赤紐、お店の倉庫で保管する補充本に黒紐、紐無しは倉庫街送りという具合に本の選定の目利きをして下さい」
「期限は?」
「七日という所で」
「けっ無茶言いやがる」
そっぽを向いてキセルをふかしだしたトゥーバイさんに私はグッと親指を立ててエールを送り、次の用件を片付ける為にお店をあとにした。
トゥーバイさんは出来ないとは言わなかった。あれはできる男が言う台詞だよ。きっと。
今日の私の仕事は、トゥーバイさんの選定した大量の不要本を倉庫街の倉庫まで運び込む荷物運びの人足の確保だ。
ホワイトさん曰く、プロの荷運び人はすでに各商家が専属で抱えており、新規で見つけるのは難しいらしい。スラムの人足を雇えば安価で済むが、商人達の間では「奴らに食い物と金品は運ばせるな」という言葉があるぐらいで、商品を盗んで姿をくらます連中が多いみたい。
そこで提案されたのが孤児院の子供達だ。
彼等は自分達が子供であるという事を自覚しており、少々安い賃金でも我慢して働いてくれる。何より商品を盗めば孤児院の評価が下がり、仲間達の仕事全体に影響が出ることから、盗難にはかなりの安全性が担保されるし、こちらが酷い扱いをしなければ期待通りに働いてくれる。
もし子供達にでも出来る仕事があるなら、彼等に優先的に仕事を回してやって欲しいとホワイトさんからも頼まれているしね。
だから私が今向かっているのは孤児院だ。
居住区画の西のはずれ、教会の手前にそれはある。
人通りの少なくなった街路、小さな女の子の口を塞いで細道に消えていく二人組の男の姿が目に入った。追わなきゃ、咄嗟にそう思った。
細道を走る男達を見失わないように必死に追いかける。
角を曲がるとそこは廃墟の裏手のちょっと広場になった場所、そこで男達二人は私を待ち構えていた。
「こいつも高く売れそうだぜ」
一人の男がニヤニヤしながら余裕の表情で私に近づいてくる。
私は、はっとした。
生活必需品を買っておくよう言われて色々揃えたけれど、護身用の武器をなぜ買っていないのかとベルガーナさんに怒られた事を思い出したからだ。
使えなくてもいいからそれなりの物を腰から下げておけば、相手は私がその武器を扱えると思って警戒するし、威圧する事も出来ると教わった。
少し大きめのナイフが良いでしょうってユークさんに言われて、今日は出勤前にそれも購入するつもりだったけれど、紐の買い出しだけで安心してすっかり忘れてたよ。
そんなわけで今の私は丸腰、男が余裕ぶっこいてるのも頷ける。
「食らえ、雪玉二連」
私の突然の攻撃を受け男が怯む。雪玉だからダメージはゼロだけど、私はもう一度同じ攻撃を繰り出した。今度は男が顔面を押さえて地面を転がる。
「秘技、影羽!」
まあ、雪玉の一つに拾った石を二つ詰めて投げただけなんだけれど、うまく当たったよ。これで後方で女の子を捕まえている男への道が開いた。迷わず男に向けて駆け出す。
そしてここから私が唯一出来る効果的な奇襲攻撃は、ジャンプからの顔面への跳び蹴り。
男は女の子を地面に投げ捨て私の蹴りを両腕をクロスさせて受け止めたけれど、それで女の子は自由になった。
「逃げて」
そう女の子に向け叫びながら男の顔面には容易に届かないので、腹目がけて
ありったけのパンチを繰り出し注意を引きつける。
「うぜぇ」
男の強烈なパンチを顔面に受けて後退った。石を浴びせた男も回復してきて、二人して私に詰め寄ってくる。あの女の子は逃げられたようだけれど、私は壁を背にして追い詰められてる。
私は二人の男を前にして、拳を握りしめて構えをとった。
私だって全くの素人って訳じゃ無い。こんなんでも少林寺拳法は初段だよ、黒帯だよ。
必死に頑張ったけれど、圧倒的な体格差に実戦経験の乏しさで、顔や腹を何度も殴られて蹴られた。
壁に寄りかかって膝をついたけれど、まだ私の気力の糸は切れてない。元戦闘民族日本人の血を舐めるなよ。
「うわああああ」
やけくその特攻、男に密着する程に飛びかかり顔面をひっかき、暴れる私の両腕を押さえつけようとしたもう一人の男の腕には噛みついてやった。
強烈な肘打ちを顔面に食らってさすがに仰け反った。鼻折れたかも。そのまま二人がかりで地面に組み伏せられた。
「とんだジャジャ馬女だぜ」
もう動けない、これまでか。
しかし、街のあちこちから笛の音が鳴り響くと男達は「やべえ」と舌打ちしながらその場を駆け去って行く。圧迫感から解放され、仰向けになって青い空を見上げる私の顔を、さっきの女の子が覗き込んできた。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
あははって笑うしかなかったよ。さっきまで感じていた遠くなるような顔の痛みはもう消えている。
腕や足の擦り傷や青紫になった痣も私の目の前でスッと消えて元通りに。
さすがラヴィオラ様の眷属、再生力が半端ないってことなんですかね。
よっと起き上がった。
「おいっ」て不意に男の声がした。まだ奴らの仲間が?
私は女の子を背に隠して両手を広げて男の前に立ち塞がった。
ちょっとイキった感じのひょろりとした兄ちゃんがこっちに歩いてくる。
「大丈夫か嬢ちゃん達、もうすぐ自警団の奴らが来る」
「あんたは誰よ」
「俺は風来坊のヒューイってもんだ。安心しな、皆が来るまで守ってやるからよ」
小さな力こぶ見せながら言われてもね。でも悪い人では無さそうだ。
しばらくして現れたのは十人ぐらいの武装した集団。彼等が話しに聞く商人組合が独自に組織している自警団らしい。
「隊長、こっちです」
「ヒューイ、お前はその嬢ちゃん達を家まで送ってやれ。隊長命令だ。残りは悪党どもを追うぞ」
「はい、了解しました」
直立姿勢で声を上げるヒューイさん。
「組織に所属してる風来坊って何ですか?」
「ああ、それな。二つ名があった方が格好いいかと思ってな」
「…」
「まあいいじゃねえか。それで何処まで送ればいんだ?」
「おじさん、私は孤児院」
「お兄さんだけどな、それじゃ行こうか」
女の子の言葉だけ聞いてヒューイさんは歩き出した。もしかして私も孤児院の人間だと思われてる?いや、行き先は一緒だからいいんだけどさ。
孤児院の前でヒューイさんにお礼を言って別れたよ。いい人だったよ。
* *
「ところで、お姉ちゃんはだあれ?」
もっともな事を女の子に聞かれた。なんて言えばわかりやすいかな?
「一番偉い人と話がしたいの。ホワイトさんの使いが来たって言ってくれるかな」
「うん、わかった」
女の子が孤児院の中に消えてしばらくすると、二人の女性が慌ただしく外に出てきた。シスターだよ。教会関係者だったら嫌だなあ、怖いよ。
「ホワイト商会の古本部門の責任者でユキと申します」
「院長のジェニスと申します。こちらはシスターのサクヤ」
挨拶を交わして簡単に用件を伝える。彼女達は私の来訪が孤児達の雇用の件だと知ると表情を緩め、孤児院の中へと案内してくれた。
一応先ほどの事件についても話しておいた。院長達は慌ててあの女の子から話を聞き、厳しく叱っていた。
「どうか子供達の勉強の様子も見ていって下さい」
ここぞとばかりにジェニス院長は子供達を売り込んでくる。私も孤児院の子供達の学力には興味があるので、その申し出を喜んで受けた。
孤児院の勉強は年齢別に三つに分けられていて、五歳までのクラスで文字の読み書きを習い、十歳までのクラスで簡単な文法と算術、十一歳以上のクラスで上級算術と礼儀作法を習う様だ。
算術は足し算引き算で、上級算術はかけ算割り算の事を言う。
この世界の子供達は一般的には十三歳で成人して社会へと出て行く。唯一の例外が王立学園に通う生徒で、彼等は学園の卒業を以て成人と見なされる様だ。
つまりここの孤児院の十三歳を控えた子供達は、読み書き計算に礼儀作法の全てを習得している事になる。これは優秀だ。
現在孤児院には二十四人の子供達がおり、そのうち八人が十一歳以上、そして見つけましたよ従業員候補、十三歳を控えて未だ働き口の決まっていない女の子が二人。
ジェニス院長には七日後に荷運び人足として、歳の高い順から十人の子供達を派遣してもらうよう要請し、彼等の日当についての内容を詰めた。
その後で先ほど目をつけた二人の女の子を呼び出してもらい、ジェニス院長同席での四者面談を行った。
うん、古本屋の店員さんって言っても特殊すぎて分からないよね。
彼女達二人も働き口が見つかるのは嬉しいが、何をするのか想像も付かないと困り気味の表情。
だから七日後に王都本店に来てもらい、一度仮雇いという形で働いてみてからどうするか決めてもらう事で手を打った。
勉強時間が終わると、子供達が一斉に建物の中や外を駆け回り、楽しげに遊ぶ声が聞こえてくる。
用事は済んだが、しばらくお茶を飲みながらジェニス院長とシスターサクヤの三人で歓談した。
気になったので教会について尋ねてみると、この話題でジェニス院長はとても不機嫌になった。
「人間至上主義なんか、馬鹿馬鹿しい」
子供達の中には獣人や亜人の子供達もいる。教会の支援が欲しければ人以外の子供を孤児院から追い出せと言われた事がその原因らしかった。
そんな教会がなぜこのカリート王国にあるのかというと、教会を建てその布教を認めることが、北の帝国に対し敵意無しを表明する意思表示になるからなんだって。政治的な配慮って事らしい。
「中には私達に手を差し伸べてくれる良い人もいるんですけれど」
シスターサクヤがそう弁護するが、ジェニス院長の機嫌は直らなかった。
「シスター肉が来たよ」
部屋の扉を開けて子供の一人がそう叫ぶ。建物の外が子供達の歓声でいきなり騒がしくなる。
「教会の方が来られたようですね」
シスターサクヤがそう言い立ち上がった。私も興味が湧いたのでシスターの後について行った。
そこには子供達に囲まれる神官服を着た若い男性がいた。神官服の下には鉄の鎧を着ていて、腰にはモーニングスターをぶら下げている。
彼が引いてきた荷車には解体済みの大きな肉の塊がいくつか積んであった。
子供達は彼を『肉の人』と連呼し、歓声の声を上げている。
(肉をたくさん運んでくる人、確かに肉の人だ)
「ハク様、いつもありがとうございます」
「このぐらいの支援しか、私にはできませんから」
シスターサクヤの言葉にハクと呼ばれた神官服の男性は照れくさそうに答えた。
私は子供達に紛れてそのハクという男性にいくつか質問をぶつけてみた。彼は特に気にすることも無く何でも答えてくれたよ。
彼の名前はハク・オウ。元は帝国貴族の五男で、成人と共に教会に入れられたらしい。人間至上主義の教会の人間がなぜこの孤児院の支援をしているのかというと、「人間に生まれなかったのは子供のせいではない。ならば彼等が成人するまでの間手を差しのべても教義には反しない」と解釈したから。
それで個人で孤児院を支援するために冒険者登録をして魔物を狩り、その肉を運んできているのだそうだ。中々みあげた行動力のある男だと感心したよ。
彼の目下の悩みは子供達が誰も『ハク』と呼んでくれず『ニク』と呼ぶこと。
でもこのハクさん、どうやらシスターサクヤに気があるみたい。
一応聞いてみたよ、知性ある魔物についてはどう思うかってね。
「殺しますよ」
そう拳を固めて力説するハクさん。
「特にアンデッドってやつはいけない。あんな不浄なものは存在してはいけないのです。浄化されたアンデッドだけが良いアンデッド、知性の有無なんてどうでもいいんです」
思わず後ずさりする私。
「ところであなたは?」
「通りすがりの唯の商人ですよ、えへへへ」
やっぱり教会こえーよ。
* *
王都本店に戻るとトゥーバイさんが孤軍奮闘しながら作業をしっかり頑張ってくれていたので、私も閉店時間まで一緒にお手伝い。
そして色々あった今日一日の報告を屋敷に戻ってベルガーナさんにする私。
「顔を何度も殴られただって!」
「ユキ様のお腹を何度も蹴った…」
ベルガーナさんもユークさんも青ざめた顔でワナワナしていたけれど、ちょと服が破れたぐらいで怪我もしていないし、飛び跳ねたり回ったりと元気アピール。
だってベルガーナさんに大目玉食らったら嫌じゃない。怒られたくないから頑張った。
ベルガーナさんは「もういい」って解放してくれたよ。助かった。
自室に戻って夜食を摂り、明日もトゥーバイさんと一緒に本の仕分けをしないといけないからベッドに入ったよ。おやすみなさい。
ユキが大の字になってベッドで寝息を立てている頃、ベルガーナ屋敷の屋根の上に殺気を纏ったベルガーナと十の影が並んだ。
「標的は顔にひっかき傷のある男と腕に噛み傷のある男の二人、さあ皆、楽しい狩りの時間を始めようか」
ベルガーナの目が妖しく光り手を空に掲げると、それを合図に執事と料理人、メイドの形をした影が四方に散っていく。
ベルガーナの体が宙を浮き、二階のユキの部屋の窓の前で静止する。
「全く、世話の焼ける姫様だよ」
皮肉めいた言葉を残し、ベルガーナも夜の闇の中へと溶けていった。




