「加奈子の証言」
事件から数ヶ月後 午前11時〜午後3時
証言台は、思ったより高かった。
いや、高さは普通だったかもしれない。ただ、そこに立つと、法廷全体が見えた。傍聴席、被告側の弁護士、原告側の弁護士、裁判長。全員がこちらを向いていた。
加奈子は息を吸った。
「柏木加奈子さん」と裁判長が言った。「真実を述べることを誓いますか」
「誓います」と加奈子は答えた。
弁護士の質問が始まった。
「ご主人が亡くなられた日のことを、お話しいただけますか」
加奈子は前を見た。
「8日目の朝、目が覚めた時、隣が空でした」と言った。「真司はよく早起きする人でした。最初は気にしませんでした。しかし台所から音がしなかった。それで起き上がりました」
「居間のドアを開けた時のことを、覚えていますか」
「最初に椅子が見えました」と加奈子は言った。「梁の下に置かれた椅子が。それから、ロープが見えました。それから——」
そこで止まった。
止まったのは感情ではなかった。言葉が見つからなかった。あの朝に見たものを、言葉にする言葉が、まだなかった。
「続けられますか」と裁判長が聞いた。
「はい」と加奈子は言った。「続けます」
続けた。
あの一週間のことを話した。最初の電話が鳴った夜のこと。真司が画面を見て動けなくなっていたこと。娘が学校で孤立したこと。深夜に車が家の前を通ったこと。出前が届き続けた夜のこと。
話しながら、法廷が静かになっていくのを感じた。
被告側の弁護士が反対尋問に立った。
「ご主人は、五年前に生徒へのいじめ対応で問題があったと指摘されていますね」と言った。
加奈子は弁護士を見た。
「動画の内容は事実ではありませんでした」と加奈子は答えた。「AIで合成された音声による虚偽の告発でした。警察の捜査でそれが証明されています」
「しかしご主人には、過去に——」
「真司は悪い人間ではありませんでした」と加奈子は言った。
声が平坦だった。震えなかった。
「過去に後悔していることがあったかもしれない。しかしそれを、確認もせずに七万八千人が攻撃する理由にはならない。真司は追い詰められて死にました。その事実は変わりません」
法廷が静まった。
被告側弁護士がもう一度口を開こうとした。裁判長が「質問は以上ですか」と言った。弁護士は「以上です」と言った。
証言台を降りた。
席に戻りながら、傍聴席を見た。知らない顔が並んでいた。記者もいた。一般の人もいた。
その中に、彩の顔はなかった。
今日は学校だった。法廷には連れてこなかった。しかし今朝、登校前に彩が「お母さん、今日頑張って」と言った。七歳が「頑張って」と言った。
加奈子は頑張った。
それだけのことだった。それで十分だった。




