「彩の作文」
事件から約一年半後・春 午後4時〜夜
彩がランドセルからプリントを出した。
「これ、学校で書いたやつ」と言った。「先生が持って帰っていいって」
加奈子は受け取った。
B4の原稿用紙だった。タイトルが書いてあった。
「わたしのかぞく」
加奈子は息を止めた。
読んだ。
「わたしのかぞくは、お母さんとわたしとパパです。パパはもういません。でもかぞくです。」
最初の二文で、加奈子は手が止まった。止まったまま、続きを読んだ。
「パパはいい人でした。わるいことはしていませんでした。でもわるいことをしたとおもったひとたちにいじめられました。パパはしにました。わたしはさいしょ、パパがきらいになりました。なんでしんだのかとおもいました。」
加奈子は原稿用紙を持ったまま、立っていた。
彩は台所でお菓子を食べていた。加奈子の様子を見ていなかった。
続きを読んだ。
「でもいまはちがいます。パパはよわくなかったとおもいます。いじめられてもずっとがんばっていたからです。わたしのクラスにもいじめられているこがいます。わたしはなにもできませんでした。でもこんどはいっしょにいようとおもいます。パパがしんだのはかなしいです。でもパパのことをかんがえると、なにかできるきがします。」
最後の一文だった。
「わたしのかぞくは、ちいさいけどつよいとおもいます。」
加奈子は原稿用紙を胸に当てた。
泣かなかった。泣けなかった。涙が出るより前に、何か別のものが胸の中に広がった。温かいものだった。重いものだった。真司がいた痕跡が、今ここに、八歳の字で書かれていた。
「お母さん、読んだ?」と彩が聞いた。
「読んだ」と加奈子は答えた。
「どうだった?」
加奈子は彩を見た。
「上手だった」と言った。「すごく、上手だった」
彩は「ふうん」と言って、またお菓子に向かった。照れているのか、そうでないのか、分からなかった。
加奈子は原稿用紙を折り、引き出しにしまった。
真司の遺書がある引き出しだった。
遺書と作文が、同じ引き出しに入った。
真司が書いた言葉と、彩が書いた言葉が、同じ場所にある。加奈子はその引き出しをしばらく見た。
「ねえ」と彩が言った。「今日、公園行かない?」
「行こう」と加奈子は言った。
コートを着た。彩がランドセルを置いて走ってきた。二人でドアを開けた。
春の空気が、部屋に入ってきた。
真司が好きな季節だった。
加奈子は扉を開けたまま、一秒だけ目を閉じた。
それから、彩の手を握った。
歩き始めた。




