「レイジの謝罪」
事件から数ヶ月後 午後2時〜午後5時
弁護士事務所の応接室に、村上怜司は座っていた。
二十八歳。スーツを着ていた。カメラの前では「レイジ」として振る舞っていた男が、今日は村上怜司だった。スーツが少し大きかった。普段着ていないから、サイズが合っていなかった。
向かいの席に、加奈子と加奈子の弁護士が座った。
「本日はお時間をいただきありがとうございます」と村上は言った。
加奈子は何も言わなかった。
村上は事前に用意した言葉を、頭の中で確認した。しかし加奈子の顔を見た瞬間、用意した言葉が全部消えた。
四十代の女性だった。疲れていた。しかし目が強かった。その目を見て、村上は用意した言葉では足りないと思った。
「あの日、柏木さんの自宅前で配信しました」と村上は言った。「四千二百人が見ていました。スーパーチャットが来ました。収益になりました。そのことが、ずっと頭から離れません」
加奈子は黙っていた。
「言い訳をするつもりはありません」と村上は続けた。「あの時の自分には、目の前にいる人間が傷つくという想像力がなかった。カメラの向こうに視聴者がいて、視聴者を喜ばせることだけを考えていた。その先に、家族がいるということを、考えなかった」
村上は頭を下げた。
深く、長く下げた。
「申し訳ありませんでした」
しばらく頭を上げなかった。
「顔を上げてください」と加奈子が言った。
村上は顔を上げた。
「謝罪は受け取ります」と加奈子は言った。「でも、許すかどうかは別の話です」
「分かっています」と村上は言った。
「裁判は続けます」と加奈子は言った。「示談には応じません。法廷で、ちゃんとやってもらいます」
「分かっています」と村上はまた言った。「それが筋だと思っています」
沈黙があった。
加奈子が口を開いた。
「一つだけ聞かせてください」と言った。「あの日、配信を止めようと思いましたか」
村上は答えた。
「思いませんでした」と言った。「隣人の方が怒鳴ってきた時も、思いませんでした。配信を止めるという選択肢が、その時の自分には存在していなかった」
加奈子はその言葉を聞いた。
「そうですか」と言った。それだけだった。
応接室を出た後、村上は廊下に立った。
秋の光が窓から入っていた。
チャンネルを閉じてから、村上は仕事を探していた。映像の仕事がしたかった。しかしカメラの前に立つ気にはなれなかった。なれるかどうか、分からなかった。
ただ、今日ここに来ることは、できた。
用意した言葉は全部消えた。しかし自分の言葉で、加奈子に話すことができた。
それだけのことだった。
しかし村上には、それが今できる精一杯だった。




