プロローグ 人生に間違いはつきもの
迷宮なんて ろくなものじゃない。
一攫千金を夢見る冒険者も、無知な者を騙す情報屋も、入り口を独占し入税料をとるギルドも、癒着している役人も、落ちぶれて盗みを覚える落第者も。
夢やロマンなんてものはろくでもない。まっとうに働いて、まっとうな金を稼ぐ。
一攫千金なんてものは存在しない、日々つつましく畑を耕し、ご飯を食べる、精霊に祈り、日々に感謝するーーーその暮らしがダンジョンの登場で一変した。
人は夢を見るようになった。
それがコインの裏表のようなもので、窮屈な日常を憎むようになった。
俺は冒険者なんてしない。冒険なんてものはろくでもないからだ。
夢を見るヤツも、売るヤツも、腹に一物抱えて、細めた瞳をギラギラとさせている。
高貴な連中が、冒険者の金は汚いと嫌うのもわかる。
「…」
そんな事を思う俺も全うではなかった。
★
「気持ちわりぃ」
ぼたっ…と肉塊が崩れ落ちた。
臭気を放つ、それは緑色の剛毛な皮膚に覆われ、中身は変色した肉のような紫の液体で満たされていた。
「ドロップアイテムがあるってきいたんだけどなぁ」
とげとげした言い方になってしまう。なにを思うかは自由だが、自分の感情を表に出すのはご法度。
息絶えたゴブリンを振っても、出てくるのは肉塊だけだ。
目玉は黄色く濁っていた。ぎょろりとした目玉は、力の上下とは違った恐怖を植え付けてくる。
ゴブリンをそのまま捨てる。
ダンジョン内を見渡した。
あんなに狭かった入り口が嘘のような広さ。天井は精霊塔よりも高く広い。光が入らない空間で、モンスターの視線だけがチカチカと光っていた。
道がない。目印となるものもないので、迂闊に進むと迷うだろう。
気が抜けない。次から次にモンスターはくる。冒険者にも注意を払わなければならない。
なぜなら、こいつらは平気で殺しも盗みも行う。腐った連中だからだ。
思った以上にめんどくさそうだ。
ダンジョンに入るなんて失敗だったのかもしれない。
目的のものを見つけられるかもわからない。
俺ははじめて、まともにダンジョンに入ったのだ。ダンジョンがこんなにも広いとは想像がつかなかった。
ダンジョンに入ろうと思ったのは、妹のリネンがハムスターが欲しいと言ったのがきっかけだった。
ダンジョンのモンスターは高値がつく。ありふれていれば、雑魚値しかつかないが、レアになると、城を立てられる。
妹が欲しいといったハムスターは、俺の収入の半年分だった。高かったのだ。
ならば、と思い、ダンジョンに入った。簡単に見つかると思ったのだ。
リネンはダンジョン産の石を欲しいと言ってもいた。
俺がダンジョンでアイテムを獲得すればいいと思ったのだ。
「くそっ…!! 刃が溶けたっ…!!!」
刃が折れる、ならばわかる。なぜ溶ける?
ムシャクシャした。足元にいた生き物を、サッカーボールのように、蹴っ飛ばした。
もう帰ろう。
これじゃ戦えない!
モンスターは耐久性がある。
皮膚が堅い。爪は鋭利。油断しない。くつろがない。唸る。
モンスターは隙がないのだ。
それに。
首を折っても、心臓を刺しても、まだ息をしている。死ぬのが遅い。
遅いどころか自己回復してくる。
俺はモンスターを恐ろしいと思った。人を殺しているほうがよっぽどマシだ。
人であれば、首を切れば絶命する。首を絞めれば息絶える。胃に穴をあければ大出血でいずれ死ぬ。頭を背後からぶん殴れば意識が飛ぶ。
こいつらは本当に恐ろしい。
死なないのだ。耐久性と生命力は、外来種のゴッキーを思い出す。
ダンジョンなんてくるべきではなかったのだ。
回れ、右とくるりと身を翻す。
そのとき、地面が揺れた。
この世にはどうしようもない事がある。生まれ、家族、税、能力、容姿、性格そして災害。
ダンジョンが揺れた。縦に横に出鱈目に揺れる。
俺はふと昔、妹飼っていた小鳥を思い出した。鳥かごをガタガタと揺らして遊んでいたのを。
岩肌の壁から、石が降ってくる。それは雨のように。
当たったら死んでしまうっ…!
逃げる場所もなかった。
たった1回、気まぐれで入った迷宮。
ここで死ぬなんてのは馬鹿げている。
世の中がたとえ理不尽だとしても、俺より不幸な奴が何人いようと、俺は生きてやるし、幸せになってやる。
地面が崩壊した。
足場がなくなった。そのまま下へ下へと落下した。
最悪な事に意識を失わなかった。
重力の感覚から、自分は仰向けに倒れたとわかる。
閉ざされた眼孔が光を感じた。億劫に瞼を持ち上げる。
精霊堂の壁絵を思い出した。
天から光が差し込む。ただ、その光の周りは岩壁。
井戸の中から見上げているようだった。




