三十三
「き、きゃあぁぁぁぁぁぁぁっ」
既視感。
持っていたお盆を落とした侍女は、姫様があぁぁぁっと叫んで消えた。
「あれはどうにかならないのかしら。毎回、奇声を上げられると驚いてしまうわ」
優雅にソファーに腰掛けていたリランは、肩をすくめた。
拍子に、はらりと一房こぼれ落ちる髪の毛は、真っ青に染まっていた。
東の国からわざわざ取り寄せた蒼石とハルーシャの茎から作り上げた染め粉は、完成するまで時間を要した。けれど、日がかかっただけあって、この間染めたときよりも鮮やかな色合いとなった。
海を表すかのような色に、リランはとても満足していた。
ユーシックの生きた宝石には敵わないが、自分の『青』もため息が出るほど美しいと思った。
髪飾りなどの余計な装飾はいらない。
胸元で緩く束ねるだけのほうが、よりいっそう髪の色が引き立った。
「貴女のあまりの美しさに、言葉も出なかったのでしょう」
割れた陶器を手際よく片付けたユーシックが、にっこりと微笑んだ。
「……そう、ね」
リランもにっこりと微笑みを返した。
その顔は、前ほど酷い状態じゃないにしても、厚い化粧で覆われていた。
素顔が醜くないとわかっても、やはり化粧をしないと落ち着かないのだ。
久しぶりに自分をもっと飾ってみせたリランに、ユーシックは「とてもお似合いです」と言ってくれた。
どんな姿でもリランはリラン、そう宣言してくれた通り、彼はありのままのリランを受け入れてくれた。
それがどんなにすごいことなのか、きっと彼は気づきもしないのだろう。
どんな自分でも肯定してくれる人がいる。
それだけで心は晴れやかになり、ほわっと温かくなるのだ。
(ユーシックもこんな気持ちだったのかしら?)
ユーシックも自分と同じ感情を抱いたかと思うと、くすぐったくなった。
案外、似たもの同士なのかもしれない。
「流行は、自分が作りだすものよね。今は、フェイドラック公爵夫人が流行の発信者だけれど、そのうちみんなわたしを真似するようになるでしょうね」
リランはうっとりと呟いた。
すでに何人かの令嬢は、リランの着ていたドレスと同じ物を着ているという。
このままいけば、そう遠くない未来、リランの着こなしが最先端となるのだ。
「唯一無二だった貴女も素敵ですけどね」
「こればかりはしょうがないわ。周囲が放っておかないもの。愛される人というのは、決して一人のものにはならないのよ」
「けれど、私にとっての主人は貴女だけ。そして、貴女にも専属騎士は私だけです」
「あら、そうね。あなたは幸運ね。こんなにかわいいわたしを独り占めできて」
「その代償として、あの方々から嫉妬されるのは心地よいものです」
含んだ笑みを浮かべたユーシックは、そのまま破片を捨てに部屋を出て行った。
「あら?」
リランは、綺麗に片付けられた床に紙切れが落ちていることに気づいた。
ユーシックが拾い忘れたのだろうか。
珍しい失態に、ふふっと笑った。
しかし、紙を拾ったリランは、目を大きく見開いた。
修復されたそれは、トルトック子爵に破り捨てられた押し花だった。ユーシックが欠片を拾い集めて、復元させたのだろう。
形も歪で、見た目がいいとはいえない。
けれどユーシックは、大事に持っていてくれたのだ。
「――……っ」
どうしよう。
嬉しい!
思わず、涙がこぼれ落ちそうになったリランは、ぐっと堪えた。
(だめだめ、お化粧がとれちゃうもの)
でもきっと、ユーシックなら、化粧が落ちて酷い顔になってもかわいいです、と言ってくれる気がした。
「リラン!」
突然開かれた扉にびくっとしたリランが顔を向けると、そこには怒り顔のアルヴァンス一世と、呆れた様子のセルナントがいた。
あの侍女が呼びにいったのだろう。
驚きすぎて、涙も引っ込んでしまったリランは、ぱちくりと瞬いた。
「そなたは、懲りもせず……っ」
「あら、兄様方、ごきげんよう」
上機嫌に微笑むリランとは対照的に、二人は頬を引きつらせた。
「あーあ、可愛い妹が……」
セルナントは、額に手を当てて天井を仰いだ。
この世の終わりとばかりに嘆くセルナントに、リランは失礼ねと言い返した。
「わたしは流行を先取りしていますの。兄様方は審美眼がないからおわかりいただけないでしょうけど」
「今すぐ、戻せ。これは、王命である」
「酷い。あんなにお優しい御言葉をかけて下さった兄様はどこへ行ったの?」
愕然とした顔でリランはよろめいたが、アルヴァンス一世の視線はどこか冷たい。
「やはり、馬鹿につける薬はないな。憐れな」
「これが本気だから恐ろしいよね。奇姫は奇姫のままか」
と、そのとき。
「おねーさま!」
「ティナ」
蝶のようにひらりと舞い込んで来たのは、自室で勉強しているはずのティナであった。
今日も可愛らしい出で立ちのティナは、兄たちへの挨拶はおざなりにすると、リランの前で立ち止まった。
「おにーさまがただけなんてずるいです。ティナもリランおねーさまとおしゃべりしたいのに……」
うるうると大きな瞳を潤ませられたら、自分は悪くないのに謝ってしまいたくなる。
「ティナ、ここにいるのは教育上よくない。部屋に戻るんだ」
アルヴァンス一世がそう告げると、ティナは不満げに唇を尖らせた。
「おにーさまがたは自由におねーさまにお会いしているのに、ティナだけ会えないのは不公平です」
「それはそなたのためを想い……」
「想ってくださるなら、おねーさまとお話しをさせて」
「ど、どうしたの、ティナ。いつになく頑なだね」
ティナの本性を知るセルナントの顔はどことなく引きつっていた。あの黒さをここでばらさないかヒヤヒヤしているようであった。
「だって、ずるいもの。ティナは、ずぅぅぅっと我慢していたのに、アルおにーさまも、セルおにーさまも、ひまを見つけてはリランおねーさまのところばかり」
ティナがそう訴えると、苦虫を噛み潰したような顔で、アルヴァンス一世とセルナントは視線を合わせた。
「……セルナント、騎士団はそんなに楽なのか?」
「陛下こそ、臣下に仕事を押しつけてるんじゃないの?」
ばちっと見えない火花が散ったそのとき、ユーシックが戻ってきた。
彼は、いつの間にか人が増え、驚いたように目を見開いたが、すぐに状況を察したようだ。
苦笑を浮かべ、彼らを見つめる。
「我が姫、いかがなさいますか?」
ユーシックは、三人を楽しげに眺めているリランにお伺いを立てた。
「そうね……。きっと、喉が渇くでしょうからお茶を用意して。それととびきり美味しい焼き菓子もね。天気がいいから、外でお茶をしたら気分が良さそうね」
お忙しいアル兄様は、時間があるかしら? と小首傾げた。
その顔に、これまでのような孤独の色はない。
彼らの愛情を知ったリランは、言葉の裏にある想いをちゃんとわかっていた。
「もし、みんな忙しいなら、二人でお茶を飲みましょ。たまにはのんびりと過ごすのも素敵ね」
「はい」
ユーシックは柔らかく目尻を下げた。
リランは、それと、と続けた。
「大切なものは落とさないようにね」
「! それは、」
リランの手の中にある紙片を見た瞬間、ユーシックの顔色が目に見えて変わった。
「今度は、あなただけのものを作るわ。きっと……ううん、絶対、これ以上の秀作になるから。……受け取ってくれる?」
「もちろんです。心待ちにしていますね」
リランの顔がパッと輝いた。
贈る相手がいると思うと、押し花作りにも気合いが入る。
どんな花がいいだろうと、考えるだけでも胸が高鳴った。
ああ、そうだ。
兄たちにも作ってみようか?
ティナはとても喜んでくれるだろうが、兄たちは顔をしかめるかもしれない。
でもそれは照れているだけ。
冷たくされても、リランはもう悲しまないだろう。
(愛されているって、自信になるのね)
その自信が自分を強くしてくれる気がした。




