(12)
「目が覚めたかい」
大部屋を仕切るカーテンを開けて、若い医者が顔をのぞかせた。私は黙ってうなづいた。
「良かった。あなたは三日間、眠りっぱなしだったんだよ。
不思議なことだが、80分の1の確率で助かる患者は、きっかり3日、72時間眠り続けるんだそうだ。
あなたが目を覚まさなくなって、ぼくはもしかしたら、と期待したよ。
もっともそれ以上眠り続けて、眠ったままあの世へ行く確率もかなり高かったんだけどね」
医者の開いたカーテンの向こうに、空のベッドが見えた。
「ここは、病院ですか?」
私がぼんやり辺りを見回して尋ねると、医者は首を振った。
「学校だよ。あなたの勤務していた学校は、今では病院になっている。患者は増える一方だ。
だけど、もうすぐワクチンができる。そうしたらきっと事態は収束するだろう。まだしばらくはかかると思うが」
「隣のベッドには、誰もいないんですか?」
私が尋ねると、医者は言いにくそうに言葉を選びながらもそもそと答えた。
「ああ、今はね」
「前にはいたということでしょうか」
私には予感があった。医者は肩でため息をついた。
「君の教え子だったんじゃないかな。ロシアから交換留学生で来た、男の子だった。
君と一緒に運ばれてきたとき、二人とも意識はなかったけれど、しっかり手をつなぎ合ってた。
・・・でも、残念ながら彼は今朝がた亡くなった」
やっぱり。
ウラジーミルは、電車に乗れなかったんだ。
電車に乗るのをあきらめようとしていた私のほうが現実に引き戻されて、絶対に電車に乗らなくちゃ、と私を励ましてくれた彼は、ホームに残された。
あの時、もしウラジーミルがあきらめて家に帰ろうとする私を止めてくれなかったら、今頃私はこうして目覚めてはいなかったのかもしれない。
「三日間、どんな夢を見ていたんだい」
医者にたずねられて、私は今まで見ていた夢を思い出して口に出そうとした。
でも、つい今まで鮮明に覚えていたはずが、口に出そうとした瞬間に、潮が引くように記憶がしずしずと後退していくのだった。
手を伸ばさなければ消えないで済むのに、手を伸ばせば伸ばした分だけ消えていく、儚い薄もやのように。
「学校の夢。菜の花。でも、よく覚えていないわ・・・」
私はかろうじてそれだけつぶやいた。




