垣間見えた悪意と名前の話
「──砕電!」
先程の言動に私だけでなくお母様達も動きを止めている間に、彼は嫌悪感を感じさせる声で呪文を唱え、魔石を手にしていた方を思いきり地面に向けて振りかぶった。
その手からは砂粒状のきらめく何か放たれ落ちる。それまで手にあった物を考えて、さっきの呪文は魔石を粉々にするものだったのかな。
何も聞く言葉を言えないでいるうちに、彼は子獣の元へ詰め寄ると近場の水場を訊ねるなりあっという間に森へと駆けていってしまった。
黄色さんも、彼を追ってか森の中へと消えていく。
「今のは一体……?」
「あなたさえ居なくなればって、どういうことかしら」
子獣の傍に立っていたアデイルと歩みを止めていたお母様がぽかんと彼が消えた方向を見て呟くなか、私は青ざめている姉様に気がついた。
「どうしたの姉様、大丈夫?」
「……あの子、私を見てた。私を見て……──やっぱり、私は……」
その後に言葉は続かなかった。
辛そうな、不安そうな様子にお母様はそれは言わない約束でしょうと励ましていて、何か察してるらしいアデイルは気の毒そうにそれを見つめる。
でも私の頭を占めるは彼が一時見せた暗い色の瞳だった。
普段の色とも煌めく瞳とも違う、なんというか、そこに彼を感じられなかった暗い瞳。あれは一体どういうことなんだろう。
お母様達は獣親子がまだここに残っている事からまた彼が戻ってくるだろうとの予測をたて、詳しい話はその時にと私達は彼を待った。
程なくして、頭上に黄色さんを乗せて渋い顔をした彼が森から姿を現した。
「水辺、何しに行ってたの?」
「ちょっとね、気分転換。本当は雷を浴びたかった所だけどそう簡単には呼べれないし、次点でさっぱり出来るのは水浴びだからちょっと一泳ぎしてきた」
「一泳ぎ…濡れてないけど?」
傍まで来た彼をじろじろと見てみたけど全然濡れてる様子はない。
そしてついでに覗き込んでみた彼の瞳が今までと同じ色合いをしていることにホッとしたところ、急にお母様に襟首を掴まれて引き剥がされた。
「それで、さっきの貴方の言葉説明してもらえる?」
「さっき? …うあ、そうだ。俺すっごい失礼な発言をしたんだった。どうもすみませんでしたっ」
彼はそう言ってしっかりと姉様に向かって頭を下げた。
ということでそれは姉様に向けられた言葉だと判明してしまったわけで……姉様は辛そうな顔で俯いてしまった。
ただ彼の頭上にいた黄色さんもお辞儀に伴ってぼとっと落っこちたので、深刻な空気はちょっと台無し。
「ええと、一体どういうことなのかしら?」
「えーっと、さっきのは今回の騒動の原因がわかればいいなって思って、あのママさんの中にあった魔石の魔力を探ってたんです。あの魔石はさっき倒した植物の魔物と同じ魔力を纏ってて。それで、その……ちょっと合わせ過ぎたみたいで? その人を見たら口から勝手にあんな言葉が出てたっていうか……。あんな風になるとは思わなかったから、本当にごめんなさい」
「それってつまり、あの魔物やその魔石にはリーナを害そうとする意思が込められていたってこと? ……ここが頻繁に魔物に襲われていたのは偶然じゃなかったのかしら」
「あーっ!? お母さんすごいよっ? 森がきえてるっ! 何もなーい!」
ずっと大人しかったサリナちゃんが急に考え込むお母様のスカート裾をぐいぐいと引っ張り出し、感嘆の声を上げてまた深刻そうになった空気をぶち壊した。
しかも突拍子もないものだ。
もちろんここを取り囲む森は消えてなんかいない。
「森が消えてるって、この子は目が見えない子なの?」
「サリナ、ちゃんと目みえてるよ? こわい森がきえたのっ!」
彼も不思議げに私に聞いてきたけど、その前に本人が先に抗議していた。
怖い森ってどんな、って思ったけどその言葉にふと、私はさっきの不思議発言を思い出した。
「サリナちゃん、さっきの襲撃のことを"森が来る"って言ってたんだよね。それが消えたってことは魔物が森からいなくなったってことになるとか? あ、サリナちゃんには魔物を感じとる力があるんだって」
「魔物を? ふぅん……それで今は"消えた"のか。あの魔石を砕いたのが関係あるかはわからないけど、一先ずはこの辺りの悪いものは取り除けたってことでいいの?」
「うん、だいじょーぶなの。こわい森いないよ!」
彼の質問にサリナちゃんはとても嬉しそうににぱっと笑った。
そして森ってこんなに静かなんだねーと不思議そうに見回している。
サリナちゃんが言う感覚はよくわからないけど、サリナちゃんの知っている森はずっと怖い森だったのかな。
「じゃあこれでここが襲われる心配はもう無いのかしら? でも、それはそれでそうなるとここは作為的に襲われていたってことになるけれど……誰がこんなこと」
「うーん、犯人も大事ですけど、狙われてたお姉さんは無事なわけだからまた何かしらの危険はあると思った方がいいんじゃないですか? もっと安全な場所に移るとか、護衛の数を増やすとかって対策を立てた方がいいような」
サリナちゃんの様子を見て一時ホッとしたお母様だけどすぐにまた浮かない顔になり、そんなお母様に彼は次に備えるべきと提案した。
その話を聞いたお母様はまた難しい顔をつくる。
「場所も人員も、どっちもすぐには無理なのよね……この子ね、ちょっと訳あって世間では死んだことになっているの。だから簡単に他に移ることは出来ないし、護衛の確保にしても口が固くて信頼できる人って考えるとなかなか、ね」
「死んだことに? ……ああ、だからここが知られる危険は減らさないとだし、目立つような行為も困るんだ……ん、でもそれだと本来は亡くなってるはずの人を狙ってきたってことで、これってその人が生きていることを知ってる人がやったって事になりません?」
「!! ──まさか、そんなっ!? この事を話したのは私とあの人の本当に親い友人だけなのよっ? それなのにまさか、その中に犯人がいるだなんてことが…っ!!」
二人の話し合いは思わぬ展開を見せ、お母様は彼に詰め寄る形で声を荒げた。
秘密を共有するほどに信じていた友達に裏切られているかもしれない話だし、ショックは大きそう。
お母様はしばらく悔しげに彼を見つめていたけど、ハッとした様子で一歩下がった。
「ごめんなさい。たまたま通りすがっただけの貴方に当たるなんて、すごく大人げない所を見せたわね。色々助けてもらったのに──みんな、ちょっと集まってちょうだい」
そうしてお母様は集落の大人たちを呼び、今後の話をし始めた。
彼はそれには加わらず親獣さんの具合を見に向かうそうなので、私もそれについて行くことにする。曰く、ここから先は人の問題だから話にはもう加わらないんだそうな。
あれに私も加わるべきじゃないのとは言われたけど、難しそうなこと考えるのは苦手だから結論を聞くと言ったら残念な子を見る目で見られたが、まあ気にしない。彼と一緒にいたいもん。
向かった先ではだらしなく寝そべる親獣さんと、それとは対称的な行儀よくお座りをして待つ子獣くんがいた。
子獣くんはとても機嫌が良いのか尻尾をぱたぱたと音が鳴りそうなくらいに揺らしている。近づくにつれて目をきらきらさせているのもわかり、その可愛らしさに思わずぷっと吹いてしまった。
当然ばちっと目があったけれど、相当機嫌が良かったのか唸られずに済んだので私はそのまま彼の後に続いた。
でも獣親子には近付き過ぎない位置まで。傍には彼がいるけど、アデイルにも止められたしね。
そうして彼と獣親子の不思議会話を傍らで眺めることにする。
「ママさん具合はどう?」
『動けないだけですこぶる元気になったわよ。痺れがなければ動き回りたいくらい。話に聞いてただけだけどスライムってすごいのねぇ。それを従えるアナタも尊敬ものだわ』
「え、従えてないよ? 黄色さんたちは友達」
『友達って言うけどアナタ……まあ、それでもすごい事よ? スライムが誰かを気にかけるなんてないし、まして緑以外の色なんてまず見かけないもの』
「まあ、緑さん以外は身の危険がね……。それでええと、さっきからその子の視線がすごく気になってたんだけど、すごく嬉しそうにこっちを見てるのはどうして?」
『あのね、さっきママから良いこと聞いてっ! それで、お兄ちゃんにお願いがあるのっ!』
「俺にお願い?」
『僕らに名前を付けてっ!』
『らってことで、勿論アタシの名前もね?』
「は……えっ? な、なんで俺なの?」
『強いひとから名前をもらうと強くなれるってママから聞いたんだ! お兄ちゃんは強くておっきいくってかっこよくて優しくってピッタリでしょっ?』
『あー、この子にはまだ難しいと思ったからそう教えたんだけれど、名前の重み、というのかしら? それが与えてくれる者によって違うって話を聞いたことがあったのよね。まあそれがなくても名前はあって損はないのだし、付けてもらえないかしら?』
「それってでも……たまたまここに来ただけの俺に付けてってのはどうなの? しかもママさんは俺より年上でしょ? 子供に付けられても良いの?」
『ジブンが認めた者につけられるのだから異論なんてないわよ』
「でもこういうことは簡単に決めていいものじゃないよ。世界は広いんだから、きっと他にもっと良いひとがいるよ」
『アタシは元々ここの生まれじゃないから色々見て経験してきたつもりよ。勘もいい方だと思うの。だからアナタからもらうのが良いって思った勘を信じるわ』
「うーん、でも……俺さ、色んな所に行きたいんだよね。海でも、空でも、どこでも。一ヵ所に留まるのは得意じゃないし、束縛されるのもたぶん苦手で。だから、貴方達に合わせることは少ないと思うし、一緒にいる時間はきっと少ないと思うよ。それでも俺から名前欲しい?」
『ええ、欲しいわ』
『えっ? 一緒、だめなの……?』
『頑張れば良いのよ坊や。アタシたちはまだまだ強くなれるんだから、置いてかれないように頑張るの。可能性は無限大よ?』
『!! ボクがんばるっ!!』
『ってわけだから、名前の件ヨロシクね♪』
「……」
意気込むように吠える子獣くんと、にやりと笑ってるように見える親獣さんに項垂れた彼。
そこでやり取りは一端終了したようなので詳細を聞くと、どうやら彼は獣親子の名前を考えることになったらしい。
名前と聞き、ふと彼の名前を知らなかったことや自分も名乗ってもいなかったことにも思い当たった私はそこで「私はミリアね」と名を名乗った。
急に告げたことには驚かれたけど、彼も「俺はコウだよ」と名乗り返してくれた。名前を知らないまま共に過ごし、今更名乗り合う様子は周りに呆れられることになったが、それまで二人で不便さも感じなかったし、まあ、名前を知らなくても仲良くできるものなのよってことで。
それで話は戻るけど、魔物界での命名は主従契約に近いものがあるらしい。だから彼は渋ってたんだね。
コウは獣親子さんの名前に苦戦しているようでずっと唸っている。そこへ黄色さんがすすすっと近寄っていき、何か知恵を授けてもらったのか、なるほどと呟いた後は獣親子をじっと眺め始める。
後で聞いた話、悩みすぎはよくないことと、相手を見て思い浮かんだのをそのまま付けてあげるのが良いと黄色さん越しに王様からの助言があったらしい。
私も動物語理解出来たらな~。きっと世界が変わるよね。
そうして彼が親獣さんをカーラ、子獣くんをタリムという名前に決めた頃、お母様たちの話し合いも終わったようだった。
ここの隠れ里はお母様ともう一人リーダー的な人がいて、今は不在のその人を待つことにしたらしい。
今日中にはって話だったけど、その人はその話が出てわりとすぐに帰ってきた。
がっちりとした体格に強面というか厳ついというか、そんな顔のおじさんが布袋を肩に引っ提げ、息を切らして現れたのはなんとも迫力ある姿あった。
ここに雷が落ちた光を見て急いで走ってきたんだとか。
城下町で見た武具屋のおじさんみたいな風貌その人は、実は騎士職についていた人でサリナちゃん側の護衛さんだという。そのおじさんは、名前をグライセと名乗った。
後半会話だらけになりました。
バイリンガルー!
次は彼視点でこの章を閉める予定。