第4話 異世界での初めての食事
微妙な雰囲気になってしまった私達は、一旦、図書室を出ることにした。そして、アリエッタの提案で、しばらく王宮内を散歩して気分転換することにした。
──結局、「魔法補助」の件はうやむやになっちゃった……。アリエッタさんも凄く嫌そうだったから、あまり無理強いできないし……。魔法の練習、どうしようかなぁ……。
私は図書室に来た時と同様に、アリエッタの後ろをついて王宮内を歩いていく。しばらくして噴水のホールに差し掛かった時、私が背伸びして「はぁぁ~」っと欠伸をすると、とある音がその場に鳴り響いた。
ギュルルルゥゥ~~……。
ホールに鳴り響いたその大きな音に、私は顔を真っ赤にしながら、慌てて自分のお腹を押さえる。
──ちょっと! 私のお腹、空腹を主張し過ぎだよっ!! 噴水の音にも勝っちゃってるし! あぁ、恥ずかしいぃぃ……。
私は真っ赤な顔でお腹を押さえたまま、少し上目遣いでアリエッタを見る。
「ごっ……ごめんなさいっ! 一生懸命勉強したから、お腹すいちゃったみたいで……。ほっ、ほら、頭をたくさん使うと、糖分を一杯使うっていいますしね? 私、頑張ったんですよ!」
すると、ずっと仏頂面だったアリエッタが、口元に手を当ててクスクスと笑い始めた。どうも笑いのツボにはまったようで、アリエッタは懸命に笑いを堪えながら、やや涙目で口を開く。
「ふふっ、凄く大きな音ですね。……ふふふっ」
明るく笑うアリエッタの笑顔はとても可愛かった。私は初めて見るアリエッタの笑顔に、思わず目を見開いてしまう。
──アリエッタさん、笑顔がすごくいいよ! 普段は不愛想なアリエッタさんでも、こんな風に笑うことができるんだ。
私は思わず、アリエッタに向けて叫ぶように言った。
「アリエッタさんの笑顔、凄く可愛いです! そうやって笑ってる方が絶対に似合いますよ! ……今まではきっと、私のせいで怒ってばっかりだったんだと思いますが、笑顔のアリエッタさんはやっぱり美人です!」
アリエッタは私の言葉を聞くと、笑うのをやめて目を大きく見開いた。そして、すぐに顔を真っ赤にする。
「しっ、失礼しました! 笑ってしまって申し訳ありません!」
アリエッタは慌てて、私に深くお辞儀をして謝る。私はそんなアリエッタに近付いて、その肩に軽く手を置いた。
「もう、何言ってるんですか。私、笑ってるアリエッタさんの方が好きですよ。面白いことがあれば、これからもいっぱい笑ってくださいね」
私が笑顔でそう伝えると、アリエッタは私に背を向けてしまった。しかも、後ろ姿からでも見えるアリエッタの耳が、先っぽまで真っ赤になっている。もの凄く照れているのが、よく分かった。
「ソッ……ソフィア様! もうお昼ですから、昼食を取りましょう! さぁ、早く部屋に行きますよ!」
そう言うと、アリエッタはスタスタと先に歩いていってしまう。私はそんなアリエッタを見てニコニコ笑うと、その後ろをスキップするように上機嫌でついて行った。
ギュルルルゥゥ~~……。
……私のお腹の虫も上機嫌だった!
◇ ◇ ◇
廊下を進んだり階段を上ったりしていると、しばらくして、視線の先に王女の部屋が見えてきた。私がこの世界に転生してきた時の部屋だ。
国王への謁見に向かう際は、衣装の酷さにショックを受けて俯いて移動していたため、周りの様子に気が付かなかったが、どうやら王宮の四階が王族専用フロアになっているようだ。廊下のさらに前方には数人の衛兵がおり、その雰囲気から、国王と王妃の部屋が奥にあると考えられる。
一方、私の部屋の前には誰も立っていない……。
──私は嫌われてる王女様だからね……。でも、まあ、誰もいない方が気楽でいいけど。とりあえず、王宮の食堂に行って、お腹いっぱいご飯食べよ……。
私が食堂の入口を探して廊下の前方を懸命に見ていると、通り過ぎると思っていた王女の部屋の前で、アリエッタが立ち止まった。図書室の時と同様に、ポケットからアンティークな鍵を取り出し、それを扉に挿して解錠する。その瞬間、図書室と同様に、防御結界のようなものが消えるのが見えた。
「ソフィア様。どうぞ、お入りください」
私は昼食のために、王宮内の豪華な食堂に向かうと思っていたため、思わぬ場所に到着したことに今までと同様の不安を覚えた。
「……えーっと、アリエッタさん。ここは私の部屋のようなんですけど?」
「え? はい、そうですよ。それが、どうかされたんですか?」
私の質問に、アリエッタはきょとんとした表情を浮かべる。
「食事って、どこか大きな食堂で取ったりするものではないのでしょうか? 大きなテーブルがあって、端と端に人が座って、叫ばないと話せないような距離で……」
「……ソフィア様のその記憶は、一体どこの記憶なのですか?」
私はアリエッタの突込みに、冷や汗をかいた。少し話しすぎた……。
「……えーっと、夢かな? キラキラ王女様になった夢」
「……は?」
「すみません。何でもないです……。私の勝手な妄想です」
私はこれ以上、余計な話をしないことにした。すると、アリエッタがいつもの仏頂面のまま、「あぁ、ソフィア様には記憶が無いのでしたね」と言って、私に説明をしてくれた。
「ソフィア様にはいつも、お部屋で食事を取っていただいていました。ただ、確かにおっしゃる通り、王宮に食堂はあります。とはいえ、そんなに巨大なテーブルはないのですが……。ちなみに、どうしてソフィア様はそこで食事しないのか、理由を聞きたいですか?」
アリエッタの冷たい視線を受けたその瞬間、私は全てを悟った。
「……あぁ、私のせい、ですね?」
「はい。正解です」
「うぅぅ……。私、陛下への魔法の披露に成功したら、絶対に良い子になります。食堂でご飯が食べられる良い子になります!」
私が幼稚園児のように涙目でアリエッタに訴えると、アリエッタは面倒くさそうに「はい、はい」と手を振りながら答えるだけだった。私は今日一日で、アリエッタの私に対する粗雑な扱いに、段々と慣れてきた。
アリエッタは私の部屋に入ると、部屋の端にあるテーブルの椅子を引いて、私を座らせる。そして、すぐに部屋を出て行った。私は気を取り直すと、両手でテーブルに頬杖をつき、ウキウキしながら食事を待つ。
──まあ、部屋食でも、王侯貴族の食事は楽しみだな~。この世界の食事はどんなものなんだろう?
しかし、なかなかアリエッタが戻ってこない。そのため、私は席を立って、王女の部屋を改めて見回した。窓に近寄ると、窓の下には王宮らしく大きな庭園が見えた。誰も歩いてはいないが、木々や草花が、とても綺麗に手入れされている。
──わぁ、すごく綺麗~。あとで散歩できるかな~。アリエッタさんについて来てもらうのは悪いから、私一人だけで散歩できるか、後で聞いてみよっと。
私が窓の外を見て興奮していると、しばらくしてアリエッタが配膳カートを押して部屋に戻って来た。
私は急いで、椅子に着席する。アリエッタが私をギッと睨むのが見えたが、私はとぼけるように視線を外した。「本当に良い子になれるのでしょうか?」とアリエッタが呟くのが聞こえた。うぅっ、耳が痛い。
アリエッタは、カートから食器を取り出すと、私の前に並べていく。そして、スプーンとフォークを並べ終わった後、最後に、この場に似つかわしくないものを私の前に上品に置いた。
…………。
…………。
…………。
「……あの~?」
「はい」
「……これは?」
「え? 良く切れる包丁ですが?」
……いやいやいや! 私はもう驚かないよ! この世界は前世とは違う! きっと、肉をサクサク切るための良く切れる包丁に違いない! ホントに良く切れそうだから、怪我しないように気を付けなきゃ!
私が引きつった笑顔をアリエッタに向けていると、アリエッタは頭に「?」を浮かべながら、配膳カートを覆っていた蓋を取る。そして、そこにあった食材を、私の前に並べ始めた。
「…………」
私はその食材を見て、目をこすった。
「…………」
しかし、目の前の食材の様子に変化はない。……当然である。
「あの……」
「今度は何ですか?」
「……これは?」
「今朝仕入れたばかりの、新鮮な生野菜です。トマト、キュウリ、ダイコン、ピーマン、キャベツ。あ、そうそう、このニンジンが本日の目玉だそうです。シェフが言うには、とっても歯応えがあるそうですよ」
──それは見たら分かります! しかも、シェフ、料理してない! ……っていうか、野菜の名前が前世と同じ事に驚いた!
「へー、私、記憶喪失でも、それらの名前には聞き覚えあります~。土まで付いてて、すごく新鮮そうですね~。わぁ~、とっても美味しそうだな~」
私は死んだ目で、セリフを棒読みするようにアリエッタに新鮮野菜の感想を述べた。
そして、目の前に並ぶ、産地直送の野菜たちに視線を向ける……。
──もう驚かない! こんなことで驚いちゃダメだ! むしろ、ゲテモノじゃなくて良かった! ……それで、食べる人が自分で野菜を切ればいいの!? まずは皮むきよね!? 転生王女、初めて野菜の皮をむくわよ! 見てらっしゃい!
アリエッタが流れるような所作で、水の入ったボウルをスッとテーブルの上に置いた。きっと、このボウルの水で、土の付いた野菜を洗うに違いない。
私はアリエッタが部屋を出て、次の食事(食材?)を取りに行っている間に、水の入ったボウルにニンジンを入れて、指で土を洗い流した。そして、良く切れる包丁を構える。
──転生する前の主婦の力、見せてやる!
私は、まな板代わりのランチョンマットの前に立つと、ニンジンの皮をシュバババと剥く。そして、口に入れるのに手頃な大きさに切り揃えた。それを、近くに置いてあった綺麗な取り皿のようなものに整然と乗せていく。トマト、キュウリ、ダイコン、ピーマンも、同じように一口サイズに切りそろえて、皿の上に綺麗に盛り付けた。
そして、私が、スパパパパとキャベツの千切りをしている時、アリエッタが再び配膳カートを押して戻ってきた。
「…………ぇ?」
「アリエッタさん、お帰りなさい! お野菜は大体切り終えました。確かにこの野菜、美味しそうですね。これらの野菜にかけるドレッシングはありますか?」
「えぇっと……。『ドレッシング』なるものは理解できませんが、野菜にかけるソースはございます。……というか、ソフィア様、何をされているのですか?」
「え? 野菜を食べるのですよね? 食べやすく切っているのですけれども?」
「はい、そうですけど、野菜を切るのは侍女の役割で……」
「……え?」
私はキャベツを千切りしていた手を止める。そして、目を点にしてアリエッタを見た。
「……私、またやっちゃいました?」
「はい……」
「あぁぁ~! また失敗しちゃったんだ!」
「……やっちゃったはやっちゃったんですけど、ソフィア様のその包丁使い、凄いですね。どこで覚えたんですか? キャベツをそんな細い糸のように切れる人、この王宮の侍女にはいませんよ」
アリエッタは目を丸くしながらも、今までと違って、少し感心するような表情で私の手元を見つめた。
私は再び冷や汗をかきながら、適当に答えを捻り出す。
「あ~、え~っと……、夢です、夢! これも夢なんですよ! 私、セントウケイでしょ? 剣とか使うんですよね? つまり、『千切り』は剣の技と同じですよ!」
「『千切り』? ……ソフィア様の言ってることが全然理解できませんが、まあいいです」
アリエッタはいつもの仏頂面に戻ると、配膳カートからソースを取り出して机の上に置いた。
「ソフィア様。自ら野菜を切って頂き、ありがとうございました。このソースを野菜につけて、お召し上がりください」
私は包丁をテーブルの上に置いて、椅子に座り直す。そして、恥ずかしさを隠すためにコホンと軽く咳をすると、ドレッシング代わりのソースをニンジンにかけて、フォークで口に運んだ。
…………。
…………。
…………おいし~ぃっ!!!!
そのニンジンは信じられない美味しさだった。甘くて、フルーツのような味で、しかも食感も良くて……、前世の10倍は美味しいんじゃないだろうか? 私は続けて、キャベツの千切りにソースをかけて食べる。
「なにこれ!? 美味しいっ!! こんな美味しい野菜が、この世界にはあるのっ!?」
私は思わず叫んでしまった。
……あ、またアリエッタさんに怒られる……。
私が恐る恐る上目遣いでアリエッタを見ると、アリエッタは目を丸くして驚いていた。
「……野菜嫌いのソフィア様が『美味しい』って言った」
「え? 美味しいですよ。アリエッタさんもいかがですか?」
私は、ソースをかけたキャベツの千切りをフォークに乗せて、アリエッタに差し出す。すると、アリエッタは両手を前に差し出して、首をブンブンと左右に振った。
「ダメですっ!! 王族は侍女に食事を振舞ってはいけません!! ……これでは、まるで、私がソフィア様に毒見させたみたいではないですか!! 私がソフィア様の後に食べるなんて、できませんっ!!」
「まー、いいからいいから。食事は誰かと一緒に食べた方が美味しいですよ」
「……ダメです」
アリエッタは私の差し出したキャベツを頑なに固辞した。私はそんなアリエッタに頬を膨らませると、強権を発動した。
「アリエッタさん。この部屋で一番偉いのは誰ですか?」
「……ソフィア様です」
「じゃあ、このキャベツを食べなさい。命令です。見ての通り、変なことは何もしてませんから。この美味しさを、私と分かち合いなさい。……はい、あ~ん」
私がニッコリと笑って、キャベツの乗ったフォークをさらに差し出すと、アリエッタは迷いながらも、周囲を窺うようにしてから、そのフォークのキャベツをパクっと食べた。
アリエッタはキャベツを口に含みながら、口元を上品に手で隠して、目を大きく見開く。
「美味しい……」
「でしょ~? アリエッタさんが持ってきてくれたソースと、キャベツが良く合いますよね。この感動、分かっていただけましたか?」
「……いいえ、違うんです。こんなフワフワなキャベツ、私、初めて食べました。『千切り』でしたっけ? これは凄いですよ。……本当に凄いです」
アリエッタは、キャベツそのものではなく、私が千切りしたキャベツに感動していた。そして、キャベツを食べ終わった後、真剣な表情で私の顔を見ると、その場で深くお辞儀をした。
「えっ? アリエッタさん?」
「ソフィア様。この『千切り』を私に教えていただけませんか? 私もこうして、キャベツを華麗に切りたいです。……私、実は『上級侍女』を目指しているんです。ですから、他の侍女に負けないような技術を身に付けたいんです」
──上級侍女?
「あの、話に水を差すようで申し訳ないのですが、『上級侍女』って何ですか?」
「あ、そうでしたね。ソフィア様は、記憶喪失以前に、『上級侍女』をご存じありませんでしたね」
アリエッタは軽く微笑むと、「上級侍女」の説明をする。
「『上級侍女』は、王宮の中でも一番位の高い侍女です。王族の専属侍女を任されるだけではなく、外交使節の対応、国王の外遊時の同伴、果ては政治の判断に意見を言うことも許される侍女です」
この世界では、侍女が政治の判断にまで関わることが許されるらしい。私はそれに驚いた。
「……えっと、私の『千切り』が、その上級侍女になることに役立つのですか?」
「はい、そうです。まず、『上級侍女』になるには多くの経験が必要とされ、私が稀代の問題児、バカ王女の……」
口を滑らせたアリエッタが、慌てて口を押さえて、気まずそうに私を見る。
「……あ、気にせず続けてください。私、本当にバカだったと思いますから」
私は笑顔で、右手を左右に振る。転生前の王女を貶されても、私はあまり気にならなかった。それに、転生前の王女は、実際にバカであった可能性が高い。
「……私がソフィア様の専属侍女を志願したのは、『上級侍女』になるためでした。ただ、『上級侍女』になるには数多くの実績を積むだけではなく、難易度の高い試験を突破する必要があるのです。ソフィア様の『千切り』は、その中の『料理試験』で絶対に武器になります。料理試験は、相対評価なんです。他の多くの侍女との戦いです……。私、この『千切り』で、料理試験を有利に進めたいんです」
私はその言葉を聞いて呆然する。キャベツの千切りごときが、この世界で人の心を動かすとは思わなかった。
「えっと、こんなことで良いなら、私は全然構いませんけど……」
「本当ですかっ!? ソフィア様、ありがとうございます!!」
アリエッタは満面の笑みで喜ぶ。私はその笑顔を見て、良い事を思い付いた。
私は歓喜するアリエッタを、手のひらを見せるようにして止める。
「……アリエッタさん、ちょっと待ってください」
「え?」
「『千切り』を教えるのに、一つ、交換条件を飲んで頂けますか?」
「……交換条件? まさか……」
「多分、アリエッタさんの想像通りです。……私の『魔法補助』をしてください」
私は、目を真ん丸にして絶句するアリエッタに話を続けた。
「今夜、私と一緒に寝て、『魔法補助』をしてください。そうしたら、アリエッタさんに『千切り』を教えてあげます」
「……え~~っ!!」
アリエッタはさらに目を丸くしたまま、頭を抱えて、絶望するように大きな叫び声を上げた……。