隆慶一郎「死ぬことと見つけたり」
隆慶一郎「死ぬことと見つけたり」
武士道とは、何か。武士の生き様とは、何なのか。
数多の歴史家たちが言及している問いである。
そもそも武士という存在自体、日本特有の特権階級であり、かつ歴史上において特異な存在と言える。
平安時代、防人として武を磨いたもの、農民の中での腕自慢、あるいは、天皇家に仕えた武官などが前九年の役、保元の乱などで権威を得たのが始まりである。
以来、武士は日本に存在し続け、明治維新まで政権に携わり続ける。
天皇家があり、主従関係があり、土着文化があった。さまざまな影響力の末、その武士という存在は特異な存在へと完成していく。
宗教的、あるいは道徳的模範の権化足り得た騎士という存在ではない。
高貴さ故に、下々の者を守るという義務感を背負った貴族という存在でもない。
自分の信じるものに、全てを賭けるという、あるいは身勝手や傲慢とも取れるほどの忠義への道を目指す、武士という存在へとなっていったのだ。
閑話休題。
さて、小難しい文章で、武士について言及するのはたやすいが、具体的にどのような人間かは全く見当がつかないだろう。武士道について言及した書物として新渡戸稲造氏記す『武士道』もあるが、これは彼自身の個人的な武士道に対する考え方を記したものであり、これに対し批判を寄せる書も存在する。
武士道、というものは個々の心の存在する観念的な存在であるので、そもそも細かく言及するのはひどく難しいのだ。
だが、今に伝わる小説の中に、その武士道を体現したかのような人物たちが活躍する小説がある。
それこそ隆慶一郎氏が記した小説、「死ぬことと見つけたり」である。
ちなみに、隆慶一郎と聞いてピンとこない方も多いかもしれないが、何を隠そう「花の慶次」の原作者である。その彼が記す遺作が「死ぬことと見つけたり」である。
死を恐れず、命に頓着せずに日々を過ごす鍋島藩士、斎藤杢之助とその朋友たちによる、鍋島藩を巡って起こるトラブルを舞台にした、群像劇である。この根底に存在する考え方は『葉隠』だ。
葉隠は、肥前国佐賀鍋島藩士の山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基が筆録しまとめたものだ。江戸中期に書かれたものであり、この中で体制批判があったため、禁書とされるが、その出所の鍋島藩の藩士はこれを読むことで武士道の在り方を心に刻んだとされる。作家の隆慶一郎は、戦時中にこの書を読んだことで影響を受け「死ぬことと見つけたり」という作品を書くに至った。
杢之助たちは、常に死んだも同然の男たち。それ故に彼らはとんでもないことを、平気でやってのける。その豪胆さや飄々とした姿ぶりなど、読んでいるだけで「この男たちはようやるわ」と呆れる一方、痛快な思いに駆られる。例えるなら、彼らは気に入らない上司の家に爆弾を仕掛けるなど平気でやってのけるような連中なのだ。
もちろん、彼らの考え方が武士の一般的な考え方ではない。だが、このような武士もいた。
それがありありと伝わってくる書だ。その魅力を記すのは、残念ながら私には難しいほどに。
葉隠武士とはどういう存在だったのか。是非、この書を読んで確かめていただきたい。