45 神話の中の神々
「ねえ、アスール」
「何?」
「課題、終わりそうも無いんだけど……」
「うーん。僕たち随分溜め込んでるからね。きっと今頃レイフも頑張ってると思うよ」
「ああああぁぁぁ。辛い」
ここ数日、アスールとルシオは溜まりに溜まった夏の課題を終わらせるべく、午前中は離宮の図書室にこもっていた。
二人とも、敢えてテレジアには課題を持って行かなかった。兄のシアンが折角なら楽しんで来た方が良いと、課題は離宮に移動してからでも充分間に合うだろうと言ってくれたからだ。
「つまり、僕たちとシアン殿下ではそもそもの出来が違うってことだよね?」
「はは。そうだとしても、終わらせるしかないからね。口じゃなくて手を動かそうよ」
「…‥分かった」
離宮の図書室は王宮のそれと比べれば随分と蔵書数も少ないし、部屋自体も当然だが狭い。だが、アスールはこの図書室もかなり気に入っている。
この部屋には窓がたくさんあって、この時間帯は気持ちの良い爽やかな風が、開け放たれている窓から入ってくるのだ。
「確かルシオは午後から湖に行きたいんだよね? だったらもう少し頑張ろう!」
「分かってる、分かってますよ。頑張ります!」
「言っておくけど、僕は溜まっていた分はもうすぐ終わるからね」
「本当に?」
「ルシオはお茶休憩が多すぎるんだよ」
「だって、折角用意してくれてるんだから、残したら申し訳ないでしょ?」
「……はあ」
「ちなみに今日のお茶受けはバナナケーキだってさ!」
ルシオは人懐っこくて、誰とでも気軽に会話をする。いつの間にかこの離宮の使用人たちとも、お茶菓子の情報を入手できる程度には打ち解けているようだ。
「ルシオは凄いよ」
「何が?」
「いろいろと!」
それから三十分も経たないうちに図書室の入り口の扉がノックされる音がした。定時のお茶が運ばれてきたのだろう。当然のようにルシオはその音を聞き逃すはずもなく、すぐに反応する。
「やった!」
「お茶の時間です♪」
予想外の声にアスールが顔をあげると、お茶のワゴンを押して入ってきたのはローザだった。
「どうしたの?」
「ふふ。驚いたでしょ?」
「うん」
「お茶を頂いたら私もここで本を読もうと思ってます。お勉強の邪魔はしませんので良いですよね? 一人はつまらないです」
「もちろん構わないよ」
「ありがとう存じます、アス兄様。じゃあ、お茶とお菓子はこちらにご用意しますね」
ローザはメイドたちに手伝って貰いながら三人分のお茶とお菓子を用意している。お茶とバナナケーキのとても良い香りがするので、ルシオが待ち切れないといった表情を隠しもせずにソワソワしはじめた。
「アス兄様、ルシオ様、どうぞこちらで召し上がって下さいな」
「はい!」
そそくさと移動するルシオの背中を見ながら、アスールはまた小さく溜息をついた。
「ところで、ローザ様はどのような本を読みにいらしたのですか?」
楽しみにしていたバナナケーキを堪能して、すっかり満足した様子のルシオが、まだケーキを食べ終わらないローザに質問する。
「何か面白そうな物語があればと思って」
「物語?」
「はい」
「例えば? 騎士と姫君の恋物語とかですか?」
「恋物語ですか?」
ルシオから “恋物語” という言葉が出てきたことにアスールは驚いた。ローザも同様だったようでルシオの顔をまじまじと見つめて聞いた。
「ルシオ様はそういった物語をお読みになられるのですか?」
「いえ、僕は読みません。けど、僕の妹はそういったのが好きみたいですよ」
「まあ、カレラ様が?」
「ええ」
「そうなのですね。うーん、私はそういったものよりも神話とかの方が好きですわ」
「なるほど、神話ですか」
ローザとルシオの今一つ噛み合わない話を聞きながら、アスールはダリオが島の裏山に登った時に言っていた話を思い出していた。
「ねえ、ローザ。水の女神のお話は知っている?」
「水の女神? それって、アクエル様のことですか?」
「んー、確かそんな名前だった気もするな。ダリオから教えて貰ったんだけど」
「それは、神様が番の鳥を助けるようにと仰った話ですか?」
「そう、それ!」
「知っています。ここの図書室にその本が置いてあるかは分かりませんが、王宮にはありますよ。以前お姉様に見せて頂いたことがあるので」
「へえ、そうなんだ」
「アス兄様も神話とか興味がおありですの?」
「興味?…‥どうかな。前にちょっと島で不思議な経験をして。気になるって言うのかな。いろいろと知りたい? みたいな」
「どんな経験ですの?」
「どんな?……そうだね、霧に包まれるような? 謎めいた?」
「なんですの? それは?」
「ちょっと簡単には説明し辛いというか……」
「アクエル様は水の女神様ですから、兄様を霧に包むことなど容易にお出来になるでしょうね。反対に水属性の兄様のことを守って下さることだって可能なのでは?」
「えっ? 女神様って属性毎に存在したりするの? その上守護したりも?」
「アス兄様は本当に何もご存知ないのですか?」
「それって常識なの? ルシオは知ってる?」
アスールは戸惑ってルシオに助けを求めた。
「ええええ、アスール兄様は本当に何もご存知ないのですか?」
ルシオがニヤケ顔で巫山戯ながらローザの真似をした。
「もう、ルシオ!」
「ごめん、ごめん。でも知らないとは思わなかったから」
「有名な話なんだね?」
「まあそうかもね。僕も小さい時に祖母から聞いたんだ。確か、火の男神イグニア、水の女神アクエル、氷の男神グラーシャ、雷の男神トニトル、風の女神シルファ、地の女神テラーラ、光の女神ルミニス、闇の男神テネブーレ。だったよね?」
「はい、そうです」
「神様が人間の世界に遣わした四人の男神と四人の女神」
アスールは神話などに全く興味がなかったので、ローザはともかく、ルシオがこんなにもいろいろと知っていたことに驚いた。ローザが話しを続ける。
「国によっては、その八神を “守護神” として重要視している国もあるそうですよ」
「クリスタリアは……そうでもないよね?」
「まあ、王族のアスールの認識がその程度なんだからそうだろうね」
ルシオはまだニヤニヤしながらアスールを見ている。
「悪かったね、王族なのに見識が浅くって」
「ははは」
「君はもう充分にケーキを堪能したことだろうし、さっさと課題に戻ったらどうだい?」
アスールは反撃に転じた。
「じゃあもう一杯お茶を頂いてから課題に戻りますよ」
部屋の隅でずっと三人の遣り取りを微笑し気に聞いていた使用人が、ルシオの一言で慌ててお茶のお代わりを用意している。
ローザはようやくケーキを食べ終え、新しく入れ替えてもらったお茶をゆっくりと味わっていた。
「でも、どうして闇の男神テネブーレ様だけは地上に留まることを拒絶して、再び天にお帰りになってしまったのかしら?」
「うん、うん。そうだよね。地上の居心地が悪かったのかな?」
「闇の男神だけ?」
「神話ではそうなっていますね。理由は分かりませんけど」
「ねえ、ローザ。その地上に降りた神々はどこに居るか分かるの?」
「さあ。神にまつわる逸話が残っている地域があるとすれば、その辺りではないですか? 少なくとも氷の男神のグラーシャ様が南国にいらっしゃることは無いと思います」
「まあそうだよね」
ルシオが意を決したように立ち上がった。
「じゃあ僕は、またとやかく言われる前に課題に戻ります。ローザ様、美味しいお茶とお菓子、ご馳走様でした」
「はい、どう致しまして。課題、頑張って下さい」
ルシオはアスールとローザに向かってヒラヒラと手を振りながらやり残した課題が積まれた机に戻って行った。
「アス兄様はもう課題は終わりましたの?」
「ほとんどね」
「そうですか」
「ローザ、僕もちょっと神話の本でも読んでみようかな」
「あら、どういう風の吹き回しですか?」
「まあ良いじゃない。ちょっと気になることもあるしね」
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