それからの経緯
彼の反応を待つがしかし、彼は口を開かない───。
「あなたは、魔物なの? それとも人?」
獣だと思っていたけど、人になれるほどに力があるのなら魔物というやつなのか、それとも物語で読んだことあるような呪われた子みたいな感じなのか。
沈黙に堪えかねてまた私から質問をしてみたが、少年は黙ってこちらを見返すだけ。
「武器、好きなのね? でもそんなの食べちゃってお腹悪くしないの?」
「………」
気になったこともあって三度目を問いかけてみたが、やっぱり何の反応も返してくれない。
口が利けないのか、それとも話をする気がないということなのか。あるいは魔物だったら言葉がわからないということもあるのか……。
私が話すのをやめれば辺りはまた静寂に包まれた。
そんななか時折吹く風によって立つ葉音がなんだか優しい。
誰かと居る沈黙は苦痛になるものだと思っていたけど、今はなぜだか不思議な心地良さがあった。
例えるなら自分の部屋にいて寛いでる時のような、ベッドでぬくぬくとくるまってる時のような。
目の前にいる彼は人ではないのかもしれないのに、少しの緊張感は抱いても恐怖は全く沸かず、彼に近づいてみたいとすら思う。
感情を見せず静かに私を見返す彼の様子は、子供姿なのにどことなく神秘的な雰囲気で。
答えを期待するのは諦めた方がいいのかもしれないけれど、やっぱり声を聞いてみたくて。助けてもらったお礼も兼ねて、私はもう一度話しかけるために息を吸う。
「あの、助けてくれて、有り難う。貴方のおかげで私はあの人たちから逃げられました」
「……今を無事と言えるの?」
「!」
呆れを感じさせる物言いは、一瞬聞き間違いかと思った。
でも目の前には彼以外に誰もいなくて、その彼がちゃんと口を動かしてたところも見ていて、何より呆れの感情がややすがめられた彼の目に宿っている。
声は男の子っぽい声だった。そして反応を返してくれた。そう思ったら嬉しくて、私は気が付けば彼に詰め寄って腕を掴んでいた。
「喋ったよね? 貴方喋れるのね! 言葉わかるんだねっ! お話出来るんだねっ!!」
勢いで掴んでしまったけど人肌な感触を確認しつつ捲し立てた私に、彼はびっくりしたように一歩後退る。
あんな立派な姿をしていたのに驚くんだなあと思いながら、話が通じるとわかった今は彼からの言葉をじっと待つ。
「──あ、の、離してくれない? このままは、ちょっと危ないし」
「危ない?」
「刃物を持ってる相手の腕に掴みかかってるんだよ君。危ないだろ」
ようやく口を聞いた彼の視線の先にある手には、先程彼が眺めていた短剣が握られている。
それは逆手で持たれていて、刃も私に届かないようになのか隠すように後ろへも向けられていて──その言葉をちゃんと理解した時、彼は思っていたよりももっと、ものすごく良い子なんじゃないかと思わされた。
「ほら、ちょっとしまうから手を離してくれる」
もう一度離すように言われたので素直に離れると、彼は足元にあった鞄──そんなところに鞄なんてあったっけ?──に武器を全部しまい込んでいく。
そうして作業を終えて立ち上がった彼はまた私に向き直ってくれたが、その顔はどことなく不機嫌そうになっていた。
「君はいつまでここにいるつもりなの。もう夜だし、帰る場所がないわけじゃないでしょ? 森は動物たちの住み処だなんだから人間に長居されるのは迷惑なんだけど」
「迷惑…?」
「自分の家に断りもなく知らない誰かが踏み入ってきたら嫌でしょう? 森は動物たちの家で、夜は魔物が活動的になる時間だ。怒りを買って危ない目に遭う前にさっさと出てった方が身のためだよ」
「……貴方は? 貴方も、怒る?」
「俺は、別に。たまたまここに来た余所者だし、ここのひとたちの話」
「……そっか」
目の前の彼は怒らない。その返事にほっとした私は、なんだか脱力してへたり込んでしまった。
「ちょっ……出ていけっていたのになんで座るの?」
「ごめんなさい、ちょっと疲れが。ずっと歩いてた後に走ったりしてたから……休んだらちゃんと出ていくから、少し時間をちょうだい?」
「……ふー」
溜め息は吐かれたけどそれ以上はなにも言わず、彼は私に背を向ける。無理矢理どうこうする気はないらしいことに甘えて、私は膝を抱えて顔を伏せ、少し休むために目を閉じた。
そうしてどれくらい経ったのか──次に目を開けた時は、すでに辺りが明るくなり始めていた頃だった。うっかりあのまま眠ってしまったらしい。
ぼんやりとした頭で辺りを見回してあの少年の姿を探していると、そう遠くない場所に何やら黒い大きな塊が目に入った。
とりあえずそちらへ近付いてみようと立ち上がると、何か身体からずり落ちたような感覚を覚えて視線を向ける。
そこにあったのは、私を覆うにはちょっと足りないくらいの大きさだけど、よくありふれた布切れが落ちていた。
彼がかけてくれたのだろうか。そういえば木を背にして寝ていたかなとも背後の木にも疑問を思いながらそれを肩に羽織り直し、おそらくは彼だろう塊の元へと近づいていく。
……近づいてそれを見た感想は、大きさが異常だけど一言で言えば毛玉だった。頭も尻尾も手足も見当たらない、真ん丸で見上げるほどに大きな毛の塊。
そして空が明るくなってきたこともあって、それが黒色ではなかったことを知る。彼はどうやら紫色の毛並みであったらしい。
「──っつ?!」
あの時の毛の感触を思い出してまた触りたいなとなんとなく手を伸ばしていたら、急に何かものすごい痛みが身体を突き抜けて驚いた。
ひょっとしてと思い、恐る恐る手を彼に伸ばしてみればまた痛みに襲われて、今度はバチっという音も耳が聞き取る。
結界というやつなんだろうか、彼に触れるあと少しの所でバチバチと阻むなにかがある。これは雷……なのかな。
ひとまず触ることは無理そうなので諦めて、でも特になにもすることがないので私は近場に座って彼が起きるのを待つことにした。
足元の埋もれていた石をじっと見つめる。
足で突ついて掘り出してみる。
ころころ転がしててもまだ彼は起きない。
力加減をあやまって彼のいる方に飛ばしてしまうと結界に阻まれてかパチンっと跳ね返ってきて、それからはそれで時間を潰す。
と、そんなことを10回ほど繰り返した頃だろうか、不意に雷が起こる場所を突き抜け、彼の毛にぽすんと当たった。
不思議に思っていたら目の前の毛玉が動き出し、見上げれば獣の頭部が毛玉の上部に生まれている。そして何がどうなったのか、いつの間にか手足があって獣の胴体が伏せの姿勢でそこにあった。
改めて初めて日の下で見るその獣姿はちょっと不思議なものだった。獣なら耳がありそうな所に黄色い角っぽいものが生えている。身体の肉付きはスマートと言うよりは横にぽっちゃりな印象で、尾っぽも太く頑丈そうだ。普通の獣を間近で見たことはないけど、これはなんか違う気がする。やっぱり魔物、なんだろう。
その彼は顔を上げたまま、じっと動きを止めていた。
まだ開ききってないような目に気だるげな様子は寝起きを感じさせるが、それでも迫力は十分にある。
「あの、おはよう。あなたは昨日の子、だよね?」
「……なんでまだいるの?」
声をかけてようやく私を認識したのかもしれない。こちらに視線を向けて少しの沈黙と瞬きの後、不満そうな声が返ってきた。
「えっと、そう。道がわからないからどこ行っていいかわからなくって。ふらふら歩くのは迷惑になるんでしょ? だから、あなたが起きるのを待ってたの」
「迷子……ならしょうがないのか……」
また話をしてみたかったというのが一番の理由だが、とっさに口をついて出た言葉も彼を納得させるには十分だったようだ。
やや眠そうな声音でもそもそと呟いた彼は、光を纏うとやがて昨日見た男の子姿になった。
「じゃあ、案内。」
「あっ、ちょっと待って」
眠たげな様子でぽつぽつと呟くように話して歩き出す彼に、私は思い付いた事があって待ったをかけた。
ポケットにしまっていた唯一の所持品とも言える地図を広げて、彼の元に歩み寄る。
「えっと、ただ森を出れればいいんじゃなくて、私はこっち側に出たいから出来ればこっち側に連れていって欲しいなって」
「……これ、地図?」
「え、うん」
質問されたことに驚きながらも答えて顔を上げると、眠たげだったのから一変して、ぱっちりと目を開き興味津々に地図に見入っていた彼の姿があった。
相当珍しいのか、釘付けと言えるくらいにずっと目線は地図を見ている。
「ねえ、この緑色はこの森の色なの?」
「う、うん」
「この青くて長いのは──ああ、ひょっとして川だ? たしか遠くない所にあったはずだし」
「あ、うん、そうなんだ?」
「へーすごい。でもあれ、ここの湖は描いてないね? それだと現在地はここじゃないの?」
「あ、と……」
「ああ、ごめん君迷子だったもんね。じゃあ確認してくるから待ってて。ちょっと借りるね」
「え?」
向こうから積極的に話しかけてくることに驚きつつも会話が出来ていることに浮かれていれば、行ってくるねと彼は私の持っていた地図を持って歩き出す。
そうして私と少し離れた位置に立ち止まると彼の身体は光に包まれて瞬く間に獣姿になり、ぽっちゃりに見えていた身体から二対のたたまれた翼を広げてあっという間に空へと消えていった。
「飛ん、だ……」
私はただ、ぽかんとそれを見送っていた。
彼が空を飛べると思ってなかったっていうのもあるけど、明るい空の下でしっかりと見れた彼の姿の全貌に言葉が出なかったのだ。
ただでさえ凛々しくて迫力あったのに、翼を広げてぽっちゃりではなくなった様がまた心奪われるくらいにかっこよくて。
もう一度それを拝める瞬間を見逃さないように彼の戻りを今か今かと待ち続けた。
やがて頭上が陰り彼はふわりと目の前に降り立ったが、逆行でじっくりと眺められないままにすぐに人の姿になってしまった。
「今居るの場所はなんとなくわかったよ。それで君の行きたいのは──」
「あああのっ! 私を乗せて欲しいなっ!? 飛んで欲しいですっ!!」
地図を差し出して説明しながら話し掛けてきた彼に対し、大迫力のあの姿をもっと見ていたいと思っていた私は、気づけば彼の言葉に被せて大胆なお願いを口にしていた。
「ええと、歩けないってこと?」
彼はきょとんと数度瞬き、首を傾げて私の状態を覗き見てくる。とてもさっきのと同一人物(?)とは思えない可愛らしさだ。
「……引っ掻き傷がいっぱいだね? 痛いの?」
「えと、大丈夫、だけど……森歩きになれてなくてちょっと引っ掻けただけで」
「そっか、人って傷付きやすいもんね。でもなんで乗せてほしいだなんて?」
「私、行きたい場所があって。今すぐにでも行けるなら行きたくて。この、印のところ。ここにずっと会えなかった人がいるの」
「……ふーん」
彼の視線は私が指し示す印の場所と現在地とを辿っているみたいだが、それ以上の反応は何も無し。流石に贅沢を言った自覚はあるけど。
「やっぱりだめ、かな?」
「……まあ、この地図をくれるならいいよ、乗せてあげても」
「えっ、本当っ!? これでいいならあげるよっ! あげるあげる!!」
「え、いいの? 大事なのじゃないの……??」
「大丈夫だよっ! 遠慮せずもらってってっ!!」
「……あ、あーと、でも……あの、まだ誰かを乗せて飛んだことないから、乗り心地とか、慣れるまで少し時間も欲しいんだけど、それはいい?」
「いいよ! 乗せてもらえるんだもの文句なんてないよっ! わー、やったーっありがとーっお願いしまーす!!」
思いがけず快い返事に私の気分はもうるんるんだ。彼の手をとって感謝を伝えた後も、嬉しさが収まらなくて両手を上げてくるくる回ってしまうぐらいに。
そもそも翼を持ちながら飛べない私たちにとって空なんて永遠の憧れだし、しかもかっこいい彼の背中一番乗りだって話なんだからはしゃがずにはいられない。
この状況は彼の方がずっと困惑してたみたいだったなあ。
それから目的地に着くまでの間は、飛行訓練と休憩と場所確認のために他の場所に何度か降り立ったりして、その都度色々と彼は世話を焼いてくれていた。
まずは手足のかすり傷を治してくれたことに始まり、空の道中が思ったより寒いかもって震えていたら鞄から服を出して貸してくれたり、お腹が鳴ったら水辺に降りて魚をとって食べさせようとしてくれたり……まあ丸ごとの魚はびっくりしたので返してもらって、実際に食べたのは彼の持ってた果物なんだけど。
至れり尽くせりってこういうことを言うのかなとふと思ったね。
彼の親切で的確な配慮には驚きつつもとても助かっていた。城の侍女さんたちにだって尽くされてるなんて思ったことなかったのに、気のきく魔物さんというのがそう思わせるのかなあ。
──そんななかで特にひとつだけ、意外だったと思ったのは人姿の彼が私より背が低かったことだ。口にはしなかったけど本当に意外だった。
幾度もの休憩を挟み、飛ぶ感覚をつかんだ彼の背の乗り心地は最高に心地好く、本命である目的地に着いたときは快適すぎて彼の背で眠りこけていたほど。
眠ってる間のことはお母様達から聞いたけど、やっぱり彼は親切な魔物さんだったと言われる振るまいだったそうな。
色々と突っ込みたいかもしれないけど私も二人に突っ込みたい気分です。
不思議とフレンドリーになっちゃってまあ……
以前書いてたのと比較して少年の性格を明るくしようともしてますが……友好的になったものだなあ。