第41話 8月へ(その7)
ここまでの道もかなり混んでいたので、自転車はまるで先生に引率される小学生のように、太一を先頭にして縦一列で進んだ。実際、1人小学生が混じってはいる。そして、僕は、その小学生である耕太郎の後ろを走る最後尾で、列からはみ出て迷子になるメンバーが出ないように、見張る役目だ。それに、‘小学生のように’と言ったが、実は、子供のようにきちんとお行儀よく周囲に配慮して歩くのが、本当の意味での‘大人’かもしれないな、と僕は考えることもある。
それにしても、耕太郎も一緒に連れて行って欲しい、と、さつきちゃんのお母さんから頼まれたが、実は、色んな意味があったと今にして気が付く。5年生なのに、僕たちみたいな高校生が連れてってもいいんですか?と聞いたが、お母さんは、耕太郎の社会勉強にもなるから、お願いしますと頭を下げられた。でも、僕は、耕太郎が混じっていることで、縦一列での走行もすぐに皆で決めたし、耕太郎が小学生であることを考えて、できるだけ人通りが少ない危なそうな道も通らないことにした。もっとも、周囲から耕太郎の背格好を見ると、高校生が6人いる、と思うだろうが。こういった、年下の者への配慮は、兄ちゃんしかいない僕にしてみれば、非常に新鮮な発想・感覚で、僕自身勉強になった。それに、僕たち高校生5人が耕太郎のお目付け役みたいな気でいたけれども、耕太郎の眼を通じて、逆に僕たちが自制し、物事をわきまえた判断ができるよう、さつきちゃんのお母さんは耕太郎を同行させたのではないか。もっと言えば、僕たち高校生が花火大会の雰囲気にのまれて、歯目を外さないように。もっとも、耕太郎にはそんな意識は全くないだろうし、お母さんの深謀遠慮を思うと、本当に‘賢母’だと感心させられる。
僕たちは、川の土手の手前にある公園に自転車を止めた。自転車で見に来る中・高生や親子連れは、大体この公園に駐輪するのが、毎年の様子だ。
僕たちは土手を上り始める。実は、この土手は花火が上げられる一級河川の手前に流れる小さな川の土手だ。一級河川の手前で途中からカーブして、沿うように流れている川で、上流をたどっていくと、僕が朝のランニングコースのチェックポイントにしている観音様・お不動様がおられるところに行きつく、その川だ。その川にある土手の桜並木を少し歩き、一級河川の河川敷の土手の側へつながる小さな橋を6人で渡る。
一級河川の土手の手前の道は、もう、かなりの混雑だ。いくつもの香具師が出ている。かち割った氷を入れた水槽に入れてペットボトルのお茶やビールを売っている店、焼きそば、お好み焼き、かき氷、チョコバナナ、ベビーカステラ。普段は営業している様子の無い、土手のすぐ横にあるレストランも、今日はテラスに何組もの予約客がいて、そのガレージの横で、普段は寝てばかりいる猫も、うろうろと歩き回っている。
「そろそろ8時過ぎだね」
太一が携帯の時計を見て、一同に伝える。
この花火大会は、毎年、開始時刻が正確に決まっているわけではないし、8時過ぎにならないと始まらないのだ。8時過ぎにスタートする、というのは、真夏の8月といっても、やはり遅い時間だろう。理由は、これだ。
上空を、ゴーっという音が通り過ぎていく。空を見上げると、一機のジェット機が東京方面を目指し、高く舞い上がっていくところだ。
僕たちの県にある唯一の空港は、海にでも広大な平地にでもなく、なんと、この河川敷のもう少し上流に作られているのだ。そして、ちょうどこの川がまるで滑走路の延長であるかのように、飛行機の離発着の、進入路であり、航路なのだ。全国でもおそらく、こんなロケーションの空港は、この県だけらしい。そして、離着陸の目標に、河川に架かるいくつもの橋が視界に飛び込んでくる、パイロットにも非常に高度な技術が求められる、そんな特別な空港なのだ。
したがって、その日の最終の離発着が終了した後でないと、花火の打ち上げが開始できない。もし、ちょうど上空に飛行機が差し掛かった瞬間なら、まるで飛行機めがけて花火を打ち上げるようなことになってしまう。もちろん、いくら離着陸の態勢だったとしても、花火が届くほどに低い高度を飛んでいる、ということはないのだろうけれども、地上すぐ上の橋が視界に入ってさえ、操縦が難しくなるような、飛行機の操縦とはそれほど緻密で神経を使うものであるのに、眼下に10尺玉の花火が描く光線と、その大音量が作る空気の波動とをパイロットと乗客が体験したとしたら、とんでもないことになるだろう。




