第47話 夏の終わりから秋の始まりにかけて(その1)
僕にとって、今年の夏休みは、今までで一番思い出深いものになった。それは、‘自主トレ系マラソン部’の活動や、‘花火大会’や、‘陸上部’や、‘図書館での時間’だけにとどまらなかった。
僕は、あの花火大会の後、夏休み中に、日向家の食事に2回招待された。その2回とも、他の同級生はおらず、僕だけが招待された。
最初は遠慮して断った。自分ひとりで、さつきちゃんのおばあちゃんやお母さん、耕太郎たちと色々と話をするのも、なんだか恥ずかしかったし、それにとても大げさな感じがしたから。
だけれども、さつきちゃんは、学校が無いときに僕と何時間もゆっくり話をするとしたら、こんな風にしないと難しいし、家族も純粋に、僕という‘16歳の男子’に興味があるのだ、と言ってくれた。2回目の時には、さつきちゃんのお父さんもいたので、本当に驚いたけれども。
さつきちゃんのお父さんは、僕のお父さんともそう年齢は変わらないはずだけれども、正直いって、僕のお父さんよりもかなりしっかりした感じがした。優しいけれど、厳格で頼りがいがある、という印象を受けた。なぜだか分からないけれども、僕の家族よりも、さつきちゃんの家族の方が、より‘大人’のような雰囲気がある。下手をすると、耕太郎ですら、自分よりも大人なんじゃないだろうか、と感じる瞬間すらある。
食事をする時は、さつきちゃんの家族全員と僕とで、みんなの共通の話題を交わした。
共通の話題ということは、小田家はどうだ、日向家はどうだ、と、いった感じの話だ。
僕は、自分の亡くなったおばあちゃんのことや、兄ちゃんのことなんかを話した。
亡くなったおばあちゃんには、子供の頃、本当にどこに行くにもくっついて連れて行ってもらうような感じで可愛がってもらったこと。おばあちゃんは畑仕事をよくしていたので、その畑のある裏山の、洞穴の日蔭で涼みながら、水筒の水を飲ませてもらったこと。
それから、兄ちゃんは、自分よりも5歳年上で、隣の隣の県の大学生であること。通学は無理なので、県人会が運営する学生寮に住んでいること、なんかを話した。その時、さつきちゃんのお父さんから、お兄さんは、夏休みにこちらに戻って来ているの?と、訊かれたけれども、僕は、いえ、戻ってきてません、と、事実のみを答えただけだった。
それから、日向家の話題としては、僕がまだ聞いていなかった話、例えば、さつきちゃんのお父さんは、ダム工事なんかが主力の建設会社の現場監督で、ダムの現場に入ると、工事進捗管理だけでなく、技術面、資材、機材の発注状況、そして、もちろん、一番重要で責任の重い安全管理を一身に背負うため、基本は現場に泊まり込みとなり、何週間も家に帰れないこと、を教えてくれた。2回目の食事会の時は、ちょうど、お盆近くまでかかっていた県外の現場から、この県の連邦の砂防関係の現場に担当が切り替わるため、移動の合間の中休みということだった。
それから、他にも、僕の知らないことを教えてくれた。さつきちゃんが中学校2年の時、3年生だった耕太郎の小学校の運動会に、お父さんもお母さんも親戚の結婚式に出席するため行けなかった、ということがあったそうだ。さつきちゃんがお弁当を作り、おばあちゃんとさつきちゃんとで応援に行ったのだが、3年生のプログラムの中に、父兄との二人三脚があった。耕太郎は、事前に伝えていなかったので、当日、プログラムを見て、さつきちゃんは、かなりうろたえたらしい。
さつきちゃんは今も小柄ではあるけれども、中2の頃は、今よりも更に10cmほど背が低く、それに対して耕太郎は、ほとんど高校生と思うような身長の今より5cm程度低いだけだったそうだ。2人の身長差ははなはだしく、さつきちゃんが姉なのか妹なのか分からない、というだけでなく、そもそも二人三脚が成り立つのかどうか、というくらいの様子だったらしい。何となく想像はつくけれども。
しかも、このような競技の常として、‘クラス対抗’という形式になっており、身長順に走者の順番が決まっていたため、一番大きな耕太郎がアンカーとなっていた。なぜ、父兄の身長で走者の順番を決めないんですか、とさつきちゃんは思ったらしいけれども、当日まで父兄の身長が分からない以上、仕方のないことだとは思う。
始まった以上は、とにかく走り切るしかない。お膳立てたように3クラスの走者がほとんど差の無い状態でアンカーにバトンが渡り、他の2クラスの走者は2人とも父親、しかも、生徒も父親2人とも、学年でも運動神経が相当いい、と言われていたそうだ。
僕は、自主トレ系マラソン部でのさつきちゃんの走りを見ているので、間違いなくさつきちゃんは運動神経が良いと思っている。そして、耕太郎も恵まれた体格であり、おとなしく優しい性格から競争心はあまりないかもしれないが、運動能力はかなり高いと思っている。
けれども、二人三脚はそういう種目ではない。たとえば、父親が強引にパワーでリードしたとしても、それよりも体格では劣るがスタミナと元気良さはある小学生の息子が無理やりついて行ってゴールする、という方法はあるだろう。けれども、耕太郎とさつきちゃんの組み合わせにそれは難しい。どんなに2人の運動能力が高くても、体格差をスピードや動きの大きさで補うにも限度というものがある。
けれども、さつきちゃんの耕太郎に対する提案と指示は、非常に的確で、耕太郎の姉に対する信頼も素晴らしいものだったらしい。
さつきちゃんが耕太郎のコンパスに合わせるのは無理だ。さつきちゃんは、わたしの歩幅に合わせてくれないか、と耕太郎に頼んだ。そして、スピードは、最初は耕太郎がその歩幅で出せるスピードに任せる、と言った。それから、徐々にわたしがスピードを上げてみるから、大丈夫そうなところまで回転を上げてみて欲しい、と頼んだ。前走者からバトンを受ける十秒ほどの間に打合せ、バトンを受けて、走り出した。
最初は、他の2クラスよりは、少し、遅れた。耕太郎が、自分の出せるスピード・回転を探るためだ。5mほど遅れ、周囲の観客は、ああ、やっぱりな、という雰囲気になり、その代わり、前を走る2クラスの応援は勢いを増した。けれども、徐々に耕太郎が感覚を掴んだのが分かると、さつきちゃんは少しずつスピードを上げ始めた。これは耕太郎にとってはさつきちゃん以上に苦しい作業であるはずだ。けれども、さつきちゃんがしたのは、スピードを上げるだけではなかった。
さつきちゃんは、コンパスも大きくしたのだ。どうやって、というと、スキップするような走り方で、だ。
口でいうのは簡単だけれども、こんなことは、運動能力の高さと、リズムをコントロールする能力と、相手をよく観察して合わせる性格とがそろわないとできないことだと思う。
自分の脚ではカバーできないコンパスを着地までの時間も計算に入れた‘ジャンプ’という竹馬を穿かせることで、カバーしたのだ。耕太郎は、さつきちゃんのサポートもあって、自分の体格に見合った限界に近い走り方をすることができた。
観客は、やはり、不利な筈の者が奮戦する姿の方が分かりやすいのだろう。たちまち追い上げ始めた耕太郎とさつきちゃんの姿を見て、2人の応援を始めた。
追い上げられた2クラスは、父親がパワーでリードする、というスタイルがより勢いを増した。その結果、そのうちの1クラスが、徐々にバランスが崩れ始める。
耕太郎とさつきちゃんは、2位に上がった。ゴールまであと20m。差はあと2mまで迫り、このまま無理せず加速をつけて、あとは抜き去るだけだった。直線コースで、トラックのイン側が空いており、自分達の力のかかっている方向も、インの方が自然な流れだったので、さつきちゃんは、このままインから抜こうとした。その時、わざとではないのだろうけれども、抜かせない、という潜在意識なのか、トップの父親が、急にイン側にぐぐっと、寄った。けれども、イン側にはまだ1mほどの隙間があるので、さつきちゃんは、このまま抜き去ろうと自分達の体をインに滑り込ませようとしたとき、
‘お姉ちゃん、’
と、無言ではあるけれども、耕太郎が、明確な意思を示した。
‘アウトから行こう’
さつきちゃんは、今からアウトに向かったら、抜けない、というのは分かっていた。
けれども、これは、耕太郎の学校の運動会だ。どうするかは、自分よりも耕太郎の意思が優先されるべきだ、と、咄嗟に判断し、アウト側に体重をシフトした。
結果的に、ほんの僅差で抜けず、2位となった。さつきちゃんは、でも、この方が、耕太郎らしいな、と思ったそうだ。
けれども、観客は大喜びで拍手してくれた。
クラスの順位のアナウンスまで待っている間、何人もの男子生徒から、
「耕太郎、お前の姉ちゃん、すげえな」
と声をかけられたそうだ。その姉ちゃん本人が、まだ二人三脚の状態で弟と紐で足を結んだままでいるのに、「お前の姉ちゃん」と声をかけるところが、やはり小学生らしい。
そして、この話を僕に語ってくれたのは、おばあちゃんと、耕太郎本人だった。おばあちゃんが話してくれたのはレースの内容ではなく、運動会の日はよく晴れてたね、とか、弁当の出来はなかなか良かった、とかいうことだった。耕太郎は、鮮やかな描写、というには程遠いが、無口なりに、自分のお姉ちゃんがいかにすごかったか、と、いうことを、表現能力の範囲で語ってくれた。
さつきちゃんは、ただ、恥ずかしそうに、いや、たまたまね、と、何度も言っていた。
おばあちゃんにとって、さつきちゃんは自慢の孫なのだろう。耕太郎にとってさつきちゃんは優しく、頼りになる自慢の姉なのだろう、そして、にこにこと聞いていたお父さんとお母さんにとっては、自慢の娘なのだろう。
本来は、この食卓が家族団らんの場なのだろうが、僕に気遣ってか、しばらくすると、みんな、隣の居間に移動していった。




