第53話 夏の終わりから秋の始まりにかけて(その7)
白井駅からシャトルバスで、スタート・ゴール会場の白井公園に着いた。
フル、ハーフ、10km、5kmの順に時間差でスタートする。フル、ハーフの招待選手が開会式の時に紹介された。実際にタイムを競う招待選手の紹介が終わると、一般ランナーと併走して力づけてくれると言った役割の招待選手も紹介された。元オリンピックの女子メダリストで、テレビにもしょっちゅう出ている人だ。
開会式が終わった後、フルマラソンの選手がまずスタートしていった。陸上部からはフルマラソンを走るのは、結局、長距離チームの内の3人だけだった。男子2人、女子1人。長・中距離チームはハーフ参加者が多い。それ以外の部員は、男子は10km、女子は10kmか5km、という感じになった。でも、やはり、僕もいつかはフルマラソンに挑戦する。これは、その前段であり、僕の陸上競技者としての切実な課題への挑戦だ。
さすがに、全コース合わせて8,000人が走る大会だけあって、会場はお祭りのようなにぎやかさだ。あちこちにはストレッチしたり、軽くランニングしたり、同じランニング仲間で談笑したり、という姿ばかり。
僕は、なんとなく陸上部で固まってストレッチしていたのだけれど、向こうの芝生の上を軽くランニングしているさつきちゃんを見つけ、そっちに向かった。
僕は、さつきちゃんの横に並んで走った。
「ごめんね、なんか、陸上部で集まってたら、何となく入りにくいよね」
さつきちゃんは、軽く息を弾ませている。
「ううん。こっちこそ、ちょっと場違いな感じで、ごめんね」
僕は、改めてさつきちゃんを見る。白地で胸の右あたりにオレンジで小さくメーカーのロゴが入ったTシャツに、同じメーカーの薄いピンク色のランパン、それに、別のテニス用品メーカーのキャップをかぶり、白にオレンジのラインが入ったランニング専用のシューズを着けている。
いつも自主トレの時は、Tシャツに長いジャージのパンツだったので気付かなかったけれど、上下短いウェアの今日は、あれ、こんなに痩せてたんだ、と思うくらい、細くて長い手足が目立つ。体のパーツのバランスが取れているせいだろうか、素の手足が見えると、小柄な身長以上の高さに見える。少し黒く日焼けした肌が、余計にその印象を強調する。
場違いどころか、この会場にいて、ここまでしっくりくる容姿のランナーもあまり、いないような気がする。
「ハーフの選手がさっき、出て行ったから、10kmはもうすぐだね」
さつきちゃんが足を止めずに僕に話しかける。
「うん、もう、緊張感もいい感じで、早くスタートしたいな」
僕とさつきちゃんは、芝生のスペースを蛇行しながら、たったっと軽く走り続ける。
そのうちに、10km参加者の集合の合図がかかった。
「じゃあ、ちょっと、行ってくるね」
僕は、スタート地点に向かう。
さつきちゃんは、頑張ってね、と、軽く手を振ってくれた。
スタート地点に行くと、陸上部の参加者も、列の中に加わり始めていた。本当に、ぎっしりと人がスタート地点に、細長く並んでいる。競技タイム計測の人、自己ベスト更新が目標の人、マイペースで走りたい人、というプラカードが、前から順に何十メートルかの間隔で立てられ、走る動機・目標によって、スタート位置を自分で選ぶのだ。陸上部の中・長距離チームは前方の方に陣取っている。僕は、自己ベストとマイペースのちょうど境目くらいの位置に何となく、立った。
軽いロックナンバーがBGMで流れている。今まで、マラソン、というと、緊張と、半ば、後戻りできない世界へ飛び出さなくてはならないという恐怖が襲ってくるのを避けることができなかった。
けれども、今は、何か、不思議な昂揚感があり、ああ、早く走り出したい、という気持ちでいっぱいだった。繰り返し走った自主トレのコースやら、親水公園でのストレッチやら、なぜか、図書館で勉強していた時のことまでが思い出される。久木田に頭をはたかれたことすらも、なんだか、この瞬間には帳消しになるような感じがした。僕は、近くに位置している陸上部員たちとも、手を上げて、頑張ろう!と笑顔を交わした。
スタートの合図が鳴った。
最前列は勢いよく飛び出すが、以後の列は、押し合って事故を起こさないように、ゆっくりと動き出す。僕のいる周囲の列もずりずりと前に動き出す。公園の中の通路を抜けだすまでは多分、こんな感じなんだろう。みんな、笑顔で進んでいる。なんだか、すごく不思議だ。
‘走る’ということが、苦行のようなイメージを、陸上部のこの僕すら子供の頃から持っていた。走るのが得意な人ですら、苦行に耐えることができるからすごいんだ、というイメージを持っていた。
けれども、今、このスタート地点にいる人たちは、みんな、走るのが楽しみ、という雰囲気を醸し出し、笑いあい、声を掛け合い、もっと、自由に足を、手を、動かしたい、という欲求に満ちて、前へと進んでいる。
走りたいから、走る。なんで、今までこんな当たり前のことに、思い至らなかったのだろうか。
ほんの小さい、3歳か4歳くらいの頃、お父さんに、
「競争しよう!」
と、意味もなく挑戦して、何度も何度もお父さんと一緒に公園の芝生のスペースを往復したり。
まだ、意地悪なことも何も考えられないくらいの小さな年代同士で、野原で意味もなく、わーっ、と走ったり。
そんなときは、走りたいから、走っていた。
誰の走りがいいとか不格好とか、速いとか遅いとか、そうじゃなくて。
自分が走る、そのスピード感。
自分が走るのに消費するその自分自身の体の芯のエネルギー。
そういったものを、走る、という行為そのものが満たしてくれる。思い起こさせてくれる。
そんな、全身で表現するのに恰好の、本能。
公園を抜け、僕は、四肢を、んー、と伸ばしたような気分になった。
周囲の人口密度がだんだん低くなっていく。
さあ、僕自身の走りをしよう。




