第27話 スピードをつける(その3)
今日は、各チームの練習が終わった後、陸上部全体でのミーティングがあった。遅い午後、少し涼しくなりかけた時間帯に、部室ではなく、がらんとした学食のテーブルにめいめい座って、陸上部男子全体キャプテンを務める3年の金岡さんと、同じく女子全体キャプテンを務める3年の土田さんがみんなの前に立った。金岡さんが議事を進める。その傍らに陸上部顧問の三谷先生が足を組んで座り、ミーティングの進行をじっと見守っている。
「伝達は2つ。まずその1」
金岡さんはクールでクレバーな語り口で、いつものように簡潔で適切な言葉を並べる。
「三年生と一・二年生のバトンタッチリレーの日取りだ」
この、バトンタッチリレーは、陸上部の恒例行事で、それぞれトラック一周400mずつ走り、引退する三年生から一・二年生に、文字通り「バトンタッチ」するリレーだ。これは、男女混合で、陸上部全員で行う。参加チームは「陸上部全員」の一チームのみ。タイムを計るわけでもなく、競争する訳でもない。短距離チームも長距離チームも走り幅跳びチームもやり投げチームも関係ない。ルールはただ一つ。その人自身の「全力疾走」をすること。最初は三年生が順不同で走り、三年生の中のアンカーは女子全体のキャプテン。二年生の第一走者は次期男子全体のキャプテンで、二年生のアンカーは次期女子全体のキャプテン。それから一年生は順不同で三年・二年からのバトンをつないでいく、という伝統だ。人数が少ないとは言いながら、男女合わせれば30人近くいるので、それなりに時間はかかる。陸上部内部の行事なのだが、毎年、結構な人数のギャラリーが炎天下の中観に来てくれ、走り終わったら盛大な拍手喝采を浴びせてくれるのだ。
「夏休みに入る直前、すなわち終業式の日の午後1:45分、スタートだ。この日、俺たちは完全に引退し、後輩の皆に、文字通りバトンタッチをする」
おおー、と、いう声とともに、学食に拍手が起こる。
「伝達その2」
金岡さんは皆をぐるっと見回す。
「白井市で県内初のフルマラソンの大会が開かれるのは知ってると思う」
僕たちのいる鷹井市から東に約40kmの白井市ではこれまで県内で最大の市民ランナーの大会が開催されてきた。フルマラソンではないのだが、ハーフマラソンと10km、5kmのコースがあり、ハーフマラソンには地元実業団選手を含む、国内トップ選手の何人かが招待選手として出場する、規模もレベルも県内随一、いや、国内においても格式ある大会として知られている。その白井市の大会が、満を持してフルマラソンのコースを作るのだ。
「9月15日、日曜日、エントリーはかなり埋まってきているが、まだ間に合う。県内各高校の陸上部に、主催者である白井市役所から、若いランナーにもふるって参加してもらい、大会を盛り上げたいという趣旨の依頼が来ている」
金岡さんは、にこっと笑った。
「俺たち3年は参加できないが、1・2年生の皆には栄誉ある県内初のフルマラソンの大会に参加する機会をできれば逃さないようにして欲しいと思う」
身じろぐ者、参加する気満々の者、様々いる部員をゆっくりと眺めまわして金岡さんは笑顔で続ける。
「もちろん、強制じゃない。自由に走り、跳び、投げる、というのが我ら鷹井高校陸上部の伝統だ。フルマラソンとなると、それぞれの専門の競技のコンディションにも却って悪影響を与える可能性もある。また、9月はまだまだ暑い時期だ。成人ランナーでも体力的に非常に苛酷な大会になるのではないかと思う」
フルマラソン化の準備のため、通常は5月下旬に開催される大会を9月に繰り下げざるを得なかったという事情が初回大会にはあるのだ。
金岡さんは皆の顔をきちんと見ながら、染み入るような言葉で語り続ける。
「フルマラソンでなくてもハーフでも10km、5kmでもいい。参加するもしないも当然自由だ。沿道で応援するのも、夜のニュースを熱く見るのも、どんな形であれ、陸上を愛する人間として形は問題じゃない」
金岡さんは、参加しない部員への気遣いから言っているのではない。本当に本気で、陸上を愛する人間にとっては自ら走る・走らないすら関係ないことだと言っているのだ。金岡さんが話すと、それが自然に本当・本気のこととして感直に感じられる。
「とにかく、白井市が呼びかけてくれたことに感謝しよう」




