第8話「戦場の料理人」
ベルグの街はパニックに陥っていた。
警鐘が乱打され、住民たちが右往左往と逃げ惑う。街を囲む防壁の上では、衛兵たちが絶望的な顔で森を睨んでいた。
地響きとともに、木々がなぎ倒され、黒い波のような魔物の群れが押し寄せてくる。
「駄目だ……数が多すぎる!」
「救援は間に合わない! もうおしまいだ!」
誰かが武器を投げ捨てようとした、その時だった。
ドォン!
防壁の真ん中に、巨大な肉の塊が投げ出された。
続けて、一人の大男と白い犬が飛び降りてくる。
俺とルルだ。
「おい、そこをどけ。場所を借りるぞ」
「あ、あんたは食堂の……! 何を言ってるんだ、今はそれどころじゃ……」
「それどころだ」
俺はマジックバッグから、愛用の鉄板とかまどセットを取り出した。
ルルが手際よく薪を並べ、火吹き魔法で一瞬にして豪火を起こす。
俺は先ほど仕留めたばかりのキングブルの肉塊を、衛兵たちの目の前で解体し始めた。
ブッチャーナイフが銀色の閃光を描く。
骨と肉が瞬時に分かれ、美しい赤身のブロックが切り出される。
「腹が減っては戦はできん。そうだろ?」
俺は鉄板に牛脂を塗りつけた。
ジュワアアアッ!!
戦場の殺伐とした空気を切り裂くように、脂のはぜる音が響き渡る。
「ルル、風だ! 匂いを街中へ、そして敵の鼻先へ送り届けろ!」
「承知した!」
ルルが起こした突風が、焼けた肉の香ばしい匂いと、牛脂の甘い香りを運び去る。
それは、絶望に支配されていた人々の鼻腔をくすぐり、本能を直接揺さぶった。
「な、なんだこの匂いは……?」
「すげぇ美味そうな……肉?」
震えていた衛兵の手が止まる。
逃げ惑っていた市民が足を止める。
人間は、極度のストレス下において、温かい食事の匂いを嗅ぐと、理屈抜きで生の実感を思い出すものだ。
「並べ! 武器を持てる奴から優先だ! 食ったら戦え!」
俺の怒号に、衛兵たちがハッと我に返った。
「く、食っていいのか!?」
「当たり前だ。キングブルのステーキだ。食えば百人力だぞ」
俺は焼き上がったばかりの極厚ステーキを、皿もなしに直接、衛兵の盾の上に放り投げた。
肉汁がしたたる熱々の肉。
衛兵は迷わずにかぶりついた。
ガブリ。
肉の弾力と、あふれる旨み。
その瞬間、彼の目に生気が戻った。いや、戻るどころか、ギラギラと輝き始めた。
「う、うおおおおっ! 力が……力が湧いてくるぞオオオ!!」
熟成魔力肉の効果だ。
ただの食事ではない。これはドーピングに近い、強烈なバフ料理だ。
一人が叫ぶと、伝染するように次々と手が伸びた。
戦場に、ありえない光景が広がった。
片手で肉を貪り食いながら、剣を振るう兵士たち。
彼らの士気は、空腹というたった一つの要因が満たされたことで、爆発的に跳ね上がったのだ。




