2:和弥の決意
『カズくん。あのね、私捨て子だったんだ』
学校時代、萌黄にいろいろとしてやったのは、別にアイツの過去を聞いたからじゃない。同情する気もなくなるようなバカ頭だったから、ホント見てられなかっただけなんだよ。
とはいえ、一度だけアイツに聞いたことがある。
「自分を捨てた親を恨んでいないのか」と。
弾みで出てしまったような言葉だったから、ちょっと気まずかったんだけど、意外にもアイツは笑って答えてくれた。
『べーつにぃ。顔も覚えてないような人のこと、恨んでもしょうがないでしょ。そんなムズカシイこと考えてたら、おなか減っちゃうよー』
萌黄らしい答えだと思ったよ。お前は脳みそ使っただけで腹減るヤツだもんな。
けど、それでオレも吹っ切れた。
絶対に萌黄を「かわいそう」と思わない。そう思うことは、お前を惨めにするだけだからな。
食堂で朝食を済ませた後、スポーツ新聞の一記事に目を留めながら、オレはそんなことを思い出していた。
「カズくん、おはよー」
目の前に、急に萌黄が現れた。
手にしたトレイにはいつもどおりの山盛りのご飯とおかず。最初のころは食堂のおばちゃんも萌黄の食いっぷりにはかなりビビッてたが、最近じゃ慣れたもんだ。萌黄が顔見せただけでご飯をてんこ盛りにしてくれる。
今日は追いかける相手がいないからか、少しは落ち着いて見えるな。トレセン内もいつもより静かなような気がする。
「何見てるのー?」
「見りゃわかるだろ。新聞だろーが」
「でもこれ、昨日の新聞だよー」
その通り。一面にダービーの結果がデカデカと載っている、昨日の月曜日の新聞だ。昨日は休みだったから、読みそびれた分をわざわざ出してきて読んでるんだよ。さらりと流すつもりだったけど、目を引く記事があったんでじっくりと読んでたんだ。
「なんか面白いものでも載ってた?」
「ん……まあな」
萌黄はご飯を口に押し込みながら、テーブルに広げた新聞のオレが指差した記事を覗き込んだ。
【フリーライド三着、各務騎手は魔女に惑わされた?/穴党・橘のダービー回顧】
二番人気だったフリーライドは直線で追い出すのが遅れ、三馬身差の三着に敗れた。
鞍上の各務騎手は直前の九レースむらさき賞で斜行し、一位で入線しながらも五着に降着となって四日間の騎乗停止処分を受けていた。『むらさき賞のショックを引きずってしまった?』という記者の問いに対して、各務騎手は一言『そうです』とだけ答えている。
普段は冷静沈着な各務騎手が見せた、珍しく取り乱したようなむらさき賞の騎乗。追い込み馬だったはずのラブリーウィッチが仕掛けた「逃げ」という奇襲戦法に慌てたのだろうか。だが各務騎手はそれについては何も答えてくれなかった。
「愛すべき魔女」という名の牝馬と、奇襲を仕掛けた女性の早川騎手。各務騎手はこの「魔女」たちに惑わされてしまったのかもしれない──
「魔女って……私のこと?」
「お前以外に誰がいるんだよ」
「えー、魔女ってなんかヤダー」
そう言って、萌黄はごはん粒を飛ばした。飲み込んでからしゃべれよ。
「なんかもっと他に言い方あると思うんだよねー。女神とか天使とか美女とか処女とか鬼女とか……」
いや……最後なんか違うし。
魔女ねぇ……魔女って言うと、なんかもっと妖艶な感じがするんだけど、コイツはそんな感じじゃねーよな。どっからどう見てもマヌケな顔だし。大口開けてヒレカツにかぶりついてる女のどこが魔女なんだよ。
でも……言い得て妙だな。
アホっぽいツラして人を油断させておきながら、隙を見つけては巧妙に人の心に潜り込み、引っ掻き回して、胸の内に沈んだ「澱」を吐き出させる。それは知らず知らずのうちに魔法にかけられたかのような──
可愛くて愛嬌があるだけじゃない。その実狡猾で、不気味ささえ感じさせる萌黄を形容する言葉に、これ以上のものはないだろう。
萌黄は恐ろしい女だ。
昨日、オレたちは萌黄によってあの場に集められた。最初呼び出されたときは「何でオレが」と思ったけどな。由佳ねーちゃんの話なら、シゲさんと各務さんだけで話すことだろうと考えてたんだけど、でもそれは間違ってた。
萌黄は各務さんの懺悔をオレに聞かせたかったんだ。その上で、各務さんが抱えてた本音を引き出す役をオレにさせたんだ。
各務さんは隠し通してきたウソを、シゲさんは各務さんに対する謝罪と救いの気持ちを、そしてオレは由佳ねーちゃんに抱いていた想いを、あの場でそれぞれに吐き出した。
男三人がそろわなかったら、そんなことにはならなかっただろう。由佳ねーちゃんにまつわるオレたちがあそこで雁首そろえたからこそ、互いに気持ちを吐露し、理解することが出来たんだ。
萌黄は……オレの想いに気づいてたんだろうか?
気づいてたんだろうな。だからこそああしてオレを呼んだ。各務さんとシゲさんの間で、複雑になってしまった感情のもつれを解く糸口として。そしてオレたち男三人の問題を、オレたち自身の手で解決させるために。
昨日の本当の立役者は、各務さんでもシゲさんでもオレでもなく、萌黄だったんだ。
オレたち男どもは、萌黄の思惑によって動かされていたに過ぎないんだ。それが何より恐ろしい。
あのバカ頭のどこでそんな難しいことを考えてるのか……いや、もしかしたら、その頭悪そうな言動さえ演技なのかもしれない。本当はもっと……
……そんなこと、どうでもいいや。
今、オレの目の前で、萌黄はごはんを口いっぱいに頬張りモゴモゴさせている。それをゴックンと飲み込んだかと思うと、頬にごはん粒をつけたままニッコリと笑った。
何だっていいじゃないか。萌黄が何者だろうと、何を考えてようと構わない。
例え魔法で操られていたとしても、お前に見向きもされないよりはマシだ。手の上で踊らされてると言うのなら、今は思う存分踊ってやるよ。そしていつかは……
「ごちそうさまー」
「早っ! もう食ったのかよ!」
萌黄を見ると、確かに山盛りだった食事がきれいになくなっている。恐るべし、この食欲。まあ、お前の食欲が普通になっても、それはそれで心配になるんだけどな。
連れ立って外に出ると、どこまでも続く快晴の空がやけに眩しかった。
「カズくん、じゃあね。厩舎に戻らなきゃ」
萌黄は手にしていたキャップをかぶり、そう言ってオレを見上げた。
大きな瞳に映る、オレの姿。曇りのないその瞳に見つめられると──ずっと隠してきた本当の気持ちを、言いたくても言えないその想いを、何もかも全て見透かされそうで怖い。
過去という重荷を背負いながらも、自分なりに厳しいこの世界を精一杯生き抜こうとしている萌黄。
ガンバレ──そう言うのでさえ気が引けるほど、傷だらけの細腕がお前の努力をハッキリと表している。笑顔に隠されたその苦労に誰も気づかないかもしれない。けど、オレだけは……
「……萌黄」
名をつぶやくと、微笑んでくれた。
降り注ぐ初夏の陽光と同じくらい、眩しい笑顔。
萌黄……オレはお前のその笑顔を守りたいよ。いつの頃からか、ずっとそう思い続けてきた。
たとえその微笑みが各務さんに向けられたものだとしても、オレはお前を守りたい。お前の笑顔を、ずっとずっと大事にしたいんだ。
お前が……好きだから。
エピローグのくせに長いです(汗
次が最終話になります。




