170 ラト……
落ち着こう。
そもそも戦争するつもりがあるというのは本当のことなのか。
高校生兵の言葉を疑うわけではない。しかし、噂や憶測の域を出ない情報に躍らされてはだめだ。
深呼吸を二回。
私がすべきこと。その一。
ゆっくりとベールを外し、高校生兵に顔を見せる。
万が一ベールが外れても、リエスだと分からないようにメイクはしてある。
ランちゃんでもリエスでも無い、高校生兵の知らない顔を、ベールを外して見せる。
「あっ、し、失礼いたしました。人違いでした……!」
高校生兵は、汗を掻いて謝ると、恥ずかしそうに足早に立ち去った。
助けてもらったお礼も言えなくてごめんなさい。
これで、彼から「聖女はラン様じゃない」と話が広がればよし。ランちゃんと間違われて狙われては困る。
それから、私がすべきこと、その二は……。
情報収集だ。
ちょうど今日から貴族めぐりをするつもりだった。
貴族といえば、陛下と顔を会わせる機会もあるだろうし、それに政治に絡む職に付いている人もいるだろう。
一般兵よりも、信憑性のある情報が得られるはずだ。
急ごう。
ウルさんとは、熊屋亭を出たところで待ち合わせている。
聖女スタイルから、情婦スタイルへと変身し、熊屋亭へ。部屋を指定して、女性を呼ぶ人もいるため、情婦一人で受付を通過しても不信がられることはない。
ルイスとして借りている部屋で、ルイスに戻り、熊屋亭を出る。二軒先ほどに、ウルさんの姿を見つけて駆け寄ろうと歩みを速めた。
「あっ」
すいませんっと、思わず日本語が口から出そうになって慌てて言葉を飲み込む。
ウルさんに意識が集中していたため、そこにいる人に気がつかずに肩がぶつかってしまった。
「何を探っている」
小さな声が耳に届く。
探る?
まだ何も探ってないけど?これから戦争について探りを入れるつもりだけど、まさかそれがばれちゃうわけ無いよね?
声の主に顔を向けると、カーベルさんがいた。
一瞬険しい顔を見せたカーベルさんは、何事もなかったかのようににこやかな表情を見せた。
「カーベル殿」
ウルさんが、私達の元にやってくる。
探るって何のことかと尋ねるわけにもいかない。ルイスは言葉が分からない設定なのだから。
ウルさんの耳元で言葉を発する。もちろん通訳のふりをしてもらうためだ。
「カーベル殿、先の件ではお世話になりました。ありがとうございます。この辺りでよくお会いしますが、挨拶もろくにせずに申し訳ありません」
通訳してもらったウルさんの言葉に、カーベルさんが答える。
「この塀の向こうが私の屋敷なので、これからも顔をあわせることがあるでしょう。言葉が分からないのですから、挨拶のことは気にしなくても宜しいですよ」
カーベルさんが、熊屋亭が並ぶ通りの後ろに長くのびた塀を指差す。
小学校が入りそうなくらい長い塀の向こうが、カーベルさんの屋敷なの?すごく広い敷地だよね?屋敷も立派そうだ。
やっぱり、カーベルさんは相当位の高い貴族ってことだよね?
執事をしているのは、やはり何か理由があってのことなのかな?
聞き間違いでなければ、カーベルさんは「何を探っている」と言った。カーベルさんについて疑問に思っていることが伝わってしまったのだろうか。
尋ねることを躊躇しているうちに、カーベルさんは頭を下げて去っていった。
「どうかなされましたか、ルイス様?」
ぼんやりカーベルさんの後姿を見ていた私に、ウルさんが声を掛ける。
「いえ、何でもありません。さぁ、行きましょう」
貴族めぐりを早急にしなくては。
商品を売ってお金を得るためだけなら、さほど急ぐ必要はない。しかし、事情が変わった。
戦争が起きるかもしれない。それも、私のせいで……。それが本当なのかどうか、急いで調べる必要がある。
そして、もし戦争が起きるのが本当であれば、何としてでも止めなければならない。
「ルイス様、馬車をあちらに用意いたしました」
「そうだ、ウルさん、ちょっと高級に見える蓋の付いた器をいくつか用意してくれないかな?商品を小分けにできるように」
「分かりました。では、ルイス様は馬車の中でお待ちください。あちらの店で取り扱っていたと思いますから、すぐに買ってまいります」
熊屋亭から見える場所に止められた馬車に乗り込む。
異国風の衣装に、腰くらいの長さのケープを身に着けている。二重に布が重ねてあり、布と布の間にぎゅっと押しつぶしたカバンを隠し持っているのだ。
急いでケープを脱いで、布の口を開いてカバンに手を突っ込む。
商品を用意しなければならない。
馬車の中には、湖畔の別荘から持ってきた荷袋が三つほど置いてある。
いくらカバンの中に入れちゃえば、荷物を持たずに済むといっても、手品みたいに商品を取り出し続けていたらウルさんたちに怪しまれるので、普通に荷造りしたものもあるのだ。まぁ、ほとんど中身は「花のミイラ」もとい、「恋愛運を遠ざける護符」であるポプリだけどね。
商品にするのは、湖畔の別荘近くの森で作った「メープルシロップ」と「香水」と「ポプリ」と、それから……。
廃油石鹸。
カバンから、サイコロキャラメルくらいにカットした石鹸の一つを取り出す。あまり量が作れなかったから、とりあえず試供品として小分けにした。
ピッチェから持ち帰り、ラトにうどんチップを作ってあげたあの揚げ物油……。廃油を利用して作ったのだ。
ラトがおいしそうにうどんチップを食べている姿が思い出された。
純真無垢な笑顔を見せてくれたラト。ユータさんのおかげもあるだろうけれど、私のことを純粋に慕ってくれたラト。
言葉もろくに分からない私が、この世界で大丈夫なんとかなると思えたのは、思えばラトのおかげだった。
確かに、マーサさんたちいい人に囲まれ、たくさん助けられ、この世界になじむことが出来た。
だけど、心の奥底ではいつも「嫌われたらどうしよう」と緊張していたのは確かだ。だけど、何故かラトに対してはそんな緊張感なく接することができた。
きっと、ラトが向けてくれた無償の情のおかげなんだと思う。
例え、ユータさんの代わりだったとしても、それでも、私はそのラトの気持ちに助けられていた。
……。そうだ。
吾妻さんが、この世界で一人だと感じていると思ったのは、ラトと離れてからだ。
私は……。
こちらの世界に来て、本当の孤独感を感じていただろうか?
私にとって、ラトは……。




