母譲りの美しさ
薄暗い森の中。
男は穴を掘っていた。
土は何故か柔らかく、
すぐに深くまで掘れた。
「さよなら、兄さん」
男が土をかけ終えると、
足元の影が、ゆっくりと広がった。
昔々、あるところに
美しい三人の姉妹がいた。
長女のヘレナは、しっかり者で料理上手。
彼女には結婚を約束した良家の恋人がいた。
次女のエルザは姉妹の中で一番優しく、身体が弱かった。
末娘のクララは、好奇心が強く天真爛漫な性格だった。
この家族は姉妹のみならず、
父と母も仲の良い家族だった。
この母は、村でも評判の美人だった。
母はよく、鏡の前に立っていた。
髪を整え、頬に触れ、何度も角度を変える。
「ねえ、私…今、ちゃんと綺麗に見えてるかしら」
父はいつも言った。
「お前は誰よりも美しい」
母はとても森が好きな人だったが
父は危ないから近寄るなと言っていた。
「あの森のバラはね、枯れないのよ」
母はそう言って、どこかうっとりと笑った。
父はすぐに顔を曇らせた。
「くだらん。森には近づくな」
ある日、母は森の中で行方不明になった。
その頃、村では狼の被害が続いていた。
「獣にやられたんだろう」
「なんと不憫な」
村人たちは口々に噂した。
ほどなくして、母のための葬儀が行われた。
棺は、空のままだった。
ヘレナは墓を見つめ、
クララは泣き出し、
エルザはクララの揺れる肩を慰めた。
ある日、父は娘たちに言った。
「明日、隣町へ商売に行ってくる。
お前たち、土産に欲しいものはあるか」
食事の用意をしていたヘレナは言った。
「新しい生地と、香辛料が欲しいわ。
彼と出かけるから、ドレスを作りたいの」
父と話していたクララは言った。
「私はバラがいい!
ママがいつもしていた、赤いスカーフみたいな色の」
季節外れな言葉に、父は少し困った顔をしたが
すぐに目を細め、笑った。
「バラが好きなのは、母親譲りだな」
何も言わないエルザに向かって父は言った。
「エルザ。
お前は何が欲しいんだ」
「……私は何もいらないわ。
ただ、パパが無事に帰ってきてくれれば」
父は小さく息をついて、笑った。
「そんなわけにはいかん。
……お前の裁縫箱はもう古いだろう。
新しいのを買ってやる」
ヘレナは頷いた。
クララは「いいなあ」と笑った。
「パパ、ありがとう」
「お前たちは、母親に似てみんな美人だ」
娘たちは笑った。
クララの髪を梳きながら
エルザは言った。
「そうそう、姉さん。
ドレスの繕い物、出来てるわ」
ヘレナは喜んだ。
「ありがとう、エルザ」
その時、家のドアを叩く音が聞こえた。
エルザが立ち上がった。
「フリッツだわ」
農家の息子、フリッツだった。
彼は、農家の息子にしては整いすぎた顔立ちだった。
彼は貧しいながらも、売れ残った野菜を
いつもこの家族に届けていた。
フリッツは部屋に入ると、エルザに近寄り言った。
「エルザ、立たなくていい。
大丈夫なのか」
「心配しすぎよ、今日は平気。
今日も来てくれたのね」
エルザはそういい、彼の胸に顔を寄せた。
「無理するなよ」
フリッツはそう言って、
エルザの額に軽く口づけた。
父は言った。
「いつもすまないな、フリッツ」
「いえ。みんなに余さず食べてもらえる方が、育てた甲斐がありますから」
ヘレナは言った。
「助かるわ、フリッツ。
ねえ、これ食べてみて」
ヘレナは料理をスプーンに載せ、
フリッツの口元に運んだ。
フリッツは赤くなりながら
それを口に含むと、驚いて言った。
「なんてうまいんだ!」
ヘレナは笑って、フリッツの肩に触れる。
「あら、そんな顔するの?
かわいい」
フリッツは真っ赤になって、言葉をなくした。
エルザは咳を一つして、笑った。
「姉さん、やめてあげて」
ヘレナは笑った。
「冗談よ」
ヘレナはフリッツに向かって言った。
「ねえ、フリッツ。
うちの馬が最近、あまり餌を食べないの。
ちょっと見て行ってもらえない?」
フリッツは目を逸らしながら答えた。
「ああ、そんなことなら
お安い御用ですよ」
ヘレナはそう言って、フリッツを連れて行った。
馬小屋の中は暗かった。
小さなランプがひとつ、揺れている。
「最近、あまり餌を食べなくてね」
ヘレナは柵に手をかけた。
フリッツは頷き、馬の様子を確かめる。
「この子、少し弱ってますね」
「やっぱり?」
「ええ、餌を変えた方がいいかと…」
ヘレナは、ふっと笑う。
「ねえ」
彼女はフリッツをじっと見つめ、フリッツの腕に触れる。
彼は何かを言いかけて、言葉を失った。
ランプの火が、小さく揺れる。
フリッツは目を逸らした。
——しばらくして、
馬小屋の戸が閉まった。
エルザは部屋の端で立ち止まった。
馬小屋の中からは、二人の声が時折重なって聞こえてくる。
――馬小屋の様子は見えなかった。
姉さんには姉さんの彼がいるじゃない。
なぜ私のフリッツに構うの…
エルザは拳を握りしめていた。
クララは心配して言った。
「エルザ、具合が良くないの?」
エルザは言った。
「……ええ、今日は早めに休むわ」
馬小屋の戸が閉まる音を、エルザは聞いていた。
小屋の灯りは、しばらく消えなかった。




