024_帰る場所は港にある
翌朝、リンドルの港はいつも通りだった。
漁師が怒鳴り、荷運びが文句を言い、魚屋のルドが誰より声を張っている。
昨日の夜、古い船着き場で何かが起きたことを、知らない人間の方が多い。それでいい。大きな騒ぎにならなかったなら、だいたい成功だ。
俺は銀の匙亭の食堂で、ようやく温かい朝飯にありついていた。
「昨日の豆、温め直しておいたよ」
マーサが皿を置く。
「マーサはこの港の守り神だったのか」
「豆でそこまで言われるとは思わなかったね」
「朝飯は大事だ」
「知ってるよ。あんたを動かす数少ないものだからね」
猫は足元で寝ていた。
昨日の夜の猫とは別猫みたいに、平然としている。人間だけがいつまでも引きずる。
しばらくして、ラウルが来た。
「おはようございます」
「今日は何も鳴ってないぞ」
「確認に来ました」
「確認だけなら座るな」
「お茶をいただきます」
ラウルはいつもの席に座った。完全に常連だ。よくない。
「潮止めの石は安定しています。布も、石に結ばれた状態で反応は落ち着きました」
「箱は?」
「ただの古い箱に戻ったようです」
「ようです、か」
「断言は避けます」
「役人だな」
サイルも降りてきた。
目の下に少し疲れがある。だが、昨日より顔色はましだった。
「レイさん、ラウルさん。本当にありがとうございました」
「俺は箱の相手をしただけだ」
「でも、私が持ち込んだものです」
「なら、次から古道具屋で買う時は、鳴るか、光るか、勝手に動くか確認しろ」
「はい」
「あと、潮の匂いが強すぎる箱はやめておけ」
「それも覚えておきます」
サイルは小さな包みを差し出した。
「お礼です」
「金か?」
「布です」
「商人なのにそこは布か」
「丈夫な布です。小物を包むのに使えます」
包みを開けると、青灰色の布が入っていた。
ただし、昨日の帰り布とは違う。新しい布だ。手触りは柔らかく、織りはしっかりしている。
「これは鳴らないだろうな」
「鳴りません」
「光らない?」
「光りません」
「勝手に帰りたがらない?」
「たぶん」
「たぶんを使うな。不安になる」
サイルは笑った。
少しだけ、肩の力が抜けた顔だった。
昼前、俺は古い船着き場を見に行った。
ラウルもついてきた。
暇なのかと聞いたら、仕事だと返された。仕事なら仕方ない。仕方ないが、俺の近くで仕事をしないでほしい。
潮止めの石には、昨日の布が結ばれていた。
四隅の結び目は、静かに石に馴染んでいる。中央の名前は、もう青く光っていない。
ただ、薄く残っているだけだ。
「このままにするのか」
「はい。町の許可を取って、保全します」
「撤去しないのか」
「しない方がいいでしょう。これは、ここにあるべきものです」
「珍しくいいこと言うな」
「いつも言っています」
「それは知らなかった」
石段の上では、エドが見張り札を立てていた。
『古い船着き場。子どもだけで近づかないこと』
字は少し硬いが、読める。
「いい札だな」
「ありがとうございます」
「トマは読めるか?」
「読めます」
「読めても入るぞ」
「なので、ルドさんにも言ってあります」
「なら半分は止まるな」
「半分ですか」
「残り半分はトマの好奇心だ」
そのトマは、少し離れたところで木の船を抱えて立っていた。
「レイ兄ちゃん、もうここで船流しちゃ駄目?」
「子どもだけではな」
「大人と一緒なら?」
「エドと一緒ならいい」
「レイ兄ちゃんは?」
「俺は船より魚串が好きだ」
「じゃあ今度持ってくる」
「そこまでして俺を巻き込むな」
トマは笑って走っていった。
「走るな」
「走ってない!」
「だから走りながら言うな」
港の風が吹く。
布は少し揺れた。だが、鈴の音はしない。
守りたいものは、時々間違える。
古い道具も、人間も。
だから、完全に壊れる前に、少しだけ向きを直す。俺にできるのは、そのくらいだ。
銀の匙亭に戻ると、マーサが棚を拭いていた。
「終わったかい」
「終わった。たぶん」
「また、たぶんかい」
「大人は何でもたぶんで生きてるんだ」
「便利な言葉だねえ」
俺は椅子に座った。
猫が新しい布の上に乗ろうとしたので、慌てて取り上げる。
「これは俺のだ」
「にゃ」
「寝床にするな。鳴らない貴重な布なんだぞ」
「にゃ」
「分かってないな」
マーサが笑った。
「で、今日は休むのかい?」
「休む」
「本当に?」
「本当に」
その時、店の扉が開いた。
ニナが顔を出す。
「レイさん、靴の紐が」
「帰れ」
「まだ何も言ってません」
「言う前に分かる。俺の休みがまた死ぬ音がした」
ニナは少し笑って、靴を片方差し出した。
「少しだけです」
「少しはだいたい大きくなる」
「今回は本当に少しです」
俺はため息をついた。
「見せてみろ」
マーサが笑う。
猫が布を狙う。
ラウルは茶を飲む。
港はいつも通り騒がしい。
小箱の件は、これで終わりだ。
少なくとも、今は。
俺はニナの靴紐を手に取りながら思った。
壊れたものは、なくならない。面倒も、たぶんなくならない。
だが、直せる範囲なら、まあ。
今日の分くらいは、直してやってもいい。




