第11話 クロード1 目が合わないんだ
今年も懲りずに、人事は新人を寄越すようだ。
「まったく、うちの人事は間違いなく無能だ」
執務室の窓から差し込む朝日を睨みつけながら、
クロードは書類の山へ視線を戻した。
毎年、毎年。
続かない新人ばかりを、性懲りもなく送り込んで
くる。
せめて男でも寄越せばいいものを、
今年もまた女だった。
「はぁ……やってられん」
思わず、声に出ていた。
すぐに辞める新人の名前は覚えないことにしている。
どうせ数週間もすれば、別の人間が補充される。
その程度にしか思っていなかった。
だが、今年の新人は少し違った。
俺目当てで媚びるでもなく、
仕事を押しつけられて泣くでもない。
ただ淡々と、目の前の書類を片付けていく。
あげく、部下の誰一人としてやらないことまで
始めた。
朝早くの出勤。
そして、締切の厳守。
どれだけ期限の短い理不尽な案件であっても、
必ず期限までに仕上げて提出してくる。
(……使えるな)
それが、最初の印象だった。
ある朝。
文官室の隅に、見慣れない紙袋が積まれていた。
袋を開けると、中には大量のサンドイッチ。
香ばしいパンの匂いが、
朝の部屋にふわりと広がった。
「このデスクの上に置かせてもらっても?」
後ろから声をかけられ、振り返る。
新人のエレノアだった。
「ああ。構わない」
それだけ答える。
(……あんなに食うのか?)
一瞬、そんな疑問が浮かんだ。
だが、彼女は自分の席に戻ると、
サンドイッチを食べやすいように皿へ並べ、
一枚の小さなカードを添えた。
『ご自由にお召し上がりください』
それだけ。
「うわ、サンドイッチだ!」
「誰が用意してくれたんだ?」
部下たちが、嬉しそうに集まっていく。
その輪の中に、俺だけが入っていない。
……いや。
別に、どうでもいい。
そう思った。
思ったはずなのに。
クロードは、日中、何度もそのカードへ視線を
向けていた。
(……一つどうですか、くらい言えるのが、
社会人ではないのか)
だが、彼女から声をかけられることはなかった。
結局、その日はサンドイッチを一つも食べられなかった。
そして、その日の書類は、いつもより頭に入らなかった。
◆
数ヶ月が過ぎても、彼女はまだ早朝から仕事をしていた。
就業二時間前。
扉が開く音がする。
それが聞こえるたび、クロードは無意識に
時計へ目をやるようになっていた。
本来なら、上司として注意すべきなのだろう。
定時に来れば十分だ。
仕事は時間内に終わらせればいい。
そう言えばいいだけなのに。
(……言いたくない)
理由は、自分でもよく分からなかった。
ただ、朝の静かな執務室に、彼女がいる。
それが、いつの間にか当たり前になっていた。
そんなある朝。
エレノアが、ようやくサンドイッチを
勧めてくれるようになった。
「今日は、二個でよろしいですか?」
差し出された包みを前に、
クロードは一瞬迷った。
本当は、もっと食べたかった。
だが、それを素直に口にするのは、
なぜか気恥ずかしい。
「……二個、頼む」
つい、格好をつけて答えてしまった。
エレノアは、特に何も言わず、素直に頷いた。
「はい」
紙袋からサンドイッチを取り出し、
残りを軽食用の机へ並べていく。
その間、なぜかエレノアと目が合わなかった。
クロードは、彼女が自分の席へ戻っていく後ろ姿を、しばらく目で追った。
(……?)
何かがおかしい。
(言い方が悪かったのか?)
二個では少なかったのか。
それとも、多すぎたのか。
あるいは――
(俺、何かしたか?)
その疑問は、仕事中も頭の片隅に居座り続けた。
「――ということが朝からあった」
「……はぁ」
ルシアンは、クロードの脱いだ上着を預かりながら、
何とも言えない顔をしていた。
ルシアン・ド・ヴァレンティ。
侯爵家の次男でクロードの侍従だ。
「クロード様。何が問題なのでしょうか?」
「お前には分からないのか?」
「はい。私には、何も引っかかるところが見当たりません」
「おかしいだろ」
クロードは眉間に皺を寄せた。
「俺と目が合わないんだ」
「……はい?」
「そんな女、今までいなかった」
真剣な顔で言い切る。
ルシアンは、しばらく黙った。
「……それは、まあ」
「何か不味いことがあったんだ。さぁ、どこだ?」
クロードはソファに腰を下ろす。
「直さないと、また同じことが起こる。
それでは効率が悪いじゃないか」
「……クロード様」
「なんだ」
「それは、仕事の効率の話ではない気がするのですが」
「では、何の話だ?」
「……」
ルシアンは答えられなかった。
むしろ、なぜ本人が分からないのかが分からない。
「クロード様、俺自身、そんなにたくさん
恋愛をしてきたわけではありませんし……」
ルシアンは困ったように頭を掻いた。
「どちらかというと、女性の方から寄ってくる
ことが多かったので、その……、
気にしたことがないんですよ」
「……そうだったな」
「ですから、何がまずいのかと聞かれても、
私には分かりかねるといいますか……」
「役に立たんな」
「申し訳ありません」
ルシアンが苦笑した、その時。
「あ」
突然、何かを思い出したように顔を上げる。
「そういえば」
「なんだ?」
「女性は、ギャップに弱いと聞いたことがあります」
「ギャップ?」
「ええ。確か……娼館の女性が言っていたような」
「……お前、どこでそんな話を聞いている」
「いや、それは……」
ルシアンは記憶を探るように、顎に手を当てた。
「切りたての髪、とか」
「髪?」
「脱いだ時の逞しい身体、とか」
「……」
「赤ちゃん言葉、とか……?」
「…………」
クロードは、無言でルシアンを見つめた。
「最後のは絶対に違うだろう」
「ですよねぇ」
ルシアンも苦笑する。
「私も、何となく違う気はしていました」
「では、最初の二つは?」
「分かりません」
「お前は本当に役に立たんな」
「二度目ですね、それ」
ルシアンはため息をついた。
けれど。
そんな二人のやり取りをしながらも、
クロードの頭に残っていたのは、たった一つだった。
エレノアと、目が合わなかったこと。
その理由が知りたい。
それだけだった。




