↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/41

第4話 蒼白の光の下で

 闇にぼんやり浮かぶ旧校舎の空き教室は、一枚の静止画のように動きがなく、そこだけ時間から切り離されていた。


 古びた蛍光灯の冷たい光が、部員たちの顔から色を奪う。

 叫ぶ者も、泣き出す者もいない。

 ただ暗い沈黙だけが、教室の空気を重く淀ませている。


 やがて遠くの廊下から、慌ただしい足音と、無線機の短いノイズが聞こえてきた。


 警察が、校内へ入ってきている。

 これは夢じゃない。

 本当に、目の前で起きていることなのだ。


 その現実が、じわじわと神経を締めつける。

 部員たちの間に、押し殺したようなざわめきが広がり始めた。


「みんなここで待ってて。勝手に動かないで」


 部長として、部員たちに指示を出す麻衣。

 その声は、ずいぶん落ち着いていた。

 だがどこか乾いていて、言葉だけが先に転がっていくようにも聞こえる。


 直斗はその背中を見つめながら、屋上で見せた真っ青な横顔を思い出した。

 双眼鏡を落とした、あの瞬間の表情を。


 今なら聞ける。

 いや、聞かなければならない。

 どうしても、麻衣と二人で――


 部員たちの声がふと途切れた隙に、直斗は麻衣の袖を軽く引いた。


「……麻衣。ちょっと来てくれ」


 麻衣は迷うように視線を揺らしたが、小さく頷いた。二人は教室の後方へ移動する。

 ロッカーの陰は蛍光灯の光が届かず、影が濃く落ちていた。

 誰にも聞かれない距離まで近づいた時、麻衣の息遣いがわずかに乱れていることに気づいた。


「……さっきさ」


 声を、極限まで落とす。


「双眼鏡で……何を見た?」


 麻衣の肩が、はっきりと震えた。

 その反応だけで、答えはもう半分わかってしまった気がして、直斗は胸が苦しくなった。


「……見ちゃった」


 麻衣は、ほとんど囁くように言った。

 声はひどく細く、今にも切れそうだった。


「屋上から、旧校舎の廊下を……北川先生が……」


 一度、言葉が途切れる。麻衣はカーディガンの上から自分の腕を強く抱きしめた。袖を握る指先が白くなる。


「……誰かに、襲われていた。首を絞められて」


 その一言が、直斗の中にかろうじて残っていた希望を踏み潰した。

 わかってはいたが、これは間違いなく殺人だ。


「先生、すぐにぐったりして……倒れた」


 思い出したのか、麻衣の瞳が遠くを見るように揺れた。

 直斗は、それ以上を聞いてはいけない気がして、言葉を挟めなかった。


「……犯人の顔は?」


 しばらくして、直斗はそう尋ねた。声が上ずるのが自分でもわかる。

 麻衣は一瞬言葉に詰まり、そして言った。


「……見てない」


「……本当に?」


「うん、犯人は後ろ向いてて、背中しか見えなかった。それで驚いて、双眼鏡落としたから……」


 そう言うと、口を閉ざした。

 その硬い表情から、これ以上話したくないという強い意志が伝わる。


 直斗は大きく息をつき、胸を撫で下ろした。

 麻衣も犯人の顔を見ていない。

 なら、武が犯人と決まったわけではない。


「俺も、犯人の顔は見えなかった」


 嘘だった。

 武をかばったのではない。

 殺人現場を目撃しただけでも衝撃なのに、逃げていったのが武だと知れば、繊細な彼女の心は壊れてしまう――

 それが心配だったのだ。


「誰かが倒れてるのと、走って逃げる人影だけは見えた。遠かったし、あっという間だったから」


「そう……」


 麻衣の表情が、一瞬だけ安堵で緩んだように見えた。だがそれもすぐに元の暗さに戻ってしまう。


 二人の間に、再び沈黙が訪れた。

 ほんの数秒だったかもしれない。

 だが直斗には、その時間が異様に長く感じられた。


「とにかく、これから警察にいろいろ聞かれると思うけど、麻衣には俺がついてる。それに、武も」


 ようやく口を開く。

 あえて武の名を出したのは、麻衣の反応を見るためでもあった。


「うん、そうだね」


 表情と声に、かすかに生気が戻る。

 やはり、武のことは言わないで正解だった。


 後は、一刻も早く武本人に会わなければならないと、直斗は思った。

 あんな時刻になぜ旧校舎にいたのか、その理由を確かめたかった。


 その時、教室の入口の引き戸が乾いた音を立てて開いた。

 中学校には場違いな制服を着た警官が、室内に入ってくる。


「えーと、みんな、ちょっといいかな?」


 直斗は麻衣から離れ、近くの席に静かに腰を下ろした。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 その日は夜も遅かったため、その場では簡単な聞き取りだけで済まされ、正式な事情聴取は翌日に持ち越された。直斗たちはパトカーでそれぞれ家へ送り届けられた。


 翌日、学校は臨時休校になった。


 校内で起きた殺人事件、しかも被害者が若い女性教諭という事実は、過剰なほどセンセーショナルに報じられ、校門前には朝から報道陣が詰めかけた。

 教職員はその対応に追われ、さらに午後には、保護者説明会が行われることになった。


 だが、直斗と母の奈美恵《なみえ》はそこにいなかった。

 向かっていたのは最寄りの警察署。

 もちろん、事件の詳しい事情聴取のためだ。


 未成年の聴取には保護者の同席が原則らしい。

 しかし、奈美恵はロビーで待つよう指示され、取調室に入ったのは直斗ひとりきりだった。


 取調室は、想像以上に狭く、息苦しい。

 灰色の壁、金属の机、簡素なパイプ椅子。

 高い位置の小さな窓から差す光が、時間の感覚さえ曖昧にする。


 直斗は椅子に座らされ、机越しに二人の刑事と向き合った。


 ひとりは五十代半ばだろうか。

 腹の出た体型に、くたびれたスーツ。目つきは鋭く、黙っているだけで圧がある山田という刑事だ。


 もうひとりは三十くらいの女性の刑事で、一ノ瀬と名乗った。整った顔立ちに穏やかな口調。

 しかし、この人も目は笑っていない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。