第40話 8月へ(その6)
僕は、花火大会の会場へ向けて自転車のペダルを踏みながら、さつきちゃんのおばあちゃんとお母さんの話を思い出し、それを、ある経営者の話と結び付けていた。
その経営者は明治生まれで坊主頭の、‘荒法師’と呼ばれた経営者だった。昭和初期に船舶や後には航空機分野にも進出するエンジンメーカーの技術者としてサラリーマン人生をスタートさせ、現場たたき上げで、‘政治的な’裏工作が大嫌い、陰日向なく、どこまでも‘正門’突破のスタンス。しかし、情に厚く、部下をとことんまで鍛える時も、愛情を持って怒鳴りつける。第二次大戦の前後に社長となり、その後、経団連会長になり、更に、時の首相から懇請されて日本で初めて成功した、国民が一丸となった‘行政改革’のトップとして、その一生を‘無私’で生きた人だ。そして、おそらくはこの人が、日本の経営者としていち早く‘ドラッカー’の経営学に着目したのだが、それほどの膨大な、本当に‘この世の暮らし’のために必要な膨大な勉強を、仕事をしながら、いや、本当の意味での仕事をするために続けた人だ。
僕は、その人のことを、お父さんが持っている本で知った。お父さんは、仕事の関係上、経営者のことを勉強するために、その人についての本を何冊も買っていた。その人のことが全国的に話題となったのは、昭和後期、行政改革のトップだった時のこと。その人の特集がテレビで組まれた時のことだ。その人と奥さんの家での生活の様子もテレビが取材に来て、魚の干物を焼いた質素な朝食や、仏壇の前で一心に読経する姿が放送されたのだ。非常に庶民的、というよりは、‘庶民’よりも更に数段質素で清貧な暮らしぶりが放送され、国民から親しみを持たれ、行政改革も国民の好意的な協力で、日本で唯一成功した、と言われるものだったらしい。
この経営者の生きた時代は、お父さんにとっても何十年も前のこと。最近、また注目され始めたが、お父さんがこの人のことを仕事上必要となって勉強し始めた頃には、ほとんどの本が、簡単には入手できない状態だったらしい。図書館でも開架には置いてなく、しかも、その人は極端に自分のことを自分で語るのを嫌った人なので、他人がその人のことを書いた本しかほとんどなかったらしい。仕方ないので、図書館で、その人の名前をキーワード検索して引っかかった、もう閉架書庫にしかない本を内容も見ずに片っ端から借りたとお父さんから聞いた。
そんな中で、お父さんは、古本屋で文庫化されたこれらの本を見つけては少しずつ買ったり、年に何回か東京に出張に行った時、東京駅のすぐ近くにある大きな本屋の企業経営のコーナーを見て回ったりして、集めたそうだ。
お父さんは僕にこの経営者に関する本を読むよう勧めたわけではないけれども、お父さんから、話を聞いていたので、本棚のお父さんの本が入っているスペースにあった何冊かをぱらぱらと読んでみたのだ。
内容そのものが特別難しいわけではない。それどころか、‘政治工作’が大嫌いで、‘正門から白昼堂々’を、理想ではなく、本当に事実そのままやって生きた人なので、最近のニュースでよく見る、‘偽物の正義の味方’のような政治家や企業トップよりも、とても分かりやすい。ただ、僕がまだ、社会に出て働くということをしていないので、本当の意味では実感できない部分も少なからずあるという印象だ。
ただ、その時は中学生だった僕が、「勉強というものの本当の意味」の一つの考え方を示すような、とても心に残る話が本の中に出てきた。
その経営者のお母さんの話だ。
その経営者のお母さんは、自分が嫁いだ家の信仰を守り深めて子供たちに伝えるため、その経営者が子供の頃から仏壇の前に座らせ、一緒に読経し、お経を覚えさせた。それだけではなく、教育が人間にとって非常に重要なものであるということを痛感し、子供に対しても、大人と同様に一人前に扱い、その子供たちの年齢なりに真剣に議論をした。
そのお母さんは晩年、女学校を作りたい、と、長男であるその経営者や、他の息子たちの反対を押し切り、建設のための土地も何人もの地主と交渉して格安で手に入れ、出資を募り、そして、遂に女学校を立ち上げたのである。その時、そのお母さんの年齢は、‘老婆’の年齢であった。おばあちゃんが、子供たちの反対を押し切り、孫達とのやり取りの時間も削り、女学校を立ち上げたのである。そこだけでも並大抵の話ではないのだが、女学校を設立した理由が、また並大抵の話ではなかった。
僕は途中までページを進め、てっきり、社会で現代でいうところのキャリアウーマンとして活躍する教養ある女子を育てるために学校を設立したのかと思ったが、そうではなかった。
‘賢母’を育てるために女子教育が極めて重要だと考えて設立した、と書かれていた。
意訳すると、こういうことが書かれていた。
世界中の、独裁者と言われる人間であろうと殺戮者であろうと、どんな人間でも赤ちゃんの頃は、みんな、母親の胸に抱かれていたはずだ。だとすると、母親がその子をどのように育てるかということは、歴史すら変える。国が良く、平和であるためには、母親が愚かではいけない。よって、女子教育は国の喫緊の課題だ。
しかし、その学校で教えるのは、座学や講師陣の薫陶だけではない。皆で料理したり、学校の掃除をしたり、畑で野菜を作ったり、‘この世の暮らし’のための‘勉強’を、その老婆自らが、一緒に体を動かして行うのだ。
最後、そのお母さんは、学校での文字通り命を賭した、女子教育という‘最後の奉公’で体を酷使した無理がたたり、亡くなる。
そして、その経営者は、生前反対したものの、お母さんの遺志を継いで、超多忙の身でありながら、その女学校の経営を続けたのだ。既にその当時、企業の社長となっていたが、役員報酬をほとんど、学校の運営費に投じ、自分は奥さんと二人、清貧のつつましい生活をしていたのだ。そのお母さんが常日頃からその経営者に言っていたのは、
‘個人は質素に、社会は豊かに’だったという。
僕は、さつきちゃんのおばあちゃん・お母さんの話が、この経営者のお母さんの話となんだかつながるような気がして、ならなかった。すべてが、という訳ではないけれども、気持ちがつながっているような、そんな気がした。
そして、この話を僕が知ることができたのは、お父さんがこの経営者のことを勉強していたからなのだ。でも、そのお父さんは、病気になった。ちゃんと仕事にも行っているけれども、でも、なんだか、心がここに無いような、そんな感じが未だにする。本当は、以前ならばこの花火も、お父さんと一緒に来ていたのに。




