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第1話 ノーベル賞を妬む少女

 今年も日本人がノーベル賞を受賞した、っていうニュースを風呂上がりにわたしは見ている。風呂場で化粧を落としたわたしの顔は、ごく普通、と思いたい。そんなことを考えながら、受賞者の大学教授の顔をぼんやりと観る。ノーベル賞受賞。2年前、高校卒業後、地元の中小企業に就職したわたしにとっては、夢とも現実ともつかないできごとだ。


「この研究によって、数多くの命が救われます。研究に打ち込む姿勢もそうですが、人間として本当に尊敬できる先生ですね」


そうなのか。きっと、病気で苦しむ人たちに希望を与えたんだろうな。


「数億人の人が先生の研究によって救われました」


アナウンサーの語り掛けるような声がふっ、と遠ざかり、部屋が急に暗くなった。


室内の壁、なのか、空間そのものなのかが、怖い感じの夜空のようになる。星が見えそうで見えない、そんな感じの空のような風景。


見ると、その風景の真ん中に、髪が肩にかかるくらいの静かな少女が立っている。見たまんまだとしたら小学校6年生ほどか。肌が透き通るほど白い。表情ははっきり分かる。無表情だ。


「こんにちは」


「こんにちは」


「・・・・」


向こうからこんにちはと挨拶され、こちらも返す。その後は無言。


一瞬、夢か、と考えたけれども、夢ならばこれは夢だという感覚を持つはずだ。したがって、夢ではない。じゃあ、幻覚?確かにわたしは片頭痛で半年ほど通院しており、脳の血管を収縮させる薬を、「あ、来る」と頭痛の予兆を感じて飲んだけれど、こんな副作用があるなんて医者からは聞いてない。


とにかく相手が無言なのでこちらからその少女に話しかけようと思った。不思議だけれどもわたしはそう思った。


「どうしたの?」


わたしは少女が何か喫緊の危険を有しているのではないかと考え、咄嗟にそう訊いた。それほど彼女の雰囲気には緊張感があった。


「大勢の人を救う、って、すごいこと?」


少女の言っている言葉がすっ、と入ってくる。おそらく、さっきのノーベル賞の話なのだろう。


「多分、そうだろうと思う」


わたしの答えに少女の顔は無表情を通り越して静物画のように微動だにしなくなる。少女が言葉を捻り出すように発音する。


「何億人の人が助かるよりも、わたしは、今すぐ助かりたい」


「何か、辛いの?」


わたしが反射で訊くと、少女の学校での生活風景が一瞬で私の脳裏に滑り込んできた。


これは日常、と呼べるだろうか、それとも異常、と呼んだほうがいいのか。いじめ、という言葉も彼女が暴力というか虐げというか、そういう輪の中にいるこの状況を表現するにはあまりにも陳腐すぎる。どんな小説家も映画監督も、拷問のエキスパートさえ想像不可能な彼女の映像。男子には決して見られてはならない仕打ちを同じ年齢の女子たちから受けている彼女の映像があった。


「数億人の命が救われるのって、わたしには関係ない。わたしはこの一百三十六地獄から、今日只今抜け出したいんです」


彼女がそう言った後、数秒の間があった。追加の台詞があった。


「わたしって、わがままですか?」


わたしは少女への回答を十秒ほどかけて考えた。そして、答えた。


「わからない」


ガシャン!と音がした。部屋は明るい。テレビの音もはっきり聞こえる。


未だにアナウンサーや街頭の人たちが、受賞者をほめたたえている。


わたしは、馬鹿らしくなった。


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