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極めて楽観的に、彼女は死を考える。  作者: 暇 隣人
曖昧を明解にする三つの問い
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何処から間違えていたのか






「……何を怖がっているんだ」


「それはこっちのセリフだよ……」


「私が怖がっていると言いたいのか? そんなわけがないだろうが。さあ、早くやってくれ。他人の手首を切るくらい君には造作もないことだろう」


「誤解を生むようなこと言わないでよ!? まるで僕が今まで何回も他人の手首を切ってきましたみたいな感じじゃん!」


「違うのか?」


「違うわ! もしそうならすでに僕の首が切られてるわ!」


「現代日本に斬首刑はない」


「比喩ですううううう! 死刑にされてますよっていう比喩ですうううううう!!」


「わかったわかった。さっきのはただの冗談だ、謝る。ともかく早く切ってくれ。君の手で私を殺すんだ」


「……うん……」


「…………」


「…………」


「……おい、どうした?」


「いや、ここで君の手首を切ったら、僕はほんとに殺人犯として捕まるんだよなぁと……」


「それはそうだろうな。紛れもない殺人なのだから」


「だよね……」


「そうだ。だから早く切れ」


「わかってるよ。切るけど……切るけどさ」


「けど、なんだ。捕まるのが嫌なのか? どんなことでもやり遂げると言ったじゃないか。あれは嘘だったのか?」


「嘘じゃない。そうじゃなくてさ……きみ、いつまで震えてるつもりなの」


「…………」


「怖いの?」


「……誰のせいだと思ってるんだ」


「ぼくのせいだろ。ということは、やっぱり怖いんだね」


「何が言いたい」


「痛いよ」


「え?」


「手首を切ったら、痛いよ。ものすごく」


「……なぜ君に、そんなことがわかる?」


「経験済み」


「……なんだって?」


「経験済みだよ。今までずっと、きみに見られないように隠してたけど……ほら。見える? 線があるでしょ」


「どうして、君が……」


「勘違いしないでほしいから言っておくけど、ぼくはきみと違って死にたがりじゃない。だからこれは、死のうと思ってつけた傷じゃないんだ。ほんのちょっと、生きることに嫌気がさした。それで思い立ってやってみたら……思いのほか、奥の方まで切れちゃった。それだけ」


「……動脈は切れたのか?」


「ほんのちょっとだけ。包丁が刺さってるところからものすごい勢いで血が滲み出してきて、止まらなくなって……それがもう、言葉にならないくらい痛いんだよね。たかが手首くらいで、って思うかもしれないけど、本当だよ。血管の壁がぷつんって切れた瞬間、電気みたいに痛みが腕から全身まで広がっていくんだ。それからものすごく怖くなる。どんなに強く傷口を押さえても、血が止まってくれないんだ。もしかしたらこのまま、全身の血が流れ出ちゃうんじゃないかって……本当に怖かった。結局、助かりはしたけどね。あんなのは、もうごめんだと思ったよ」


「…………」


「それからさ、いろいろ考えたんだ。それでわかったことがある。僕は死にたいと思ってあんなことをしたんじゃなくて、生きたくないと思ったから手首を切ったんだ、って。……でもそれはただの逃げ。だから勝てなかった。死ねなかった。そういうことなんだ」


「……何が言いたい」


「本当に死んでもいいと心の底から思ってる人は、きっと痛みなんてどうでもいいんだよ。だから簡単に死ぬことができる。それは逃げてるんじゃなくて、精一杯、死と向き合って戦って、そして溶けあうってことだ。そこに感情はない。怖さも嬉しさもない。ただとにかく、心が満たされてる。あるいは、満たされなくてもいいようになってる。空洞のままでも気にしないでいられる。そういう人だけが、自分の思うように死ねる。幸せな死を迎えることができる」


「だから何が言いたいんだ」


「きみは幸せに死にたくないの?」


「死にたくないわけがない」


「だったら、耐えてみせてよ」


「何を――があっ!?」


「……まだほんの少し、刃先が入っただけだ」


「き、君――」


「耐えて」


「ああああッ! あ、ああッ……」


「まだだよ」


「ひっ――うぁあああッ!!」


「まだだ」


「あっ、はっ……ああっ……!」


「動脈はもっと先だ」


「――あぁあぁああッ!? い、いた――」


「痛いの?」


「あ、あっ、あ……」


「怖いの?」


「……や、やだ……やめろッ……!」


「怖いんだね」


「――ああああぁぁああぁッ!! ち、ちがう、ちがううぅううッ……!!」


「もうすぐだ」


「はっ、はっ、はぁっ……?」


「動脈を切る」


「――あ……」


「…………」


「あ、あぁ……あ……」


「……どう?」


「…………」


「今、幸せ?」


「――――」


「…………」


「あ…………あっ、は……あは、はは……」


「……きみが決めて。切るのか、切らないのか」


「……わ、ふっ、わ、わたし、は……くふ、はは……」


「…………」


「こ、わい……ははっ、こわい、よ……」


「…………」


「こわ、くて……い、いたくっ、て、もう……くは、ひひはははは……」


「……わかった」


「は、はは……は……」


「ぼくのやるべきことは、きみを幸せに死なせることだ。痛がって、怖がって、どうしようもなくなったきみを死なせることは、ぼくのやるべきことじゃない。だから」


「…………」


「……だから、おめでとう。きみはまだ、生きていなくちゃいけないらしい」


「……はは、は……」

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