「復讐の芽生え」
14日目 ホテルの部屋
部屋は十四階だった。
窓から都市が見えた。ビルが並び、道路が走り、人が点のように動いていた。アカリは窓の前に立ち、その景色をしばらく見た。高いところから見る街は、いつも別の惑星のように見えた。
鞄をベッドの上に置いた。
チェックインは終わった。あとは待つだけだった。久我山がチェックインするのは夕方以降のはずだった。時間があった。
ベッドに腰を下ろし、また回想の中へ入った。
夕焼けをきれいと思った日から、三ヶ月が経った頃だった。
アカリは久我山誠一郎の名前を、検索窓に打ち込んだ。
なぜその日だったのか、理由は分からなかった。ただ突然、打ち込みたくなった。指が動いた。エンターキーを押した。
結果が出た。
久我山誠一郎。広告代理店の役員に昇進していた。
プレスリリースが出ていた。取締役就任の発表だった。写真が載っていた。スーツ姿の久我山が、カメラに向かって微笑んでいた。自信に満ちた顔だった。五年前と変わらない顔だった。
アカリは画面を見た。
何かが、胸の中で動いた。
怒りではなかった。怒りならとっくに感じ尽くしていた。悲しみでもなかった。それも底をついていた。もっと静かな、しかし確かな何かだった。
この人間は、何も失っていない。
その事実が、画面から伝わってきた。アカリが失ったものの総量と、久我山が得たものの総量が、画面の中で並んでいた。仕事。信頼。眠れる夜。普通に生きる力。アカリが失い続けた五年間に、久我山は役員になった。
おかしい、と思った。
怒りではなかった。純粋に、論理として、おかしかった。この非対称が、世界に存在していることが、おかしかった。
その瞬間から、アカリの中で何かが変わった。
生きる理由が、形を変えた。それまでのアカリを生かしていたのはムギだった。この猫がいるから生きる、という消極的な理由だった。しかしその日から、別の理由が加わった。
久我山誠一郎が、笑っている。
それが許せなかった。許せないという感情が、アカリを前に向かせた。死にたいという気持ちが消えたわけではなかった。しかしそれよりも強い何かが、胸の中に根を張った。
調べ始めた。
久我山の現在を。勤務先の詳細を。出張のスケジュールを。SNSのアカウントを。業界内での評判を。断片的な情報を集め、繋ぎ合わせていった。それは苦ではなかった。むしろ、久我山について知れば知るほど、アカリの中の何かが満たされていった。
調べるうちに、息子の存在を知った。
久我山拓海。IT企業に勤める三十代の男。SNSにはほとんど投稿がなかった。父親とは対照的に、目立たない存在だった。
アカリはその名前を見て、少し止まった。
息子には関係がない。そう思った。思って、調べるのをやめた。
窓の外で、日が傾き始めていた。
16時を過ぎていた。
アカリは立ち上がり、鞄を開けた。布で巻いた包丁を確認した。そのまま鞄を閉めた。
久我山がチェックインするまで、あと数時間あった。




