プロローグ: 『深窓のプリンス』
放課後の廊下は喧噪。ようやく終わった授業からの解放感であふれかえっている。
が、自由の身になった生徒はともかく、帰りのホームルーム終わりの教室ではクラス担任が大量の荷物を持て余しているようだった。授業前に3往復ほどしてやってきたわけだからそれも仕方ないところだろう。
「職員室までですよね」
「ん? ああ、そうなんだけど、桜森くん手伝ってくれるか?」
明らかに一度では無理そうな物量だ。幸か不幸か今の座席は教卓に近い。これを無視することはさすがに出来なかった。重たそうな紙袋を持てば返事の代わりになる――。
――と。
「お?」「あ」
声が重なる。指先が触れる。
ぴりっと熱を感じたときのように、思わず反射で手を引く。
それに少しだけ遅れて、鼓動だけが前へ出た。
「ああ、済まない」
「え。ああ、いや、こちらこそ……」
低めの落ち着いた声。袖をきちんと折り返したシャツ、すっと伸びた指。
顔を向ければ、耳にかからない髪、目が合えば軽やかな笑みが見えてくる。
――深見柚寿希。
学年最上位、学校でも屈指の有名人。女子の歓声と男子の嘆息を巻き起こす中心人物。
「資料とパソコンと、こっちは小テストですね。あとは紙袋……か、なるほど」
深見さんは手早く仕分けし、小テストは先に先生へ渡す。最後に俺が狙っていた一番重い袋を当たり前の顔で持っていた。
「いやいや深見くん、そんなに……」
「配慮は無用ですよ、先生。最後に扉だけお願いします」
深見さんは露払いをするかのように、先に教室の扉を開けに行く。
その隙に、深見さんが持とうとしていた重い方を回収した。
「おや?」
「ん?」
深見さんが戻ってくるなり俺の企みはあっさりと露見する。もちろんこれは想定通りだからこそ俺は先手を打つ。
「気にしないで。まずは荷物を運んでしまおう」
「ふふっ、そうだね。済まない。ボクらが先生を待たせてはいけないね」
――『深窓のプリンス』。
一人称や苗字の字面もあって、彼女にはそのような二つ名が付けられている。
○
放課後の喧噪も彼女が通ればすぐさま整う。
深見さんに導かれるように廊下へ出れば自然と彼女に視線は集まる。そんな音を俺は初めて聞いた。
ウチの制服は基本系こそブレザーで定まっているが、ある程度の自由が効くようになっている。最たるところは女子はスカートでもスラックスでも良いという部分か。
深見さんはその一挙手一投足に違わないスラックススタイルを選択している。すらりと伸びた脚は淀み無く歩を進め、それを見た周囲の生徒たちの大半は思わず呼吸を止めて見蕩れる他無い。人垣が崩れかけても軽い会釈と視線だけで乱れを整える。
「ああ、今日も麗しい……」
「さすが深見さん」
「プリンス過ぎんだろ」
近くにいるといろいろと聞こえてくる。普段からこうなのだろうか。
無事に職員室に着く。せめて出来ることとして、職員室の扉は俺が開ける。少しだけ急ぎ足で深見さんの前へ、ただし邪魔にはならないように。
「ここで大丈夫ですか」
「済まないなぁ、ふたりとも。ありがとう」
「いえいえ」
これで任務は無事終了。小さく息を吐けば、何か言いたそうな深見さんと目が合った。
「さっきはありがとう。本当はボクが持とうとしていたんだけどね」
「それはまぁ、流石にね。余計なお世話だと思われてたら申し訳ないけれど……」
「いや、気にしないで。ところで……、桜森怜史くん、だよね?」
呼ばれた名が、ほんの少し柔らかく響いた。
「ああ」
「うん。桜森、怜史くん」
なぜか名前を噛みしめるように確認される。たしかに今までに話したことはないが、名前を照合されるほどに影が薄いのだろうか。
――まぁ、薄いかもしれない。自己解決の内容としては哀しいが、そもそも俺はあまりにもこの学校に釣り合っていない。それくらいのことは自覚している。
「……ふふっ」
「ん?」
だが、深見さんはさらに微笑んでくる。様になっているのは、たしかだ。
だけど、何かちょっと怖い。
もしかして俺、何かしましたかね。
「いやいや、済まない。こちらの話だ」
「……そうか」
「何はともあれ、だ。これから、何卒よろしく頼むよ」
「ぁえ? あ、あぁ……」
俺の返事未満の何かと疑問はそこに残されたまま、深見さんは爽やかに去って行った。
○
――この1週間後、『深窓のプリンス』はプリンセスになった。




