110. 恋の魔力
俺の脳裏をよぎったのは、かつてのマンティコア討伐の処罰の折、服毒し自害した貴族の青年エリク・リベイジの末路のことであった。
しまった、間に合わなかった。
その後悔の最中、俺も周りの皆も、ただ緊迫した様子でエクスの一挙一動を見守る。唯一シュルツだけが、その両のまぶたをぎゅうと固く瞑り天を仰いでいた。
しばらくが経ち、ふとエクスがその青い目を見開き虚空を見る……毒が回り始めたか。はじめはそう思い目を背けかけたが、どうにも様子がおかしい。
「兄上。先程の私の言葉を、撤回させて頂きたい」
エクスは苦しみ出す様子もなく、唐突にその唇を開いた。
「……どの発言のことだ」
「全部だ。シュルツ・ヴァリエ・ローエン。私は貴方の弟として、永遠の変わりなき忠誠を今ここに誓う。ゆえに私を城奥に幽閉するという件についてはどうかご容赦願いたい。国王としての責務も、貴殿の代わりにしかと果たすと約束しよう」
え? ちょっと、急にどうしちゃったのエクス王子? なんか変なもんでも食べた? 先程の様子とはまるで別人のようじゃないか。マジで何があった。
「承知した。アリエス、今のエクスの言葉を聞いたな。お前の票は我が弟に投ずるよう頼む」
「いや、別にいいんだけどさ。お前は何か知ってるんだろシュルツ。この第二王子殿の役者振り……いや、馬鹿げた茶番劇のワケを。今度俺にも聞かせてくれよ」
「ああ」
「アリエス。先ほどは騒がせたな。だが私はもう大丈夫だ。シュルツ兄上。先程は敬愛する兄である貴方に、酷い言葉を投げかけてしまったことをここに詫びさせてくれ。誠にすまなかった。あの時の私は、全くどうにかしていたようだ」
いや今のエクスの方が正しく「どうにかしている」状態なんだが? 周りもひどく困惑している中、不思議と隣のフラミスが妙に静かな様子で、エクスの方を静観しているのが分かった。
俺は一旦、エクスにかけていた蔦の魔法を解除した後、フラミスに話しかける。
「……フラミスさん」
「なんでしょう、ユウマ様」
「ひょっとして、貴方はエクス様の豹変のワケを何かご存知なのですか?」
フラミスは、その桜色の唇に柔らかな笑みを湛えていた。しかしその目は一切笑ってなどいない。彼はしばし沈黙した後、ゆっくりとその口を開いた。
「私の薬倉より盗まれたものの内、一回分の毒薬のみが未だ行方しれずの状態となっておりまして。持ち出したエクス王子も場所は知らぬとおっしゃっていましたが、私はその真偽を確かめるべく、貴方の元側付きであるジュリオス殿にある任務を命じたのです」
「……エクス王子の寝込みを狙って、彼の体を調べたのですか」
「さすがユウマ様、ご明察にございます。おっしゃる通り、私はジュリオス殿に特製の睡眠薬を持たせ、夜半エクス王子が眠る部屋へと彼を忍び込ませました。彼の隠密能力は誠にすばらしい……ジュリオス殿は見事エクス王子に睡眠薬を盛り、そうして深く寝入ってる間に彼の咥内から目当ての毒薬を見つけ出したのです」
たしかエリク・リベイジも、歯に仕込んでいた毒薬を噛み砕き自害したと聞いている。そこからあたりを付けたのだろう。
いやしかし、それにしても本当にすごいな? ジュリオス。ここまで来ると彼を諜報員や隠密でなく文官採用にしたのがちょっともったいなく感じてきた。いや実際やらせるとなったら危ないからね、本気ではないけども。
「毒薬は私の方で回収し、怪しまれぬよう薬のあった場所には、代わりに用意した別の薬を仕込み直しました」
「人心を操る薬の類ですか。確かフラミス様なら調合ができると」
「当たらずとも遠からずといえるでしょう。確かに広義の意味では人心を操るともいえますが、今回私が用意したものはよりシンプルで、原始的で、ゆえに強力な類のもの……」
「シュルツ兄上。皆のもの。今ここで、私から皆に伝えたい事がある!」
流石幾年も戦場を駆け抜け続けた猛者。エクスは辺りに響きわたる大きな声で、周りへと呼びかける。俺も皆も、文字通り固唾を飲んで彼の次の言葉を待つ。
「私は不肖の身なれど、今ここに自身をくだしたシュルツ王子のもと、この国を兄弟二人で共に治めていきたいと思っている。シュルツ王子は異邦人ユウマ殿を伴侶とし、この国を真に統べる影の王となろう。そうして私は表向きの王として矢面に立ち、我が伴侶には……」
そこで言葉をきり、エクスは白く滑らかなその頬をにわかに薔薇色へと染める。伴侶? まあ確かに王となる以上、世継ぎを残すべくエクスも伴侶を迎える必要があるのだろうが。一体誰が……。
「っ、わが伴侶には……スーデン王国王弟ゲラン・スーデン・ファルタを迎えたいと思う! ゲラン殿! どうか私の夫としてこのヴァリエに婿入りし、我が兄弟と共にこの国を支えてはくれまいか」
そう大声で宣言するエクスの顔は、その白皙の美貌を真っ赤に染めあげ、ひどく初々しい様子であった。
思わずその場にいたほとんどの人間の視線が、壇の下にいるゲランの方へと向く。当人も突然のことに、その口を大きく開けて唖然とした表情を浮かべていた。一拍置いて、彼の兄である国王バラムのとどろくような大笑いが辺りに響き渡る。
「ワッハハハハハ! ゲラン! お前も随分大層な美人に懸想されたものだ! ハッハハハ! いいだろうエクス殿! このバラム・スーデン・ファルタ。貴国への弟の婿入りを認めようではないか!」
いやちょっと待ってバラム国王陛下。いくらなんでも適応能力高すぎません? ちょっと俺、まだこの状況に追いつけてない……フラミス様?
「なぜ……」
「ゲラン様は勇猛かつ、それは大層広い心の度量をお持ちの方と伺っております。エクス様の番となるには、まさにうってつけの御仁でしょう」
「いやそうでなく、なぜ。毒薬の代わりに惚れ薬をエクス様の体に仕込んだのですか」
その問いに、フラミスはにっこりとその笑みを深めて言葉を紡ぐ。
「ユウマ様。恋というのは、大層素晴らしいものにございましょう? 貴方とシュルツ様は、それを良くご存知のはず」
「えっ、それはまあ、はい。同意見ですけども」
「ええ。ですがそれは、その恋の矛先が正しい方向に向かっている前提での話。人は恋によってより良い方向に変わることもあれば、自身のみならず多くの人間すらも巻き込み破滅させることもある……恋というものは、それは大層恐ろしい魔力を秘めているのですよ」
フラミスは、壇上で真っ赤な顔のままゲランの返事を待つエクスの姿を一瞥する。
「ふふ。私はその矛先を、万人にとって良き方向へと向けなおす手伝いをしたまで……エクス様ただ一人の意思を除いて」
「さ、流石に、彼が可哀想なのでは」
いや俺も、こんなこと言う気は一ミリも無かったんだけど。実際フラミスの薬により恋心を操作され、見る影もなく変わってしまったエクスの姿を前にぽつりとそう呟く。
「…………ユウマ様。私も人の親なのです。彼がゼルフィのグリフォン討伐にて、末子ナルシスに魔法を向け疾馬から落とすような真似さえしなければ、このような事は致しませんでした」
ああ、そういえばあったなそんな事件も。そっかぁ。確かフラミスさんが現場検証したって言ってたもんな。なるほどな。うん。
今後絶対この人を怒らせるような真似はしないでおこう……。
そう心の底からそんなことを思いつつ、俺はカオス極まりないこの茶番を見届ける決意をし、再び顔を前へと向けた。




