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奇姫  作者: 桜ノ宮
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 支柱にもたれかかりながら、冷めた目で見つめる先に、着飾った令嬢方と愉しげに語り合うトルトック子爵の姿があった。

 ユーシックは、すっと目を細めると、人の気配に気づいて振り向いた。


「なにか? オルヴァント公」

「気配を殺して近づいたっていうのに、ボクの存在に気づくとはね」


 忌々しそうに舌打ちしたセルナントは、次の瞬間、ふっと愉しげに口の端を持ち上げた。


「それはそうと、ばれないと思った?」

「……」


 ユーシックはわずかに眉を潜めた。


「兄上はたいそうご立腹だ。約束を破ったんだし、まっ、当たり前だよね。勝手に連れ出したんだから。王女を拐かした罪に問わないだけありがたく思いな。ボクとしては不満だけど。兄上も処罰なさればいいのに。何をお考えなのかさっぱりわからないよ。お前みたいなのが、リランの傍に在るのは危険だとボクは思うけど」

「――あなた方ご兄弟は、ずいぶんと屈折していますね。我が姫がおかわいそうだ」


 くつり、と喉の奥で嗤ったユーシック。

 リランに見せる優しさの欠片もない酷薄な姿に、お前はだれだとセルナントの片頬が引きつる。


「本来ならお前ごときがボクに話しかけるなどできない身分だというのに、ずいぶんな態度だね。リランにお前の本性を見せてあげたいよ」

「私とあなたの言葉、どちらを信じるかなど、火を見るよりも明らかですが」

「! パッとでのくせに!」

「私が妬ましいですか?」

「それは、」

「私こそ専属騎士に相応しい。あなたよりも、ね」


 セルナントは、真っ白な頬に朱を走らせた。


「お前なんかにわかるものか! ボクがなんのために騎士になったと……っ」

「わかりたくもないですよ。私よりもずっと近い存在であるにも関わらず、あなた方は心を開いて接してこなかった。今では、私の方が身近だ」

「出しゃばるんじゃないよ。これはボクたち家族の問題だ。提督の息子だかなんだか知らないけど、これ以上、踏み込んでくるんじゃないよ」

「くくっ、父の言っていた通りだ。幼稚で稚拙で、――愚か」

「な……っ」

「大切なものは、失くしてからでは遅いんですよ」


 失礼、と言い置いてユーシックはその場から立ち去った。

 リランに早く会いたかった。

 父であるドゥオラン提督の執務室に赴いたユーシックは、扉の傍に小さな影を認めて片眉を上げた。


「お入りになりますか?」

「……っ」


 急に声をかけられ、驚いたように目を見開いた少女は、ユーシックに気づくと睨みつけてきた。


「けっこうですわ」


 中にいるリランに会いに来たのだろう。

 けれどしばらくの間、接触を禁じられている彼女に会えるはずもなく、ここで未練がましくうろうろしていたのだ。


「……まったく、あなた方は、本当に屈折していますね」

「おねーさまのおそばにいられるあなたになんて、ティナの気持ちなんてわかりませんわ! あなたも、提督もだいきらい! ティナのおねーさまをうばっていく人は、みんなきらいよっ」


 天使の微笑みと称される穢れなき笑みは、その顔に浮かんでいなかった。あるのは、隠しようのない嫉妬と憎しみ。

 やはり、本質は兄たちと似ているのだろう。

 ふわふわとした甘い仮面を投げ捨てたティナは、いつになく好戦的だった。どうやらユーシックを完全に敵と認識したようだ。

 よく周りの人間は、末姫のことを可愛いといえたものだと呆れはてた。

 兄たちでさえ、彼女の本性に気づいている者はいないだろう。

 と、そのとき。

 執務室の扉が開いた。


「なにごと? ずいぶんと騒がしいようだけど」


 訝しげな顔のリランがひょっこりと顔を覗かせた。


「お、おねーさま……!」

「ティ、ナ……?」


 驚きと歓びが入り交じった顔のティナからは、先ほどまでの黒さはどこにもなかった。

 会えて嬉しいのか気恥ずかしそうに頬を染めるティナ。

 あまりの変わり身の早さに、ユーシックは、片眉をわずかにあげた。これでは、ユーシックが本当のことを伝えてもだれも信じないだろう。

 リランを見上げていたティナは、見る間に大きな目を潤ませ謝罪の言葉を口にした。


「このあいだは、ごめんなさい。ティナのせいでおねーさまが……」

「いいのよ、別に。慣れているし。わたしもあなたを叩いてしまったもの。ごめんなさい。痛かったでしょ?」


 ティンは、首がもがれるんじゃないかというほど横に振った。


「ティナは、痛くて泣いたんじゃないのよ。おねーさまに嫌われたんじゃないかって思ったら、とっても悲しくなって……」

「ティナ……」


 庇護欲をそそる弱々しい姿に、リランはすっかり騙されているようだ。

 さっきまで悪態を吐いていた少女ととうてい同一人物に見えない、見事な豹変ぶりだ。


「あなたを嫌いになんてなれるものですか」

「おねーさま……!」


 ぱぁっとティナの表情が嬉しそうに輝く。


「それより、見つかったらまた小言を言われるわ。そろそろお勉強の時間でしょ? ちょうどお迎えもきたようだし、お部屋に戻りなさい」

「はい……」


 みるみる笑みがしぼんでいったティナは、悲しげな表情を作った。

 しょんぼりと項垂れている姿は、憐憫を誘う。

 言い過ぎたのかしらといわんばかりに瞳を揺らしたリランは、けれどきつく唇を横に引き結んだまま、ティナが侍女に連れて行かれるのを見守っていた。

 ぼんやりとしているリランにユーシックが声をかける。


「……ずいぶんのんびりとしているのね。試合は明日だというのに」


 ちらりとユーシックに視線を移したリランは、わずかに唇を尖らせた。


「自信、ありますから」


 にっこりと微笑んだユーシックは、その場に跪いた。


「ちょっ、」と慌てるリランに構わず、すっと頭を垂れる。


「我が姫に永久(とわ)の忠誠を」

「!」


 リランの顔が赤らんだ。


「そして、勝利を」


 顔を上げたユーシックは、そっとリランの手を取ると甲に口づけた。

 その堂に入った様は、思わず見惚れるほど。

 つかの間、ユーシックに魅入っていたリランは、しばらくすると我に返り、ばっと手を振り払った。


「ぶ、無礼者! 勝手に手に触れるなんて。わたしは許可してないわ!」


 リランはそう言い放つと、執務室に戻っていった。

 それをユーシックは、愛おしげに見つめるのだった。



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