二十二
第二王女リランが病に臥したという噂が、宮廷内を駆けめぐった。
すでに一ヶ月以上、部屋から出てきていないという。
トルトック子爵の妹をはじめとする、あのお茶会にいた貴族たちは、仮病だと吹聴していた。
日増しに悪意に満ちた声が高まる中、ついに末姫が動いた。
「これは、ティナリーゼ王女様!」
社交界の新しい華となったトルトック子爵の妹は、我が物顔で宮廷に足を踏み入れていた。
最新の流行ドレスに身を包み、華やかに着飾った彼女は、周りを取り巻きに囲まれて満足そうな顔で微笑んでいた。
が、庭園にティナが姿を見せると目の色を変えた。我先にと取り入ろうとする令嬢たちを押しのけて、真っ先に近づいた。
「退いてちょうだい! ……お初にお目にかかります、王女様。あたくしは、」
「ぞんじております」
数人の侍女を従えたティナは、感極まるトルトック子爵の妹を前に、にっこりと微笑んだ。
天使のような愛らしい微笑に、集まった人々から感嘆としたため息が漏れる。自分よりも背の高い大人に囲まれながらも、生まれ持った品格の差か、彼らと一線を画する華やいだ雰囲気があった。
「見てみろ。ティナリーゼ姫のあふれ出る気品を。落ち着きのない奇姫とは、まったく違うな」
「なんと愛らしい。眼福というのは、まさにこのことだろう」
なんの先触れもなくティナが登場したことで、周囲は蜂の巣を突いた騒ぎになっていた。普段は目にかかる機会がないせいか、この好機を逃すものかと意気込んだ貴族たちも、ティナの愛らしさを前に相好を崩していた。
ティナは周囲のざわめきなど気にも留めず、ティナの台詞に目を輝かせる彼女を無邪気に見上げた。
「あなたは、ティナのだいすきなおねーさまをぶじょくなさった方ですね。おかわいそうなおねーさま。深くきずついていらっしゃる。ティナがおなぐさめしたいのに、おにーさま方がじゃまなさるから、ちっともうまくいかないわ。でも、だいじょうぶ。ティナはほかの方法をかんがえました。おねーさまを泣かせた人をティナがやっつけてしまえばいいのね。そうしたらきっとおねーさまはティナをほめてくださるわ」
ふふふっと穢れのない笑みを浮かべながらも、その台詞は辛辣だ。
だが、その顔と可憐な声に騙されて、気づいた者はいない。
――ユーシックを除いて。
ティナの本性を知るユーシックは、見た目に惑わされたりしなかった。彼は、主人を守るように一歩前へ出る。
とたん、ティナは笑みを深めた。
「うらぎりものね。でも、いいの。これでおねーさまはティナのものだもの。だからちょっとは感謝しているの。ばかな子爵とあなたにね。あたなたちがいなかったらおねーさまのそばに、あなたがずっといるんだもの。ていとくがいなくなって、やっとおねーさまをひとりじめできると思っていたのに」
「リラン姫に、あなたのその姿を見せてやりたいですね。さぞ、幻滅なさることでしょう。あの方は、あなたが無垢な天使だと信じて疑わないようですから」
「あたりまえでしょ。そう演じていたんだもの。それより、そこをどいて」
「なにをなさるおつもりです?」
「おねーさまを傷つける人は、この世から消し去ってしまえばいいとおもうの」
物騒なことをさらりと言ってのける十歳の王女に苦笑したユーシックは、ちらりと視線を後ろへとやった。
「やれやれ……ボクの天使はとんだ小悪魔だね」
気配もなくティナに近づいたその人物は、困った妹だと苦笑しながらティナを抱え上げた。
「兄上が知ったら卒倒するだろうね。ボクも幻聴だと思いたいけど」
「セルにーさま……! まあ、いらしていたのね」
いいところだったのにと小さく舌打ちしたティナだったが、兄に腹黒さを見られても別段困った素振りを見せなかった。
彼女にとって大事なのはリランだけであり、ほかはどうでもいいのだ。
そんな思いをありありと表情に出すティナに、セルナントがわずかに頬を引きつらせた。
「セルナント殿下がいらっしゃったわ。きゃあ、どうしましょう」
予想だにしなかったセルナントの登場に、令嬢たちが歓声をあげた。
騎士団の制服に身を包んだセルナントは、驚くほど美しかった。日に焼けにくい白い肌に緋色がよく映えていた。
禁欲的な制服の中にも匂い立つような色香があった。
色めき立つ彼女たちに、ん? とセルナントがわざとらしく流し目をくれると、あぁっと恍惚とした顔で次々と倒れていく。
「で、殿下……!」
トルトック子爵の妹の声が上ずった。
彼女も色香に惑わされた一人なのか、頬を染め、セルナントにぽぅっと見惚れていた。
「こんなに近くでお目に掛かることができるなんて……。なんていう幸運なのかしら……」
「な……、ぅ…んっ」
黒さ全開で糾弾しようとしたティナの口をセルナントが優しく手で塞ぐ。
セルナントは、艶やかな微笑を浮かべた。
「先日、妹がお世話になったようだね」
含んだ物言いに、トルトック子爵の妹の目がきらりと光った。
「あたくし、ずっと殿下に憧れておりましたの。殿下のお役に立てて光栄ですわ。奇姫のような存在が、王家の名を名乗ることが間違っておりますもの。厄介払いが早々にできてよかったですわ」
悪びれるどころか、嬉々として語るトルトック子爵の妹に、セルナントの表情が一瞬、固まった。けれどすぐに笑みを形作り、鷹揚に頷いた。
「ああ、なるほどね」
「あたくし、醜い者が許せませんの。それに、殿下方も奇姫を疎んじているとお聞きしましたわ。あたくしの言葉で、奇姫も自覚なさったんじゃないかしら。このまま引きこもっていてくだされば、王家も安泰ですわ」
トルトック子爵の妹の言葉に、集まった貴族たちも同意を示した。
第二王女の醜聞を鵜呑みにしているのか、それとも今や勢いのある彼女についたほうが得策だと考えたのか、暴言を非難する声はひとつもあがらなかった。
味方を得てさらに勢いづいたのか、ティナの黒い微笑やセルナントの眼差しの冷たさにも気づかず、リランのことを非難した。
「……ですから、王族としてなってませんわ」
得意げに語る彼女に、そうだそうだと相づちを打つ貴族たち。
彼女たちを横目に、セルナントが静かに佇むユーシックに声をかけた。
「はい」
急に名を呼ばれたユーシックは、驚いた顔をしたが、彼の顔を見てなにかを悟ったのか、慇懃に頭を下げると、そっと移動した。
「伝言だ。準備は整ったそうだよ」
セルナントは、そうユーシックに耳打ちした。
「! それは、誠ですか。ああ、ようやく……っ」
人形のようだったユーシックの顔が、ようやく人間らしさを取り戻す。歓喜に打ち震える彼は、言葉を噛みしめているようだった。
「虫けらは排除しないとね」
セルナントの目の奥に、一瞬、暗い光が宿った。




