56話 切替
「……じゃあ、決まりね。」
瑠華はパンと手を叩き、空気を切り替えた。
「先生ー!」
教室の前へ向かって手を挙げる。
「四人、できましたー!」
桃原先生は名簿を確認しながら顔を上げた。
「はーい!」
「瑠華ちゃん、亜里沙ちゃん、米倉君、七宮君ね。」
「班、確定でーす!」
「やったぁ!」
七宮が両拳を握りしめ、その場で小さくガッツポーズをする。
「よっしゃー!」
「林間学校、楽しみだな!」
そのテンションに、蒼真は思わず苦笑する。
「まだ先だけど。」
「細かいこと気にすんな!」
「楽しみは早いうちから楽しんだもん勝ちだ!」
七宮は満面の笑みを浮かべる。
その姿に、教室の空気まで少し明るくなった。
一方。
教室の反対側では、亜里沙がそっと蒼真へ視線を向ける。
蒼真も、その視線に気付き顔を上げた。
目が合う。
さっきの出来事を思い出したのか、お互いに少し照れくさそうな笑みがこぼれる。
離れた距離のまま。
どちらからともなく、小さく口が動いた。
「よろしく。」
「……よろしく。」
声は届かない。
それでも、お互いの言葉はちゃんと伝わっていた。
そんな二人を見ていた瑠華は、小さく笑う。
(まったく。)
そして班決めが終わると、桃原先生が教壇を軽く叩いた。
「はい、みんな班は決まったねー!」
ざわついていた教室が、少しずつ静かになる。
「それじゃあ、班ごとに集まってくださーい。」
「まず最初に決めてもらうのは、班長!」
「林間学校では、先生との連絡や点呼、班のまとめ役をお願いしまーす。」
「話し合って決めてね!」
その一言で、教室中から一斉に笑い声が上がる。
「えー、俺やだー!」
「お前やれよ!」
あちこちで班長の押し付け合いが始まった。
蒼真たち四人も、自然と机を寄せ合い、一つの輪になる。
すると七宮が、待ってましたと言わんばかりに手を挙げた。
「はい!」
「俺、リーダーやる!」
迷いのない一言だった。
瑠華は呆れたように笑う。
「はいはい。」
「七宮君なら、そう言うと思った。」
「だろ?」
七宮は胸を張って笑う。
「こういうのは勢いが大事だからな!」
その隣では。
蒼真と亜里沙が、久しぶりにすぐ近くで向かい合っていた。
あの日以来。
教室では話す機会もほとんどなく、こうして近い距離で顔を合わせるのは久しぶりだった。
お互いに何を話せばいいのか分からない。
少しだけ気まずい沈黙が流れる。
(ここで逃げたら……また前と同じだ。)
蒼真は七宮とのコミュ力改造計画を思い出す。
ほんの少しだけ息を吸い、自分から口を開いた。
「……よろしくお願いします。」
その一言に、亜里沙は肩を小さく震わせる。
「えっ……。」
一瞬驚いた表情を見せたあと、ふっと柔らかく笑った。
「う、うん。」
「よろしくお願いします。」
たったそれだけの会話。
それなのに、二人の間に流れていたぎこちない空気が、少しだけ和らいだ。
「ねぇ、お二人さん。」
瑠華が二人を見比べながら声を掛ける。
「七宮がリーダーでいい?」
「あ、もちろん。」
蒼真はすぐに頷いた。
「俺は賛成。」
「私も。」
亜里沙も笑顔で頷く。
「じゃあ、決まり!」
瑠華がそう言った瞬間、桃原先生が教壇から声を上げた。
「はい、時間でーす!」
「ホームルーム終わり!」
終業のチャイムが教室に響く。
こうして四人は、それぞれ少しだけ胸を弾ませながら、林間学校当日を迎えることになる班となった。
終業のチャイムが鳴ると、教室は林間学校の話題で一気に賑やかになった。
「飯ごう炊飯って何作る?」
「登山、結構きついらしいよ!」
あちこちで笑い声が飛び交う。
班ごとに集まり、早くも当日の話で盛り上がるクラスメイトたち。
そんな中、蒼真は静かにカバンを肩へ掛けた。
「じゃあ、また明日。」
七宮が手を振る。
「おう! 専門学校頑張れよ!」
「ありがと。」
蒼真も軽く手を振り返す。
ふと視線を上げると、亜里沙と目が合った。
亜里沙は小さく笑い、口だけでそっと動かす。
『またね。』
蒼真も照れくさそうに頷き、教室を後にした。
◇ ◇ ◇
夕方の街を歩き、夜間美容専門学校へ向かう。
さっきまで頭の中を埋め尽くしていた林間学校のことは、一度隅へ追いやる。
(切り替えよう。)
(今は美容学校。)
校舎へ入り、白衣に着替える。
教材を机へ並べ、リングコーム、ダッカール、ロッドケースを確認する。
いつものルーティン。
ここでは高校生ではなく、一人の美容師の卵だ。
教室には、国家試験を目指す真剣な空気が流れている。
蒼真も自然と背筋を伸ばえた。
「おっ。」
「今日は珍しく気合い入ってるじゃん。」
聞き慣れた声に振り向く。
稲垣亜由美だった。
教科書を抱えながら、ニヤニヤと笑っている。
「なんかあった?」
「……別に。」
「ほんとかなぁ?」
亜由美は蒼真の顔を覗き込む。
「その顔。」
「何かいいことありましたって顔してるけど?」
蒼真は思わず視線を逸らした。
そんな反応を見て、亜由美の笑みはさらに深くなる。
「さぁ、白状しな。」
「今日は何があったの?」
授業が始まるまでの少しの時間。
蒼真は準備しながら口を開いた。
「今日、高校で林間学校の班決めがあったんだ。」
「あっ、もうそんな時期か。」
亜由美は椅子を引きながら笑う。
「どうだった?」
「七宮君がリーダーになってさ。」
蒼真は班決めであった出来事を話し始める。
四人班になったこと。
七宮が真っ先にリーダーへ立候補したこと。
そんな何気ない出来事を話している蒼真の表情を見て、亜由美はふと気付いた。
(……あれ?)
少し前までとは、顔つきが違う。
亜里沙のモデル撮影が思うようにいかなかったと聞いてから、蒼真はどこか元気がなかった。
笑っていても、どこか無理をしているように見えた。
でも今日は違う。
肩の力が抜け、自然に笑っている。
その様子に、亜由美は少し安心したように微笑んだ。
「ねぇ、蒼真。」
「球技大会の時は、あんなに嫌そうだったのに。」
「今回は、なんか楽しそうだね。」
「……え?」
言われた蒼真は、一瞬きょとんとする。
そして、自分の胸に問いかけるように考えた。
球技大会。
あの時は、できれば参加したくなかった。
高校行事なんて、面倒なものだと思っていた。
だけど今回は違う。
林間学校。
その言葉を思い浮かべるだけで、自然と胸が弾んでいる。
「……あ。」
蒼真は思わず小さく笑った。
「ほんとだ。」
「俺、楽しみにしてる。」
その言葉を聞いた亜由美は、ニッと笑う。
「そうだよ!」
そう言うと、蒼真の腕を軽くポンッと叩いた。
「楽しんでいいんだよ。」
「高校生なんだからさ。」
蒼真は少し照れくさそうに笑いながら頷く。
「……うん。」
その返事を聞いたちょうどその時。
教室の扉が開き、先生が入ってきた。
「始めるよー。」
教室の空気が一変し、生徒たちは一斉に前を向く。
蒼真も気持ちを切り替え、目の前のウィッグへ視線を落とした。
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