十六
「――駄目だ」
すげなく返されたリランは、地団駄を踏んだ。
夜明けまで続いた舞踏会は、まだその余韻を残しながら数時間前に幕を閉じた。
正門に並んだ馬車列がようやく途切れた頃、リランは意を決して長兄の元を訪れた。
疲れを微塵も感じさせないアルヴァンス一世は、少しの仮眠をとっただけで、すぐに公務に励んでいた。
精力的なその姿に、家臣は畏敬の念を覚えるだろうが、リランには憎らしくてたまらなかった。
「どうしてですの。もう子供ではありませんわ。……確かに、かわいさゆえに敬遠されて、そういう類のお声はかからなかったけれど、だからこそ、初めてのお招きに応じてもよろしいのでは? 陛下は頭でっかちです」
この国の最高権力者を酷評すると、傍で陛下の署名を待っていた宰相が吹き出した。
アルヴァンス一世に睨まれた彼は、「失礼いたしました」とにこやかな笑みを浮かべて謝った。
硬質な印象を与えるアルヴァンス一世とは違い、おおよそ国王の片腕的存在には見えない柔らかな容貌をしていた。
アルヴァンス一世より五つ年上の宰相は、その手腕を認められ、若くして宰相の座に就いた強者だ。
五大公のひとつ、オルヴァン公の嫡子であり、幼少のみぎりより周囲から天才もてはやされていた人物である。次期オルヴァン公として目されていたが、アルヴァンス一世により宰相の地位へと祭り上げられた。
当時は、均衡を保つ五大公から宰相を選ぶべきではないという声もあったが、彼自身の有能さに気づくと、自然とその声は消えてなくなった。
アルヴァンス一世は、適材適所を掲げているため、出自や家柄にこだわらなかったのだ。
「トルトック子爵には関わるなと言ったはず」
「陛下はそればかり。あんなにお優しくて、素敵な方をどうして遠ざけてしまわれるの? 陛下もお父様……先代の王と一緒ですわ。わたしから奪っていくのね」
「なにを馬鹿なことを……。被害妄想も大概にしろ」
「真実ですわ!」
リランの瞳が泣きそうに潤む。
まさか噛みつかれると思っていなかったのか、ひゅっと息を呑むアルヴァンス一世に、リランは続けて言った。
「陛下がなんとおっしゃろうと、わたしは招待を受けます。邪魔なさらないで」
「……っ、傷つくのは、そなたのほうだ」
「いまさら……いまさらわたしに干渉しないで!」
視界がぼやける。
涙がこぼれ落ちそうになるのを堪えたリランは、ぎゅっと手を握りしめた。
「わたしのことなんて、これまでのように放っておいて下さればいいのよ。わたしの人生を兄様が決めないで!」
リランはそう叫ぶと、執務室を飛び出した。
嫌い、嫌い!
兄様なんて大嫌い。
もしティナだったら、こんな意地悪しないで、自由にさせてくれたはずだ。
可愛いティナ。
だれからも愛されるティナ。
憎らしくて、愛おしい、異母妹……。
「おねーさま? どぉしたの?」
ティナを思い浮かべていると、ちょうど鈴を振ったような可憐な声が聞こえてきた。
運が良いのか悪いのか……。
リランはきゅっと唇を引き結んだ。
数人の侍女を従えたティナは眉を曇らせると駆け寄ってきた。
「泣かないで、おねーさま……ティナがいるのよ」
「……っ」
ティナの穢れない顔を見るといろいろな感情が膨らんで、けれど一瞬でしぼんでしまった。
涙を拭ったリランは、自分より小さな体を恐る恐る抱きしめる。
「ごめんね、ティナ……」
「おねーさま?」
「ティナはちっとも悪くないのに……」
自分が狭量なせいで、八つ当たりするところだった。
彼女は自分の大切な妹なのに。
自分とは反対に愛されて育った存在。
けれど。
おねーさまと舌足らずな口調で慕ってくれる妹が可愛くないはずがない。
兄たちには負けるが、リランだってそれなりにティナを愛しているのだ。
リランの顔を大丈夫? と不安そうに見つめていたティナは、リランが穏やかな表情を浮かべると安心したように笑った。
「おねーさま、あたたかい」
リランの温もりを感じるように胸に顔を埋めたティナは、すんと匂いを嗅いだ。
「それにとてもいい匂い。ティナはおねーさまがだいすきなの。おかーさまより、おにーさまより、上のおねーさまより、ずっとずっとだいすきなの。だから、おねーさまがかなしいお顔をされているとティナもかなしい」
ティナは外見だけでなく、心根までも真っ直ぐで、他者を気遣うことができる。
こういうところが愛される所以なのだろう。
「ほんとうはね、もっといっしょにいたいのです。おにーさま方がだめっておっしゃるけど、ティナはもっともっとおねーさまといっしょに過ごしたい。ティナがもっとおおきくなったら、おねーさまはティナのそばにいらっしゃる?」
「まあ、ティナ」
リランはくすりと笑った。
「いつかはお別れするときがくるわ。お姉様のように、いつかは降嫁するに相応しい家柄に嫁ぐのが王女としての務めよ。王家の繁栄のために、わたしたちがいるのだから」
「むぅ、いや。ティナはずっとおねーさまといっしょがいいわ。もしおねーさまが結婚なさるなら、ティナもいっしょに行く」
可愛らしく駄々をこねるティナに、リランだけでなく控えていた侍女たちの顔にも笑みが零れる。
「――ねえ、ティナ。わたしはきっとあなたのお姉様としては失格ね。わたしはないものねだりばかり。わたしはわたし。あなたはあなたなのに……。そんな簡単なこともわからないの。正式にお披露目が済んだら、わたしはそう遠くない日に見知らぬ殿方の元へ嫁ぐのでしょうね。わたしは、お姉様のように気軽に故郷へ戻ることなんてできないわ」
「どぉして?」
「わたしには、新しい家族とその家臣と民を守る義務があるもの。だから、あなたと一緒にいられる時間は限られているのよ」
リランは、そっとティナの体を離すと腰を落としてティナと視線を合わせた。
「今からでも遅くはない? わたしに、これまでの時間の埋め合わせをさせてちょうだい。わたしにお姉様らしいことをさせて。あなたを愛させて。これまであなたが無償でくれた愛情以上に、あなたを愛したいの」
思いがけない告白に目を丸くしていたティナの顔が、見る間に真っ赤に染まる。嬉しそうに潤んだ目から涙がこぼれ落ちそうになった。
ティナの手が動揺して震えていた。それを抑えるように両手で握りしめると、言葉を選ぶように慎重に言った。
「ティナは……ティナは、そのお言葉だけで、じゅうぶん、です。おねーさまが、そういってくださるなんて、ゆめみたいで……」
どうしようと、興奮冷めやまないまま、本当に嬉しそうに微笑んだのだった。
それを見て、リアンもどうしようもなく愛しさが募って、これまでの冷たい仕打ちを心の中で詫びながら、小さな手を自分の手でそっと包み込んだのだった。




