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奇姫  作者: 桜ノ宮
17/33

十七

「出してちょうだい」

「で、ですが、姫様……」


 渋る御者に、年若い侍女が耳打ちした。

 とたん、飛び上がって喜んだ御者は、態度をころりと変えた。


「まあ、ダーニャ。なにを言ったの?」

「ふふ、あの人、わたしに惚れてるんです。ちょっと色よい返事をしたらあの通り」


 片目を瞑った年若い侍女は、まだ二十二歳で結婚もしていない。

 華やかさはないものの、清楚な美貌は、男たちの視線を釘付けにするには十分だったのだろう。


「さすがわたしの侍女ね! 主に似て、殿方に好かれやすいのはいいことだわ」

「はいっ。姫様の正念場ですもの。だれにも邪魔させませんわ」


 鼻息荒くそう言いきった年若い侍女は、気合いが入っているようだった。

 もう一人の侍女にばれたら大変なことになるだろう。

 けれどリランの恋を応援している彼女は、そんなこともろともしないようだった。

 リランたちが王家の紋章が入った四頭立ての馬車に乗りこむと、ゆっくりと動き出した。向かう先は、子爵家だ。ダーニャを通じて、出席の旨は伝えてある。


(今度こそ愛想を尽かされたかしら……)


 リランは、ほんの少しだけ色素の薄い双眸を曇らせた。

 アルヴァンス一世に知られたら、叱責だけではすまないかもしれない。

 なにしろ、城から離れることを固く禁じられていたのだから。

 勝手に抜け出し、あまつさえお茶会に行ったことが兄の耳にでも入ったら、関わった者たちもただではすまないだろう。

 ティナとは違い、兄たちとは決して分かり合えない運命なのだ。

 リランのなす事はすべて否定ばかり。褒められたことは一度もない。


 けれど、いいのだ。

 今の自分には、兄たちよりも大切な存在ができたから。


 ――初恋なのだ。


 兄たちに愛されることより、彼に愛されたいと願ってしまう。

 だって、兄たちとは違い、彼は自分を愛してくれるのだから……。


(わたしの格好は少し地味だったかしら?)


 本当は、レースをふんだんに使い、真珠のついた無数のリボンで覆われた、袖の長い真紅のドレスを着る予定だったが、ダーニャに止められたのだ。床まで届く袖はお茶を飲む際、とても邪魔らしい。リランは、その長い袖がお気に入りだったが、ここは大人しく助言に従った。


 失敗したくないのだ。

 だが、髪型と化粧だけは妥協したくなかった。

 鮮やかな刺繍を施しただけの簡素なドレスとは反対に、天まで高く結い上げた髪からレースを垂らしたのだ。宝石をはめ込んだそれは、ヴェールのように背を流れ、動いたときに揺れるのが優雅だ。

 いつものようにたっぷりと白粉をつけたあと、頬や唇を熟した果実のように塗り、目の輪郭を強調させる。

 こればかりはダーニャの意見を聞き入れなかった。


(もう少し控えめにというけれど、このほうがずっと美しいのに)


 素顔よりも化粧をしたほうが何千倍も輝いてみえるのに、なぜ質を落とさないといけないのだろうか。


(大陸一かわいいわたしが現れたら、驚くかしら。それとも卒倒するかしら)


 考えただけで胸が高鳴る。

 でも、一番はあの人のことだ。

 見惚れてくれるだろうか?

 だれよりも熱い視線を投げかけてくれるだろうか?


 ああ、きっと。

 彼の妹よりも、彼のことが気になってしょうがいない。


 だって、あの舞踏会から会っていないのだ。

 久々の再会を彼も心待ちにしているはず。


(わたしたちはお互いを想い合っているんだもの)


 王都より西に進んだ馬車は、貴族たちが屋敷を構える区域に入ると、白塗りの立派な屋敷の前でゆっくりと停まった。

 周囲の屋敷より敷地は小さいが、よく手入れされていた。

 馬のいななきが聞こえたのか、重厚な扉を開いた。

 出迎えてくれたのは老齢の執事であった。王家の紋章が入った馬車を驚きとともに凝視した彼は、御者が扉を開け、リランの姿が目に入ると、慌てたように深く叩頭した。


「当家のお茶会へようこそいらっしゃいました、王女殿下」

「まあ……!」


 リランはいたく感動した。

 あまり王女としての歓待を受けたことのないリランは、この反応が新鮮だった。

 彼が控えめにリランを盗み見て、ぎょっとしたように目を見開くのも面白い。


(わたしのあまりのかわいさに腰を抜かしそうになったのね……)


 やはり、自分の美貌は、老若男女惑わしてしまうらしい。

 執事の反応に気をよくしたリランは、会心の笑みを浮かべた。

 そのまま中へと通されたリランは、ダーニャと別れ、執事の後を追いかけた。お茶会は中庭で開かれているらしい。


「申し訳ございません。所用がございまして……こちらを真っ直ぐ進み、突き当たりを右へお曲がり下さい。皆様のお姿も見えましょう」

「ええ、わかったわ。ありがとう」


 リランが礼を言うと、彼はまたびっくりしたような顔をして、ぎこちなく頭を下げると、そそくさと去っていった。

 リランは、狭い通路を言われた通りに進んだ。

 突き当たりを曲がったそのとき、婀娜っぽい声が聞こえてきた。


「……ふふ、お戯れを。ああみえて夫は嫉妬深いのよ」


 密やかな声の中に、甘さが滲む。

 思わず顔を向けたリランは、半分ほど開かれた扉の奥に、人影を見つけた。


「――!」


 心臓が、止まるかと思った。

 窓側で、重なるように密着していたのは、妙齢の夫人とトルトック子爵であった。


「お二人の間には愛がないとおっしゃっていたではありませんか。ああ、俺をどこまで焦らすおつもりです。あなたへの愛は、海よりも深いというのに。伯爵がなんです。あなたを手に入れられるのなら、俺は死を厭わない。決闘だってしてみましょう」

「くすっ。冗談がお上手ね」

「嘘ではありません。俺の愛はあなたのもの……あなただけの……」


 熱に浮かされたようにうっとりと呟いたトルトック子爵は、夫人に顔を寄せ、そのまま口づけた。

人目もはばからず深い口づけを交わす二人に、リランは思わず目を背けた。


(な、に……?)


 今見たものが信じられなかった。


「ああっ、どうしたら俺の想いを受け止めて下さるのです。あなたを想って、こんなにも胸が締めつけられるというのに」

「あら、可愛い坊や。あなたには、お相手がたくさんいるでしょう? ヴェスタール侯爵家のご令嬢に、アシタール姫、オルヴィアーノ夫人、……そうそう、それに、アノ奇姫もあなたに夢中という噂じゃないの」


 親密な様子をこれ以上見たくなくて、逃げだそうとしたリランは、自分の名前が出てきて足を止めた。

 なぜかこの先の会話を聞いてはいけないような気がしたが、足が床に縫いつけられたように動けなかった。


「俺は――」


 トルトック子爵がなにか言いかけたそのとき、彼の視線が動いた。

 見られていることにようやく気づいたのか、さまよった視線が、固まっているリランに定まった。

とたん、見開かれる目。


 しまったといいたげに顔を歪めたのは一瞬だった。

 彼は、人の良さそうな笑みを貼り付けると、夫人を放ってリランのほうへやって来た。


「ああ、いらして下さったのですね! 今日も素敵な衣装だ。あなたによくお似合いです」

「……」


 青ざめた顔で黙り込むリランに、わざとらしくそう言ったトルトック子爵は、リランの手を取った。

 そのまま甲に唇を落とされそうになって、思わず振り払った。

 先ほど夫人と情熱的なキスをしたあとで、自分に触れるというのだろうか?

 そんなのは許せなかった。


「わたくしに、触れないで」

「ああ、可愛い人。怒っているんですね。俺とあなたを繋いでいた想いは、こんなにもあっけなく崩れていくのですか?」


 悲しげな顔をされると、リランの胸は痛んだ。

 やはり、好きなのだ。

 怒りも悲しみも、みるみるしぼんでいくようだった。


「あれは単なるお遊びです。リラン姫は、ご存じないかもしれませんが、あのような大人の駆け引きは、珍しくもありません」

「そう、なのですか……?」

「俺が本気で愛しているのは、リラン姫だけです。信じて下さい」


 真っ直ぐな目に射抜かれ、リランの心は揺れた。

 トルトック子爵を信じたいという気持ちと、彼の語っていることは事実なのだろうかと、相反する気持ちが交錯する。


「さ、リラン姫。妹もあなたにお会いするのをとても楽しみにしていたんですよ?」


 参りましょう、と腕を差し出され、リランは逡巡したあと、そっと手を乗せた。

 ちらりと扉の奥のほうに視線をやったが、夫人の姿はすでに見えなかった。

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