第66話 新しい春(その3)
年が明けてからはあっという間に日が過ぎた感じだ。自主トレ系マラソン部の初稽古の日以来、雪は断続的に降り続け、記録的な大雪となった。ただし、僕たちがずっと小さかった頃の水準に戻った、という感じだったのだけれども。
積もった雪に閉じ込められるような気分になるせいもあり、陸上部の練習も、バスケ部やバドミントン部に頼んで、週に一日だけ、体育館を使わせてもらって、少しでも広いスペースで走ったりトレーニングをしたりできるよう、配慮してもらった。とはいえ、体育館をネットで区切って半分借りるだけのものではあったけれども。なので、バレー部の横で僕がダッシュを繰り返したり、ということもあり、太一とお互いにちょっかいを掛け合うこともあった。体育館が使えない日は、校舎の空いたスペースを使いトレーニングだ。安全に注意しながらだけれども、階段ダッシュはこの冬でおそらく万回単位の往復を繰り返したと思う。のびのびと走れないストレスで却って覚悟が決まり、よし、冬場はひたすら筋力アップだ、と雌伏の時を過ごす武士団のような気持ちで、僕たち走り幅跳びチームは体を苛め抜いた。
実はトレーニングの方が密度・集中度・疲労度とも高く、外で実際に跳ぶよりも疲労回復が重要になる。また、きちんと休息を取らないと柔軟な筋肉もつかない。ただ、硬いだけのスジ肉がつくだけになってしまう。短時間・超集中を合言葉にぶっ倒れるようにして部活の終了時間を迎えた後は、夏場よりも30分~1時間近く早い時間に解散になることもあった。
そんな時間、僕は、市の図書館に通った。通うたびに土砂降りの日のさつきちゃんへの告白の気恥ずかしさが蘇るけれども、あれが始まりだったのかな、と今にすれば思う。学校の課題や、自分なりの自習をしたあと、書架にある本をひも解いた。
この冬、僕は本も読みまくった。文庫本は貸し出し中のことが多かったので、いわゆる全集の中に収録されているものを読んだりした。吉川英治の「三国志」も読んでみた。それから、山岡荘八の「伊達政宗」も読んでみた。全集なので一冊一冊が重かったけれども、借りて家で読むことも度々あった。その他に、お父さんがある経営者のことを調べていたこともあったので、いくつかの経営書コーナーの本もパラパラと読んでみた。
僕は、何だか目の前の世界が、少し幅を増したような気がした。もしかしたら、成功した経営者の言葉には‘運’というものを前面に押し出したきれいごとと捉えられるものもあるのかもしれないけれども、幾人かの経営者の本には、人間の根源的な苦しみを吐露した、本当に若い後輩たちに向けた言葉がいくつも煌めいていた。
僕は、‘運’そのものも実は、必然であり恵みであり、自分の思うとおりになることと‘運がある’ということはイコールでないことにぼんやりと気が付いた。
‘思うとおりにならない’というのなら、じゃあ、何が君の‘思う’ことなのか、と訊かれたら、僕は咄嗟には答えが出ない。
たとえば、僕は‘走り幅跳びを極めたい’という思いは叶っているとは言えないけれども、‘走り幅跳びをしたい’という思いは叶っている。
お父さんの場合、うつ病になり、‘充実して仕事したい’という思いは叶っていないかもしれないけれども、たとえば、‘癌で死にたくない’という思いがもしあったとしたら、それは今のところ叶っている。
ものごとを良く解釈する、というよりも、ものごとそのものが必然であり、事実よいものなのだろう。極端なことを言えば、僕がどう思うか、というのはどうでもいいことで、僕が不満に思おうが満足に思おうが、僕の目の前にある状況・事実・現実は、‘よいもの’なのだ。僕がそれに気付こうと気付くまいと、僕の‘思い’など二の次でいいのだという気がする。人間に対してどうするか、というのは人間を超えた何かの分担・仕事なのだろうと思う。
僕は太一は本当に大した奴だと思う。僕がこんなことをああだこうだと考えるはるか前、小学校の時に太一は既に、‘どうなっても、構わない’という、感覚を自分の行動を以て、皆に言い放っていたのだ。
二度と戻ることのない毎日を僕はこんな風に過ごした。
さつきちゃんにはちょっとした変化があった。さつきちゃんは陸上部やバスケ部(背が低いにも拘わらず!)など、いくつかの運動部からアプローチを受けていたけれども、意外な部がさつきちゃんを口説き落とした。
家庭科部だ。これは顧問の先生直々の説得交渉だったので、さつきちゃんもさすがに断り切れなかったようだ。部活もせずに毎日夕飯の支度を任されている健気な女子生徒がいる、という噂を聞きつけ、初老の女性顧問が、さつきちゃんに家庭科部の活動に、少しの時間でもいいから参加しないか、と誘ってくれたそうだ。
最初は断っていたらしいけれども、週二日でいい、という特別待遇でそれならできるかも、とお母さんとも相談して決めたそうだ。
さつきちゃんは自分だけ特別扱いされることが他の部員に申し訳ないと思ったけれども、それは杞憂に過ぎなかった。先輩にも一年生部員にも、さつきちゃんの人柄がよく伝わるのだろう。ある種敬意をもって接してくれるような部分もあるようだ。また、さつきちゃんの料理の仕方を見て、これはさつきちゃん本人もそうだけれども、さつきちゃんのおばあちゃんとお母さんが只者ではないということに気づいたのだろう。
「うちのお母さんには言えないけど・・・ひなちゃん(‘日向’からもじったさつきちゃんの愛称)のおばあちゃんとお母さんに味見してもらって、評価を聞かせて」
と、毎回タッパーにその晩のおかずを持たされる。さつきちゃんはどうしたものかと戸惑ったけれども、部員たちが本気で評価を聞きたいのだと分かると、おばあちゃん・お母さん・さつきちゃんで、味見をし、まずい部分やよい部分をディスカッションする。そして、遠慮なくその評価と、こういう風に手を加えたらどうかというポイントを次の回で率直に話す。かなりの酷評をすることもあるようだ。もちろん、さつきちゃんが話すと、酷評も‘真摯なアドバイス’としてきちんと相手に伝わるのだから、不思議だ。
‘人徳’という言葉とともに、‘普段が大事’ということを改めて勉強させられた。真摯でない人間がある日突然、その場しのぎの真摯さを振りかざしても説得力がない。‘普段が大事’というのはとても恐ろしいことでもある。取り返しがつかない物事というのは基本的に、特に僕たちのような学生にはまだ少ないとは思うけれども、‘普段’をおろそかにしたツケは自分自身の心を苦しめる。‘自滅’への道につながるのだ。それは学校の勉強が遅れるとかそういう薄っぺらい意味のことではなくて、自分自身の人格を貶めるといった、重たいことだ。
そして、さつきちゃんをスカウトした最も大きな理由が、実はあった。
高校の家庭科部をはじめとした文化部にも、いわゆるインターハイのようなコンクールや大会があり、さつきちゃんは家庭科部の秘密兵器兼・‘行動・立ち居振舞いを以て手本となる’部員のコーチ役に抜擢されたのだ。顧問の平岡先生は、なかなかしたたかだ。もっとも、さつきちゃんは自分自身がコーチなどということは言われていないし、意識もない。その謙虚さ自体がさらに手本となる部分でもあるのだけれども。
こうして僕たちはそれぞれ高校生として、嬉しいことも辛いことも噛みしめながら日々を過ごした。
そして、今日。3月24日、高校1年目の終業式を迎えた。
二週間前には卒業式があった。陸上部の先輩方の中には泣いている人が何人もいた。
走り幅跳びチームのリーダーだった松本さんは、しっかりと胸を張って式に臨んでいた。
松本さんは隣の県にある大学に進学する。大学の合格発表の後、学校に挨拶に訪れ、
「大学ではインカレ出場を目指します」
と、静かに語っていた。




