初めての戦い
レイブンと城を抜けて裏庭までやって来た。
扉を開けると、驚いた事に大きな樹も茂みのような所も一切無い。
広い一面全てが芝生。
綺麗に手入れされていると思う。
刈り上げられた芝が青々と陽に照らされており、草の香りが胸いっぱいに広がる。
ピクニックにはもってこいな場所だ。
遠くには高さのある柵がぐるっと周囲を囲っている。
レイブンによると、ドラゴニアの城の裏は海に面しており、敵の進入があった場合に見えやすいようにこうなっているらしい。
なんだか、ドラゴニアっていう国も大変なんだなぁと他人事のように思った。
「ここならこの時間人は来ないので、丁度いいでしょう」
そう言うと、レイブンは右手の人差し指と中指で芝生に触れた。
淡く光る半球状の大きく透明なドームが裏庭を包む。
このドームは一度お世話になったあの球体に非常に良く似ている。
手に汗が出てきた。
なんだろう、物凄く嫌な予感しかしない。
くるっと後ろを向いて、扉へ戻ろうとするが……扉の前まで行ったところで悪魔に捕まった。
ポンっと両肩に人の手の感触がする。
「はいはい。そっちじゃないですよ」
そう言われたかと思うと、ぐるっとドームへ押して行かれた。
「嫌だ!! 嫌っ!!」
半泣きで足に力を入れてブレーキ代わりにするが、まったく効果が無かった。
ドームの真ん前まで来ると、「行ってらっしゃいませ」という言葉と共に最後は押された。
身体が光るドームを通過する。
すぐに振り返って、出ようとするが案の定出られなかった。
ボヨンボヨンと壁の感触もある。
やっぱり強制連行された時と同じ球体のようだ。
しかも、今回は異様にデカい。
私を混乱させるにはこの大きさだけで充分だった。
「剣ならそこにありますよ。私はこちらで見てますから」
レイブンに指された方角を見ると、右手の芝生に見覚えのある大剣が刺さっていた。
頭の中で警報が鳴る。
なんとなくこれから起こるであろう事が予測できた。
「出して! 無理だから、出してー!!」
「頑張って下さいね」
そう言ってレイブンは右手をドームへ向けた。
ドーム中心部から草が焼ける匂いと煙が起こると、どこからともなく火が現れて円状の魔方陣をゆっくりと描いていく。
何を出すつもりか知らないけど同じ空間にいるだけで、もう限界だ。
私はもう一度壁に穴がないか、這いつくばって必死に芝生とドームの境目を探していた。
マズイ、魔方陣がもう完成しそうだ。
ボッと火が最後の音を立てて魔方陣が完成すると、今度は怖くて目が離せなくなった。
凄い圧の水蒸気が魔方陣から立ち登り、ゆらりと影が蠢いたかと思うと中には筋肉が隆々とした魔物がいた。
体長はおよそ3m程。
ライオンの頭部と前足を持ち、腰の辺りには山羊の頭が見える。
さらには蛇の尻尾が鎌首を持ち上げて、こちらを威嚇している。
ライオンの頭部の首元には赤い首輪が見える。
コレは……窓の下にいたやつではないのか……。
死ねるやつ……。
なんだー、別に昨日窓から逃げようが逃げまいが死ねる事にかわりないじゃん。
ハハハハ。
「…………出してーーー!!!」
壁を叩く手に力が入る。
レイブンは半球の外側から、「まずはキメラからにしてみました。ホラ、早く剣を抜かないと……」なんて悠長な事を言って微笑のまま見ているだけだ。
剣なんかに手を伸ばす余裕すらない。
魔物の目は真っ直ぐこちらに向いている。
時折キメラの口から漏れる荒くて重い音を聞くだけで、心臓が潰れそうだ。
一歩づつこちらへ向かって来ている。
「ど……どうどう」
手の平をキメラに見せながら戦う意思がない事をアピールし、そのまま後ずさる。
もともと壁際にいたのでドームの壁が頭と背中に当たって、すぐに下がれなくなった。
こんな魔物を目の当たりにして思うのは、ゲームの世界は嘘だという事。
実際に会ってしまったら威圧されてしまって戦えないし、こちらに好意なんて見せてくれない。
ましてや、仲間にするなんて夢のまた夢の話だ。
生きるか死ぬか、コレしかないと思う。
咆哮を上げながら、距離を詰めていたキメラが飛び掛ってくる。
咄嗟に目を瞑って、手で自分を守るしかできなかった。
前足が腕にかかる! そう思った瞬間、ポンっと軽い音を立ててキメラは目の前から消えた。
「そんな消極的では駄目ですよ。すぐに死んでしまいますよ」
軽い調子でレイブンが言う。
「……」
目の前から敵が居なくなったのを確かめると、自分の身体が大丈夫か確かめた。
大丈夫そうだ。
腕も足も持っていかれてないし、痛みもない。
い、生きてる。
「……こ、腰……抜けた」
ずるずると壁にもたれながら、芝生に座り込んだ。
「次こそはお願いしますよ」
そう言うとまたドームへ右手を向けた。
え、まだ次あるの? そんな事を思っていると、魔方陣が光で溢れた。
その光がゆっくりと搔き消えると、今度は銀色の毛並みを持った狼が現れる。
体長はキメラよりは一回り小さい……2mぐらいだろうか。
大きさは小さくなったが、敵意は変わらず剥き出しだ。
少しは抵抗しないと本当に死にそうだと思い、ゆっくりと震える膝を抑えながら立ち上がる。
レイブンに「シルバーウルフは早い魔物ですから、ご注意を」そう言われた気がした。
忠告を聞く暇もない。
勢いよく大剣のある右に走り出してみたが、足が縺れて転けてしまった。
左側からシルバーウルフが駆けてくる姿が見える。
爪が服を掠った。
もうすぐ肉に到達するというところで、再びタイミング良くポンっと音がして目の前からシルバーウルフが消えた。
「ですから、逃げてばかりでは勝てませんよ」
そんな面白くなさそうに言われても、困る。
「ムリ。本当にムリ」
心臓が極度の緊張から開放されて、息が乱れる。
手の先は冷たく、足も思い通りにうまく動いてくれない。
細かい振動が自分の意思では止められなっている。
「何がムリなものですか。アレぐらい勝っていただかないと。ドラゴンになってしまえば、楽勝ですよ」
そんな事を言われながらゆっくりと震える身体を起こし、立ち上がる。
「だから、何回も言っているように、私は生粋の人間であって……。あっ! 証拠ある! 証拠! 待って! これ見てっ!!」
咄嗟にズボンのポケットに入れておいた携帯電話を取り出し、レイブンに見せつける。
震えが止まらない指で電源を入れて、なんとか画面を見せた。
待ち受けは飼い猫三匹の集合写真だ。仲良く猫用ベッドで丸まっている。
「ホラ! こんなの、この世界にいないでしょ! 猫! 」
駄目だ、混乱して猫の写真を見せてしまった。
違う、本当は向こうの世界が分かるような何かいい写真を見せる予定だったのに。
「……」
レイブンは光っている携帯の画面を興味深そうに見ていたが、最終的に鼻で笑われてしまった。
「なんですか。そういう魔道具をお持ちなら、さっさと使えばいいものを……」
どうやら魔道具に間違われている。
携帯電話は魔道具ではない。
しかも武器でもない。
なんと言ったらいいか分からず、この短時間ではうまく伝えられずにいた。
「そういうお遊びは結構です。ホラ、次が来ますよ」
レイブンが魔方陣を指差した。
携帯を片手に振り向くと、魔方陣には既に次の魔物が出てきていた。
緑色の肌を持つ小型の人型魔物だ。
手には木の棒を持っている。
シルバーウルフよりまた一回り小さい……1mちょっとぐらいだろうか。
「ゴブリンなら倒せますよね? ホラ、ちゃんと剣を持って」
大剣が芝生から抜け、その状態で私のすぐ右に飛んできた。
「……」
ゴブリンと呼ばれた人型魔物をよく見てみる。
実際はこんなに悪魔みたいな顔をしているのかと、驚いた。
垂れ下がった鼻、大きく開かれた目、尖った耳。
口は大きく、ギザギザの歯が汚く見える。
こちらへ向ける視線も、殺気が凄い。
もう諦めよう。
この魔方陣からは私が期待するようなものは出てこないのだから。
だから、勝つしかない。
そう思って携帯をズボンのポケットにしまうと、浮いている大剣に手を伸ばす。
ズッシリと重い。
今はこの重みしか、助かる術はないのだから。
近づいてくるゴブリンに振り下ろそうと、上に構えた。
恐怖と重さで剣先が震える。
こちらも少し動こうと、前へ一歩踏み込んだ。
もう少しで剣が当たりそうな距離だ。
今! 当たる事を祈りながら、重さにまかせて振り下ろした!
しかし、そこにはいた筈のゴブリンはおらず、右腹部に鈍い衝撃を受けた。
身体は少し浮いて、投げ出される。
ズボンのポケットから携帯が飛び出し芝生に叩きつけられたのが横目で見えた。
「うぐっ!!!」
初めての痛み。
そこにはなんの容赦も無かった。
一瞬呼吸ができなくなり、今はただただ痛い。
ゴブリンが持っているのは木の棒なのに、鉄の棒で殴られているぐらい痛かった。
痛い、痛い、痛い、痛い……。
なんでこんな事に……。
痛みが勝とうと思った気持ちを、ことごとく潰してくれた。
もう降参だ。
さっさと殺して欲しい。
こんな痛みから開放して欲しかった。
地面に落ちた大剣を芝生に倒れた状態で見つめる。
結局、この大剣も私には使いこなせなかった。
こんな剣を抜くのではなかったと思うと、涙が出た。
ポンっと音が鳴り、ドームの中は私だけになる。
「ゴブリンも駄目ですか……困りましたね」
少し困ったような声がかかる。
ただ、その声には心配の要素は欠片もない。
「それに、私は剣で勝てと言っているわけではなく……剣を使ってもいいから、ドラゴンに変身してくれと言ってるんですけどね」
蔑んだ視線を肌で感じる。
「変身なんか……変身なんか、できません。本当にできないんです」
声を出すだけで右腹が痛む。
滲む涙が、視界をぼやかした。
芝生に立て膝をして立ち上がろうとするが、打たれた場所が痛くてめげそうになる。
なんでこんな事をするのか、悲しくなって涙が溢れ出た。
「できないも何も、まだ何も努力していないじゃないですか。少しでも変わろうとしてますか?」
深く長い溜息がレイブンから漏れる。
「分かりました……。では、最後にアレと戦って下さい。アレならいいでしょう? 一度は見た事ありますし……」
再度、魔方陣を指差すレイブン。
痛みを堪えながら、ゆっくりと魔方陣を見るとそこにはゲル状の物がこちらへ躙り寄ってきていた。
「スライム……」
見た事がある容姿に、口から言葉が漏れた。
「いいですか? 相手は弱小のスライムです。あとは貴方がドラゴンになりたいと心から思う事です。そしたら必ず勝てます。……今度は止めませんよ」
要するに、勝てなかったら死ねという事かと反芻する。
できるかどうか不安ばかりが募るが、とりあえずやるしかない。
大丈夫、もう一度やれると自分に言い聞かせる。
手を握りしめ痛みに耐えながら立ち上がると、転がった大剣を両手で拾い上げた。
「……」
大剣を上に構え目を瞑って、心の中でドラゴンになれと何回も何回も念じる。
お願いします。ドラゴンに……。
スライムが確実にこっちに近づいている気配がする。
お願いします。お願いします。お願いします。
ドラゴンになれないと、生きて帰れない。
変な汗が頭から首筋に流れた。
スライムが足元に辿り着いたようだ。
まだ身体的な変化はない。
ドラゴンになれなかったら、魔法でいいです。
このスライムを倒せるような……。
手が震えだした。
スライムが足を伝って、太腿まで登って来ている感触がする。
服を伝う感触により集中できなくなって、目を少し開けてみた。
スライムがより上に登ろうとしている。
恐怖から、目が離せなくなってしまった。
ドラゴン、ドラゴン、ドラゴン、ドラゴン、ドラゴン……。
早く! 早くなってよ! 王様なんでしょ!
そう思っている間にもスライムは移動してきて、今は胸の所にいる。
「ひぃっ!!」
もう、何もかもが限界だった。
剣を手放しスライムがこれ以上、上に上がって来ないように両手で落とそうとする。
しかし、スライムの身体を手は難なく通り抜けた。
物質が効かないなら、もう手立てがない。
スライムが首に到達したと同時に、首に圧がかかり出した。
スライムと首の間には、何か見えない膜がありそれを伝って圧がかかっているようだ。
血が滞るのを感じる。
私、スライムに首を絞められてる。
スライムに殺される。
手で首とスライムの間に隙間を作ろうにも、その膜に触れる事すら出来なかった。
苦しくて、膝から崩れ落ちる。
もう意識もギリギリだが、あの人は助けてくれない……。
視線をレイブンに向けたが、相変わらずこちらを無表情で見つめているだけだ。
頭の血管が無酸素の状態から抗おうと脈打つのが分かる。
それでも圧は弱まる事なく、強くなっていく……。
苦しみが諦めに変わった時、全て無駄な抵抗だったと気付いた。
真っ白になる視界を見ながら、もう一度あの世界に戻りたかったと……最後に思った。




