125 佐藤梨絵
涙が流れ落ちる。
「しょ、少年、どうした?痛むのか?」
力なく首を横に振る。
ああ、また心配させてしまった。本当に、私なんて消えてしまえばいいのに……
「あ……」
ラトが何かに思い当たったように、小さく声を上げる。
「すまない……」
何を謝ることがあるの?
「その、少年じゃ、なかったんだな?」
ラトの目が所在なさげにちょろちょろと泳ぐ。
ああ、私の性別を間違っていたことを謝っているの?でも、私も否定しなかったし、そもそも少年だと思われるような格好や振る舞いを自分でしていたのだから謝る必要ないのに。
侍女風の格好していたから気がついたのかな?
って、あれ?私、寝巻きみたいな服装に着替えさせられてるよ!
そうか、骨に異常があるとか無いとか、医者に見せたからか。
もしかして、服を脱いだところ、見た?
「ラト……」
この、目が泳ぐ感じ、見たな……。
視線を動かして身の回りを確認すると、ベッドの端にたたんだ侍女服と鞄が置かれていた。
私……
鞄があることにホッとした。
トゥロンのことで、苦しい辛いと言いながら、鞄があることに安心するとか……自分のこと考えるなんて最低だね。
あんまり、自分が醜く感じて、思わず笑ってしまった。
「少年……ではなくて、何と呼べばいい?名前を教えてくれないか?」
「名前……?」
私は誰だろう?
私は、
「梨絵」
今も昔も何も変わらない。
「佐藤、梨絵」
「サトゥ、リエ?」
そうだ。
平凡な人間だ。
無職で、独身で、アラフォーで……
ちっぽけな佐藤梨絵だ。
ちょっとこちらの世界で日本の知識が役に立ったからって、何も私が偉くなったわけじゃない。
私はずっと変わらず、特別でも何でもない。
ただの佐藤梨絵だ。
「リエ……」
ラトが私の名を口にする。
この世界で、私の本当の名前を耳にしたのは初めてだ。
「ただ、一度だけ我がままを言わせて欲しい」
ラトの目が真剣そのものだ。
精悍な顔つきとはこういう顔を言うのかな。やつれて、影の指す頬がラトの顔に凄みを増している。
いつもの、うどんを嬉しそうに食べている顔とはまるっきり別人のようだ。
「リエ」
我がままを言わせて欲しいと言った割には、まだ言おうか言うまいか悩んでいるようにも見える。
なかなか話の先を言い出せないラト。
仕切りなおしをするためなのか、長い話になるのか分からないが、ラトはベッドサイドに椅子を持ってきて腰掛けた。
そして、ラト側にあった私の手を取り、両手で包むように握った。
「守護されし者の印が届いた時、それが割られていたのを見たとき……頭が真っ白になった。自分自身でも驚くほどのパニック状態だったと思う」
本当に、ごめんね……
「覚悟はしていたんだ。君がいつかいなくなることを。けれど……君の身に何かあったのかもしれないと思ったその時に分かったんだ……」
ラトの目が、私の表情を見逃さないとでも言うように、真っ直ぐと私の顔を見ている。
「帰らないでほしい」
ラトの本心……。
故郷に帰らないで欲しいって、一度も言わなかった、ラトの我がまま。
きっとユータさんにも言わないでいたんだよね。我慢していたんだよね。
ラト、私、今どんな表情してる?
どう、答えたら良いのか分からないよ。
帰りたい。日本に帰りたい。
だけど、でも、私は誓いを破った。自分の中の誓い。日本に帰る為に自分に誓ったことを。
『間接的にでも人を殺めない。』ということを……。
ううん、まだトゥロンは死んだって決まったわけじゃないけれど。でも、傷つけた。間違いなく私のせいだ。
もう、日本に帰る資格なんてないのかもしれない。
「傍にいて欲しいんだ。ずっと、ずっと僕の傍にいてほしい……僕の手の届くところに……」
黙ったままの私に、ラトが言葉を続ける。
「なんだか、プロポーズの言葉みたいだね?」
頭も心も現実を受け入れる許容量を越えている。思考が働かない。
帰るよとも、帰らないよとも言えない。
なんとも頓珍漢な言葉しか出てこない。
だけど、ラトはそんな私の言葉に不快感は表さなかった。
「プロポーズ?」
「一生傍にいてほしいってプロポーズの言葉みたいでしょ?」
ラトの手に力が入った。
「リエ、結婚しよう」
え?
「僕と結婚してほしい。リエのいない生活は考えられないんだ」




