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ミュリエルは考える。
ヘレナのことを。
愛しい恋人を想う様に。
(ヘレナがリーバリ村の真相に辿り着くことはねぇ。そのはずだ)
魔法学院には、国中のあらゆる情報が集められる。
基本から応用の学問書。
最新の魔法の研究結果。
エドナ王国の歴史。
そして、エドナ王国で過去に起きた事件の報告書。
ヘレナがリーバリ村の真相を明らかにする目的で魔法学院へ入学したのは自明。
ただし、ミュリエルは知っている。
魔法学院に存在する資料だけでは、リーバリ村の真相に辿り着くkとはできないことを。
だてにヘレナよりも一年早く、魔法学院へ入学していない。
学院にあるリーバリ村に関する本は、とっくの昔に目を通し終えた。
ただ一点、ミュリエルには危惧があった。
ヘレナのもつ知識。
(だが、もしもヘレナが、私の知らない情報を持っているとしたら? 学院の報告書の情報と併せて読めば、私にとっては無意味な内容も、ヘレナにとっては意味のある情報になりかねない)
ミュリエルは、ヘレナの正体に二つの仮説を立てた。
一つ、ゲームの中に設定だけが存在していたキャラ。
ゲーム上、主人公であるジェリーの故郷の話はほとんど語られることはなく、ジェリーの妹が登場することはなかった。
が、この世界では、ミュリエルがリーバリ村を滅ぼすという、ゲームにないイレギュラーを演じた。
結果、本来表舞台に出てくるはずのなかったヘレナが、イレギュラーとして登場した。
もう一つは、ヘレナもミュリエルと同じ、現世の記憶を引き継いだ人間であること。
ヘレナがリーバリ村の名簿に載っていたのは事実だが、魔法学院に入学したヘレナと同一人物である確証はない。
ただのモブキャラが、何らかの理由でヘレナを名乗り、主人公の妹を騙り、魔法学院で何かをしようとしている。
前者の場合、ヘレナはリーバリ村という過去と現在について、ミュリエルよりも知識がある。
万が一、リーバリ村が滅んだ日にその場へいたのなら、犯人の顔や特徴を覚えている可能性もある。
後者の場合、ヘレナはゲーム上のエドナ王国について、ミュリエルと同程度の知識がある。
もしも開発者ややりこみプレイヤーの場合、ミュリエル以上の知識を持つ可能性もある。
「ごきげんよう、ヘレナさん」
ミュリエルは、偶然に通った一年生の教室が並ぶ廊下で、たまたま見かけたヘレナに対し、両手でスカートの裾を軽く持ち上げてみせた。
「え!? あ、ごきげんよう、ミュリエル様」
ヘレナもミュリエルを映す鏡のように、同じ動きで挨拶を返した。
ミュリエルの視界にヘレナの表情は、一見すると普通だ。
僅かに、驚きを隠している程度。
突然上級生が、まして公爵令嬢という学院の有力者が目の前に立てば、自然な反応だろう。
が、あらゆる能力値が高いミュリエルは、ヘレナの奥底の感情まで読み取った。
(表面上は、平静八割、驚き二割。驚きを必死に隠そうとしている、って感じの表情だな。だが、実のところみじんも驚いちゃいねえ。脈も、体温も、いたって正常。これは、驚きを必死に隠そうとしているふりだな。私への警戒……か?)
廊下で対面したミュリエルとヘレナ、二人の周りの時が止まる。
何も知らずに廊下を歩いていた生徒たちも、二人の姿を見るなりぴたりと足を止める。
逃げたいが、見届けたい。
そんな空間が作られる。
「こうしてお話しするのは、入学式後のパーティ以来ですね」
「そうですね。あの時の行動は、パーティの雰囲気を乱す、軽率な行動だったと反省しております。ミュリエル様、大変申し訳ございませんでした」
「頭をあげてください。私は、何も気にしておりませんわ。むしろ、貴女を評価しています」
「……評価?」
ミュリエルは、ヘレナへ微笑みかける。
「ええ。貴族は地位というものを気にし、自身の信じるものを押しとどめ、何事もなく振舞おうとする癖があります。そんな中、貴女は自分の何かしらの信念に従い、大勢の中、私たちの元へ来ました。これは、私たち貴族が見習うべきものだと、そう感じました」
「……ミュリエル様からそのような言葉が頂けるとは、光栄です」
「それに加え、学問に、魔法に、高い成績を誇っていると伺いました。同じ学院の生徒として、貴女のことが誇らしくさえあります」
周囲の生徒が ざわざわとする。
入学式後のパーティ以降、ミュリエルとヘレナの接触は一度もなかった。
それゆえ、生徒たちの間では、ミュリエルがヘレナを嫌っているだの、そもそも眼中にないなど、出所のわからない噂もたっていた。
だからこそ、ミュリエルの言葉は、噂を信じていた一部生徒たちに衝撃を与えた。
ヘレナの表情は、平静八割と驚き二割から、驚き一割にまで変化していた。
ミュリエルが、注目を浴びてまでヘレナの前に現れた目的はいくつかある。
一つは、ヘレナとお友達になること。
ヘレナが考えていること、やろうとしていることの情報を教えてくれるくらいに仲の良い、お友達に。
そのため、入学式後のパーティの件を何とも思っていないこと、むしろ好意的にとらえていることを、ヘレナに伝えたのだ。
ヘレナの警戒心を解くために。
(さて、一先ずヘレナとの接触は完了っと)
「ヘレナさんとはまたいずれ、ゆっくりとお話をしてみたいです」
ミュリエルはそう言い残し、ヘレナの横を通り過ぎていった。
エドナ王国の王宮の庭園。
ミュリエルとアダムは、紅茶をたしなんでいた。
「そういえばミュリエル、パーティの時の子に会いに行ってたんだって?」
アダムがふと思い出したように呟いた。
アダムは周囲に壁を作る一方で、第二王子という立場と正義感の強さゆえに、学園の出来事にアンテナを張っている。
ミュリエルの行いは、当日のうちにアダムの耳へと入っていた。
ミュリエルは、口をつけていたカップをテーブルの上に置く。
「ええ。所用で一年生の廊下を歩いていましたら、丁度ヘレナさんをお見掛けしましたので」
「そうか」
「理由を、お聞きにはならないのですか?」
「だいたいわかる」
アダムは学園の噂に詳しい。
だからこそ、ミュリエルとヘレナが接触したことで、消えた噂と現れた噂も把握していた。
消えた噂。
ミュリエルが、ヘレナを嫌っているという噂。
この噂は、学院の生徒たちがヘレナに嫌がらせをする際、印籠のように掲げていた常套句でもあった。
現れた噂。
ミュリエルはヘレナを評価しており、ヘレナに手を出す生徒を許さない。
あえて廊下でミュリエルとヘレナが接触したのは、生徒たちに周知させるため。
結果、ヘレナへの嫌がらせは完全に消えた。
アダムはミュリエルの行動を、ヘレナを救うための行動と解釈し、評価していた。
ミュリエルも、それを察していた。
「君はすごいな」
「いえ、褒められるようなことは、何もしておりません」
だからこそ。
「ミュリエル、君は……」
「なんでしょう、アダム様?」
「……いや、やはり何でもない」
最後に微笑んだアダムの表情に、少しだけ悲しさが混じっていた理由を、ミュリエルはわからなかった。
(……何か、しくじったか?)
その理由がわかるのは、二年生の十月。
アダムが魔法学院の生徒会長に就任して、しばらくしてのことだった。