♯29,君は彼方7
1891年、ジェームズ・ネイスミス氏考案とされる競技であり文字通り籠とボールが用いられる。主に試合時間を4つのquarterで区切り、選手は5人対5人。フリースローやスリーポイントシュートを除いて、通常1ゴール2点。当たり前だが点を決めなければ勝つことはできない。例えどれだけ体が強くても、どれだけ速く走れても、どれだけ高く飛べても、点を絶対に決められない選手の活躍は難しいだろう。バレーでリベロという役割が成立するのは、彼らがネットで区切られたコートで戦うからに他ならない。それはさておき、海呑高等学校の周辺でバスケが出来る所を生徒に聞けば、十中八九とある市立の体育館の事を言うだろう。学生料金で安くコートやボールを借りれる上、予約が埋まらない限り使い放題となっている。まさに運動版のカラオケであり、部活のない日の運動部員が足繁く通っている。中学で一年に満たない僅かな期間陸上部に所属して俺は当然利用したことはないが、守は月に何回か行くらしい。当然ジムも備え付けられているため、常に必ずしも人が多いわけではなく今日は時間や周囲の人間を気にすることなく思う存分にバスケをプレイ出来るだろう。
「という事で外川、バスケするぞ。」
「いや…はい?」
断っておくと上記の謎の語りは決して書き始めに何を書けばいいのか分からない故に取り敢えず適当になにか喋っておくという、そういう作家の怠惰ではない。全て俺がドリブルの感覚を掴むついでに外川に語りかけていたのだ。
「待てよ律、長寿過ぎて夏イベの導入が雑になったソシャゲ的なノリで、俺が二つ返事で承諾すると思うのか!?」
「敢えて言うが俺はお前が中学時代にバスケをしていた事も、その実力も、それらが恋澄との確執に深く関わっていることを知っている。巫山戯てみただけで、決してお前の過去を軽んじている訳じゃない。」
「なら尚更だ。俺はもうバスケをしない。スポ根みたいなやり取りをしたい訳でもないし、そもそもあいつが気にしてるのは勉強の方だろ?」
ここ数日で俺は嫌でもある事に気付かされた。これまで幾度も二人の関係性への認識を改めてきたが、やはり互いの『何故関係に亀裂が入ったのか』という認識が違っているのだ。恋澄は外川の『自身の能力を隠し凡人になろうとした事』、外川は『自分が努力を怠った事で恋澄から見放された』と認識している。事実外川の定期テストの結果は回を重ねるごとに良くなっている。焦柄偉滝の影響もあるだろう。
「お前はテストの結果で恋澄に勝つことで関係を修復しようとしている。その認識は正しいよな?」
「話した覚えはないけど…まあそのつもりだった。」
「二年の終わりには大学受験を意識する奴も少なくない。点数を上げることはできてもそれ以上に順位は上がりにくくなるし、三年は選択科目が増える事でそもそも順位が出なくなる。だから俺に仲介役を頼んで対話で済ませようとした、そうだな?」
何も本人から聞いたわけではないが、話を持ち掛けられた時期と当人の態度から凡そそんな所だろうと察せられる。そも外川が恋澄の不満点が彼の中途半端な言動だと気づいているならば、バスケの話を俺にしない時点で協力する気なんて起きないし、外川が上記の内容通りの人間性であるならば俺は恋澄に共感し、逆に外川が恋澄を諦めるように説得するだろう。そうとは思いたくないのだ。
「そしてこの前の恋澄の態度で、お前はそれが不可能だと悟ったはずだ。勉学の努力は認められなかった今、外川信光が見つめ直すべきものは何か。」
「それがバスケから逃げた事って言いたいのか?俺は怪我でバスケを辞めたんだ、お前もそのくらいは調べがついてる筈だろ。」
彼のファンボーイらしい羽々滝も、俺が調べた限りの情報でも、当時の中学バスケ界の神童規格外は利き腕の怪我でバスケを引退している。現地の人間も、ある日突然外川が腕に包帯を巻いたものでてんやわんやの大騒ぎだったらしい。主に顧問が。その日中に顧問が外川に暫く部活の参加を認めず、気づけば外川は部活に戻らず包帯をグルグルに巻いた手でペンを握った。
「その通りだな。お前の事を教えてくれた人は誰一人として嘘をついてないんだろう。」
漸く手元を見なくてもボールをバウンドさせられるようになり、俺は外川に面と向かって言葉を繋げる。
「でもお前だけは違う。」
中学一年生、腕に包帯、部活以外の何かに時間を割かなければならないような事情。その全ての答えになる人物を俺は知っている。そしてその答え一つでは外川信光という人物の抱えるものは解き明かしたことにはならないのだ。
「偉滝の事を言い訳にしたくないのなら、本当にお前のバスケへの情熱が冷めたと言うのなら、バスケで決着しよう。先にシュートを決めた方の勝ちだ。俺が負けたら、お前の望む通りに今回の件は恋澄をいくらでも言い負かして強制的に対話の機会を設ける。」
見様見真似で外川にパスを出す。回転の甘いオレンジのボールを、外川がいつぶりに手の内に収めたのかは知らない。分かることはその両の手から球はこぼれ落ちなかった。
「で、宮古が勝ったら俺は何をさせられるんだ?」
ボールを渡したのは謂わば会話のキャッチボール的な、比喩表現のつもりだったのだが、彼はそれを挑発と捉えたらしく俺がするよりも素早く、力強くボールが地面と手のひらを行き来する。
「もう一回だけバスケをしてもらうだけだ。最も、お前が本当に何の裏もなく引退を決めたのなら、何か不快意図もなく得点を決めないプレーをしていただけなら、ビギナーズラックには大いに気をつけるんだな。」
笛は鳴らず、周囲の人の声も当然俺には届かず、かつての神道がもう一度歩みを始めた。当然俺自身はズブの素人でディフェンスのイロハなんて知る由もない。故に持ち前の反射神経だけで外川の手元からボールが離れた瞬間手を伸ばした。論理的に考えれば手元を離れた物体を操作することはできない。我ながら完璧なスティール(恐らくこんな正面切ってするものではない)だったが、俺の左手は空を切るのみで伸ばした腕から背を滑るように外川が身を回転させた。チームメイトがいない以上こうなってしまえば敗色濃厚。現に外川はフリースローの位置に着き、お手本のようなシュートフォームから美しい山成の軌道が描かれた。初心者の俺でも『入った』と、そう確信させるようなシュート。弓道には正射必中という言葉があるそうだが、ことバスケに於ける正射とは当にこの事だと実感した。けれども例えどれだけ完成された動きであろうが外川信光の放つボールは枠に弾かれ俺の手元にバウンドして戻ってきた。
20分程俺が3歩進む前にスティールされるか、外川がシュートを外すかを繰り返していた。慣れない動きというのもあるが過去の枷が、呼吸器官の活動限界が近づいていた。外川は汗こそかいているが呼吸が整っている。それでも何を考えているのか分からなかった表情が、確かに少しずつ焦りやいら立ちのようなものが垣間見えてきていた。
「お前激しい運動嫌いだったろ、なんでこんな事すんだよ。」
「何でだろうな俺にもよく分からない。それより熱い話はしたくないんじゃなかったか?」
俺が今、いやあの体育祭の日も、守とあの丘に初めて行った時も、俺はどうしてか身体を蝕むナニカを払いのけようと走った。理由は今は未だ分からない。それでも守と橋李、その2人に見いだした物が、あの2人にも見えた気がした。それだけだった。それが哀れみなのか親愛なのかは、きっとこれから俺が決める事なのだろう。そして恐らく最後の俺の攻撃の番。外川もきっとそれを察していて、尚且つ今彼の中で揺れ動いている思いが確かにある筈だ。詳しく話した記憶はないが、俺と橋李の間に何か関係性の様な物があるのは見抜いているだろう。故にだからこそ、外川は今『過去に諦めた物に向き合う』俺を前にして、きっと。
「なあ宮古、俺──」
その揺らぎを見逃さず、俺は真っ直ぐゴールまで走った。それも自陣のゴールへと。外川は完全に虚を突かれ、半秒遅れて現状を理解し慌てて駆け出す。素人のましてや身体の限界を迎えかけの俺のドリブルより、当然のように外川が走るだけの方が速く2人の距離は俺がフリースローラインを踏む頃には無いに等しく、こっからどう足掻こうとボールを奪われるのは必然だった。だから俺はボールを自ら手放した。別に特大のスリーポイントシュートを狙った訳じゃない、寧ろその真逆俺はボールを放ったのは又もや自陣のゴール、そのバックボードだ。反発係数分の失ったエネルギーが音になり、外川が意図に気づく頃には両手が空いた俺が外川より後方に落ちたボールに追いついていた。
帰路につき互いの道を違えるとある駅の改札、それまで一言も発さなかった外川がそれを通ってこちらに振り向いた。
「ありがとな、宮古。」
階段を駆け上がり、直ぐに外川を視認できなくなった。それでも最後に後ろを振り向けられた。
外川を含め一部のキャラは驚くほどキャラ(性格の意)と設定が変わったので自分でも偶にコイツは今何を考えていて、どんな言動をとるのか分からなくなります。




