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奇姫  作者: 桜ノ宮
31/33

三十一

「はぁ……っ、お捜ししましたよ、我が姫」


 どれくらいその場にいただろう。

 涙が乾ききった頃、ユーシックが姿を見せた。


「ユーシック……」


 リランは目を見開いた。

 まさか見つけるとは思わなかったのだ。


「貴女がいらっしゃる場所でしたら、すぐに見つけますよ」


 リランの考えを読んだようにユーシックは微笑んだ。

 包み込むような優しい笑みに、リランの心も軽くなる。


「さあ、戻りましょう。陛下も心配なさっています」

「嘘よ! そんなの嘘……っ」

「なぜ、そう思われます?」

「だって、わたしは道具だったのよ? なのに、兄様に愛されていると勘違いして……。あれは、まやかしだったのに。兄様がなんの打算もなく優しくして下さるはずがなかったのだわ」


 近づいたユーシックは、ほんの少し赤く腫れた目の下に触れた。

 リランが泣いたことに気づいたのだろう。


「陛下は、だれよりも貴女のことを案じておりました。それこそ、私が嫉妬してしまうほどに」

「え?」

「目に見えるものだけが愛情ではありませんよ。トルトック子爵の件は、確かに官僚の腐敗が関わる重大な事件でしたが、陛下自ら指揮を執るほどのものではありません。公務でお忙しい陛下が動かれたのは、貴女が標的にされることを察したからですよ。そうでなければ信の置ける部下に一任されていたでしょう」

「……っ」


 リランが息を呑んだそのとき、名前を呼ぶ声が聞こえてきた。


「リラン!」

「にい、さま……?」


 まさか、わざわざ執務室から出てきたというのだろうか?

 ユーシックが呆れたような顔で嘆息すると、リランに向かって言った。


「どうやら痺れを切らした陛下が直々にお迎えにいらしたようですね。さ、参りましょう」


 手を差し伸べてくるユーシック。

 リランはその手を見つめたまま動けないでいた。

 不安そうに瞳を揺らしながらユーシックを見上げると、彼は安心させるように頷いた。

 それにホッとして、リランは小さな手をそっと乗せた。

 薔薇園から出ると、そこには小難しい顔をしたアルヴァンス一世がいた。


「遅いぞ、余を待たせるとはいい度胸だな」


 どうやら人払いをしてあるらしく、いつもなら彼に常に付き従っている者たちの姿がなかった。


「ここは風が強い。戻るぞ」


 アルヴァンス一世は、すっと踵を返した。


「陛下は、オルヴァント公よりも強情でいらっしゃる。オルヴァント公は、ご自分の気持ちに正直になられたというのに……。素直にリラン姫の体調が心配だからとおっしゃればよいものを」


 ユーシックが苦笑した。






 王の間へと通されたリランは、机を挟んでアルヴァンス一世の正面に腰を下ろした。

 ユーシックは、扉の傍に控えていた。

 重苦しい空気が流れる中、口火を切ったのは、アルヴァンス一世であった。


「――そなたの母君は、父上に見初められ、侍女から側室となった」


 それまで手を付けた侍女は多くいたが、前国王が周囲の反対を押しのけてまで側室にと望んだのは彼女だけだった。

 吹き消したら消えてしまいそうな繊細な雰囲気を持つ彼女のことを前国王はだれよりも愛した。

 それが悲劇を生むとも知らずに……。

 アルヴァンス一世の母である王太后は、自尊心が高く、貴族特有の傲慢さがあった。だからこそ、自分より劣る娘が、夫から寵愛されている事実が気にくわなかったのだろう。

 後ろ盾のないリランの母にとって、絶対の権力を持つ王太后に逆らえるはずもなかった。

 そんなとき、リランが産まれたのだ。


「そなたが産まれたとき、余はだれよりも喜んだ。けれど、亡き王太后……母上の怒りに触れることを恐れ、そなたに触れることもできなかった」

「兄様……」


 リランが産まれたことにより、王太后の精神は少しずつ黒く染まっていった。

 待望の王太子が産まれた以上に喜ぶ夫の姿を見て、王妃としての地位を奪われるのではないかと危機感を抱いたのだ。

 悪魔に魂を売った王太后は、ついに二人を暗殺しようと企んだ。

 リランの母は、表向きは病死となっているが、実は王太后が毒殺したと噂されている。けれど証拠はなく、彼女亡き今、真相は永久に闇の中へと葬り去られているが。

 辛くも生き残ったリランは、一週間は目を覚まさなかったという。


「それを知った父上は、そなたを安全な場所へと隠そうとしたのだ」


 毒殺されたという話しは伏せ、そう告げたアルヴァンス一世は、ふぅっと重苦しいため息を吐いた。


「母上の毒牙に掛からず、なおかつ信頼の厚い唯一の存在に託して……」

「ドゥオラン殿が……?」


 アルヴァンス一世の双眸が憂えを称える。

 過去を悔い、懺悔しているようでもあった。

 先々代の御代より仕えてきた重臣を適材適所と銘打ち一新したのも、王太后の息の根がかかった者たちを排除する目的が含まれていた。表立って王太后を賛美していた者たちよりも厄介なのが、裏で繋がっていた貴族なのだ。

 悪魔崇拝のように王太后を崇め、慕っていた彼らは、王太后の意志を引き継ぎ、リランを亡き者にしようとしていた。もっとも、厳重に守られていたリランに触れられる者は一人もいなかったが。

 だが、王女としての披露目が済んだ今、これからも平穏なときが流れるとは限らない。

 リランもこれから公務を果たさなければならないのだ。これまでのように城の中へ閉じこめておくことは容易ではないだろう。

 アルヴァンス一世が大切に守ってきた妹は、いつの間にか一人で考え、行動するようになってしまった。

 もはや、守られているばかりではないのかもしれない。


(困ったことよ……)


 アルヴァンス一世は、苦い笑みを押し隠した。

 あの勅令が、少しでも鎧となればいい。


 ――すべては、リランの身を守るため。


 たとえ権力を逆手に取ったと陰口を叩かれようと、それで玉座が揺らぐわけがない。賢王という名は飾りではないのだ。

 このときのために、確固たる地位を築いてきたのだから。


 ティナももちろん可愛い妹であったが、王太后に命を狙われた憐れで可哀想なリランがだれよりもなによりも気がかりだった。

 同じ側室でありながら、王太后より身分の高かったティアの母は、王太后の魔の手から難を逃れることができた。

 権力に守られたティナとは違い、リランは、母と同じように後ろ盾がない。

 だからこそ余計に守ってやらねばと思うのかもしれない。


「ドゥオラン殿は、わたしを守って下さっていたのですね……」


 リランが嬉しそうに呟くと、アルヴァンス一世がぴくりと片眉を上げ、不快を示した。


「相も変わらず、そなたはドゥオラン提督のことばかり。家族に馴染まず、ドゥオラン提督を求めるそなたをどんなに憎らしく思ったことか。ドゥオラン提督の息子をそなたの専属騎士にしたのも気が進まなかったが、ほかに適任者がいなかったのだから仕方あるまい」


 アルヴァンス一世は、鋭い視線をユーシックへと投げつけた。

 剣の腕前はこの国でも五指に入るほどだろうし、ドゥオラン提督の息子ならば信ずるに足る人物である。だが、リランが慕うドゥオラン提督の血縁者というだけで気にくわなかった。

 リランは、王太后が流行病で亡くなって、ようやく宮殿へと戻ることができたのだ。

 けれどそのときには、リランの心は固く閉ざされ、アルヴァンス一世たちと触れあうことはなかった。

 ユーシックは、やれやれとばかりに肩をすくめた。


「……まったく、ここは私の天敵ばかりですね」


 ユーシックの呟きなど耳に入らなかったリランは、アルヴァンス一世を凝視していた。

 今聞いた話が信じられないとばかりに。


「どうした? リラン」

「だって兄様が……ドゥオラン殿にまるで嫉妬しているみたいに……」

「悪いか?」


 呆然としているリランがおかして、アルヴァンス一世はくつくつと喉の奥で笑った。

 馬鹿にしたような笑みではない、心からの笑顔だった。


「ようやくそなたと暮らせると喜んでいたというのに、そなたは近寄りもしなかった」

「だって……だって! 兄様方がいらして下さらなかったから……っ。わたし、忘れられていると思っていたの。ようやく城へ戻ったらティナがいて……とっても可愛がられていて、羨ましくて……、だからわたし、好かれようって思って、かわいくなろうと思って、がん、ばって……っ」


 リランの見開かれた目から涙がこぼれ落ちた。

 はらはらと流れ落ちる雫は、まるで宝石のようだった。


「でも、どんなにかわいくしても、兄様方は振り向いてもくれないっ。こんなわたしを愛してくれるのはドゥオラン殿だけだったの。愛情を教えて下さったのは、ドゥオラン殿なのよ」

「ああ、わかっておる」

「わたし、わたしは……っ」


 想いが溢れて、うまく言葉に出来ない。

 言いたいことはたくさんあった。

 伝えたいことはたくさんあった。

 嫌われたって、愛されたいと願うのは家族だから。

 本当は、心の底では、愛情を求めていたのだ。


「余らは何年もボタンを掛け違えていた。くだらない嫉妬心で、そなたを傷つけていたのだろうな」

「兄様……」

「そなたの心の闇を取り除いたのが余ではないのが悔しいが、そなたが笑顔であるならばそれでよい」


 愛情溢れる言葉に、リランは心の底から笑みを浮かべたのだった。



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