第44話 8月へ(その10)
「ううん、そんなことないけど。ただ、本当にびっくりした」
さつきちゃんは、紙コップに入ったかき氷を先がスプーンの形になったストローでつついて溶かしながら僕の顔を見るのが恥ずかしそうな感じでまた話し始めた。
「かおるくんは、何か、辛いことがあるの?」
僕は、何を、どこまで話せばいいのか、自分でも分からなくなる。
僕は、一瞬、目を閉じて、自分が一体どうして毎朝、遠回りをし、神社にお参りし、あのおばあちゃんの住む木造の家の前を通っているのか、自分自身の心の奥底を覗いてみようと考えた。
さつきちゃんは僕が話しやすいように、繰り返し聞いてくれた。
「もし、話したくないなら、いいんだけど・・・わたし、かおるくんとは、そういう話もできるようになりたい」
「僕のお父さん、病気なんだ」
僕の顔を見ながら、さつきちゃんは真剣に聞いてくれている。ただ、ぼくには、どこまでを話そうかという迷いがまだ、正直ある。
「お父さん、何の病気なの?」
僕は、どうしようか、ぎりぎりまで迷った。そして、言った。
「ごめん、何の病気かは、言えない」
「・・・うん、分かった」
さつきちゃんは、頷いた後、しばらくかき氷の紙コップに目を落としていた。それから、そのままの姿勢で僕に訊いた。
「じゃあ、かおるくんは、お父さんの病気がよくなるように祈っているの?」
「ううん、そうじゃないよ」
僕は、自分で自分のことを嫌な奴だと思いながら、思い切って話すことにした。
「お父さんを見てると、何だか、自分のことが不安になって。大人になっても、結局、同じなのかなって」
「・・・?」
「僕は、なんとなくだけど、大人になるにつれて、段々と色んなことが‘まし’になるような気がしてた」
「・・・それは、色んな悩みが減ってくる、っていうこと?」
「うん」
僕は、絞り出すようにして、それでもできるだけ普通にしゃべろうと思った。
多分、周りから見れば、全く普通には見えないだろうけれども。
僕は、どうしても分からないことがあった。そもそも自分が言いたいのか、言いたくないのか。だが、分からない状態で、反射で言うしかないと思った。
「たとえば、会社に勤めるサラリーマンのような人たちは、小学生や中学生のように訳の分からないことはしないんじゃないかな、って何となく思ってた」
「うん・・」
「でも、お父さんが病気になったきっかけは、会社で何か訳のわからない、まるで子供が暴れているようなことをする人たちがいたからじゃないか、って感じる」
「うん・・・」
「だから、学生から社会人になっても、あまり物事が変わらないんじゃないかな、って不安になった」
「そうなんだ・・・」
さつきちゃんは、‘でも、どうして行く場所が神社なの’、という問いかけはしないでくれた。僕が、何だか苦しい、辻褄の合わない、言い訳のような言葉を発している、ということを察してくれているんだろうと思う。
そろそろ行こうよ、という感じで、向こうにいる4人が立ち上がってこっちを見た。
ごめん、行こうか、という感じで僕も立ち上がり、さつきちゃんを見下ろした。さつきちゃんは腰を下ろしたままで、僕を見上げ、こう言った。
「わたしは、社会人じゃないけど、かおるくんの話してくれることとか、してくれることとか、いつも真面目に考えてるよ」




